何度目かの合同練習が終わったあと、額の汗を拭いて片付けをしているメンバーに向かって、涼夏が「そう言えば」と前置いて声をかけた。
「ライブ決まったぞ」
突然の宣言に、他ふたりは虚を突かれて動きが止まる。大きく息を吸って吐くくらいの時間を置いて、千春がどこか申し訳なさそうに尋ねる。
「ライブって……もしかしなくても本番ってことですか?」
「他に何があんだよ」
「む……無理無理無理! 無理です!」
さらに一拍遅れて、蓮美が首を千切れんばかりに振る。
「だって、全然曲が出来上がってないじゃないですか! まあ、ほとんど私のせいですけど!」
「テメーら、ライブハウスのステージ立ったこと無いだろ? そんな気張らなくていいやつだから、立って慣