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第19話 私たちのバンド

 季節は、すっかりと夏の訪れを感じさせた。バンドの活動拠点となっている楽器店の地下スタジオ三号室も、七月に入ってからというものエアコンを利かせるのが常となってきている。

 先日の初ライブ以来、緋音も正式にバンドのメンバーとして練習に参加するようになった。物覚えはいいようで、曲の歌詞とメロディはすっかり頭に入っているようだが、やはり声量の方は据え置き仕様のままだ。狭い室内じゃどうしても楽器の音に負けてしまうため、練習中からボーカルもマイクが必須である。


「……うう」


 本日何度目かの合奏の後、緋音が青い顔をしてその場にうずくまった。真後ろから真っ先に目に付いた千春が、驚いてスローンから立ち上がる。


「大丈夫!? 気分、悪いですか?」

「いえ……その……」


 緋音は、しどろもどろに答えながら恥ずかしそうに手で顔を覆う。


「わたしの声って……こんなんだったんだなって……」

「今さらそんなとこで躓くんじゃねーよ!」

「ご……ごめんなさい……!」


 涼夏のキレのいいツッコミに、緋音は半べそをかきながらふらふらと視線を背ける。


「わたし……自分の声があまり好きじゃなくって……カスカスというか……」

「そ、そんなこと無いですよ! 綺麗なウィスパーボイスじゃないですか……!」


 食い気味に否定した蓮美に、緋音がびくりと肩を揺らして驚く。


「ウィス……パー……?」

「囁くような天使の歌声っていうか……色っぽい歌声というか……」


 頑張って説明しようとするが、当の本人にはあまりピンと来ていないらしく、緋音はぽかんとして首をかしげるばかりだ。千春が苦笑しながらスローンに腰を降ろす。


「もしかして、緋音さんの声量が小さいのって自分の声が苦手だからですか?」


 その問いは、ある程度核心を突いていたようで、緋音は申し訳なさそうに項垂れる。


「小さい頃……よく、何言ってるか分からないと言われて……それで」

「そうなんですね。でも、少なくとも今はそんなこと無いと思いますけど。こうやって、普通に会話はできてますし」

「そうですよ……! 初めは確かに『ちっちゃ!』って思っちゃったけど、今は慣れて来たというか……注意して聞くようになったというか」

「やっぱり……聞きづらくはあるんですね……」

「あ……いや、そういうつもりで言ったんじゃ……」


 失言に気づいた蓮美は慌てて口を噤むが、時すでに遅く、緋音は一層しゅんと頭を垂れてしまう。助けを求めるように千春の方を見るが、彼女も苦い顔で首を横に振るばかりだ。仕方なく、縋るように涼夏に視線を送ってみると、ちょうど視線が合ってしまい、今度は蓮美の方が驚いて目を逸らしてしまう。

 苦虫を噛み潰した顔の涼夏が、大きなため息をついた。


「ひとつ、今後のバンドのルールな。お前ら

「はい……?」


 突拍子もない提案に、蓮美含むメンバー全員が、あっけに取られて涼夏を振り返る。涼夏はいくらか不機嫌な様子で、指先でしきりにベースのボディを叩く。


「気ぃ遣ってんだか、言い方が回りくどいんだよ。もっとストレートにモノを言え」

「涼夏さんは、もう少しオブラートに包んでほしい……」

「んああ……まあ、それだ。そういうことだ」


 挟まった蓮美の小言に、涼夏は額に青筋を浮かべながらも耐えきって頷き返す。対する蓮美は、煮え切らない様子で唸った。


「でも……涼夏さんも緋音さんも、一応先輩ですし」

「一応ってなんだよ。この体育会系文化部員が。一年の生まれの違いで先輩も後輩もあるか。十年違ってから出直してこい」


 蓮美と千春が困惑しながら顔を見合わせる。先輩に敬語が絶対なのは、もはや遺伝子レベルで染みついたものだったが、確かに同学年のふたりの間ではそういう気づかいはない。

 千春が、念を押すように涼夏を見返す。


「まあ、涼夏さんがそれでいいと言うなら、私は問題ないですけど。緋音さんは?」


 次いで、もうひとりの先輩である緋音に確認を取ると、彼女も彼女で慌てた様子で視線を泳がせていた。


「あの……わたし……人と話す時、敬語以外……使えない、です」

「つっても、家族と話す時とかはタメだろ?」

「いえ……家でも、みんな基本は敬語……です」

「いいとこのお嬢様がよぉ」


 それには流石に涼夏も折れるしかなく、納得こそしていない様子だが頷く。


「じゃあ、緋音は敬語でも許す。他ふたりはタメな」

「わ、わかりまし――あ、うう……わかった」


 蓮美がしどろもどろながらも承諾すると、ようやく涼夏は満足げに笑みを浮かべた。


「敬語使ったら罰金百円な」

「ええっ! 何でですか!?」

「はい蓮美、百えーん」

「ああ、ひどいっ! 涼夏さんのごうつくばり!」

「おおー、いいじゃん。初めからその感じでくりゃいいんだよ。次から罰金箱持ってくるか」


 愉快そうにケラケラ笑う涼夏に、蓮美は顔を真っ赤にしてすっかりむくれていた。


「で、でも、それじゃあ普段からタメ語の涼夏さんと、敬語でOKの緋音さんが有利すぎる! ふたりにも何か罰金つけてください!」

「はい、追加でもう百円」

「もってけドロボウ!」


 蓮美は、財布の中から二百円を掴んで、差し出された涼夏の手のひらに叩きつける。


「毎度ー。ま、その言い分はもっともだ。そうだな――」

「逆に、涼夏さんが敬語使うとか……!」

「それじゃあ本末転倒だろうが」

「分かりました、じゃあ――」


 蓮美は、しばし考え込むように唸ってから、ぽつりと願い事を告げるように言った。


「バンドのことを決める時、私たちに相談しなかったら罰金……とか?」

「ん……?」


 理解を得ていない涼夏が首をかしげると、蓮美はたどたどしい口調で続ける。


「ほら、この間のライブだって涼夏さんが勝手に決めて来たじゃないですか。あれだって、事前に相談してくれてたら、私たちももっと心構えができたというか……練習に身が入ってたというか」

「言われなきゃテキトーなままなのか?」

「そ、そういうわけではなく……!」


 ぶんぶんと、首を千切れんばかりに横に振る。


「わ……のバンドなんですから、みんなで相談して当然って話です……!」


 勢いのまま言い切って、蓮美はハッとして手のひらで口元を覆う。

 恐る恐る反応を伺うように涼夏のことを見ると、彼女は「ふーん」と真顔で頷いていた。


「とりあえず、蓮美罰金追加な」

「あっ、しまった!?」

「それと、わかった。それでいこう」

「……え?」


 慌てて財布の小銭入れを漁っていた蓮美が、キョトンとして顔を上げる。


「バンドに関してのことを相談しなかったら罰金。百円じゃ生ぬるいから一万円にしてやる」

「そ、そんな、別に金額は同じでも」

「お前なぁ、百円で済むなら余裕で破りまくるぞ、アタシ」

「それは……確かに」


 罰金を科される側に逆に諭されて、蓮美はバツが悪そうに眼を瞑る。

 涼夏は、そんな彼女を鼻で笑うと、肩越しに振り返って緋音を見た。


「緋音は、後ろ向きなこと言ったら百円な」

「う、後ろ向き……!?」

「それは良いですね。〝前向きトレーニング〟しましょうか」

「おっ、千春百円」

「あっ、しまった……意外と気をつけないとだね、これ」


 千春がオチをつけるように罰金を支払うと、誰からともなく噴き出したように笑いが漏れた。なんとなくいい雰囲気のところに、ゴンゴンと入口が強めにノックされる。

 ゴリッと重厚な音を立てて防音扉が開くと、楽器店の店員であるタツミが顔を覗かせた。


「和やかにご歓談中のとこ悪いが、涼夏に客だ」

「は? なんでこんなとこで……昔の追っかけなら追い返しとけよ」

「追っかけじゃないから通したんだ」


 念を押すように言い添えて、タツミは外の人物に入室を促す。そこに居たのは、重そうなギターケースを背負ったひとりの少女だった。スラリと伸びた背に、黄色のメッシュが入ったストレートの黒髪をなびかせながら、顔は深くかぶったキャップで隠れている。

 一見誰だか分からないが、涼夏はその立ち姿だけで目を見張り、息を飲んだ。


「……何しに来たんだよ、向日葵」


 押し殺しきれずに漏れた言葉に、ギターケースの少女はキャップの鍔を持ち上げるようにして顔を上げ、見下ろすように涼夏へ視線を向ける。


「何って、バンド組んだって聞いたから応援に来てやったんだけど?」


 向日葵はそう、怖いもの知らずの大きな瞳で吐き捨てるように答えた。

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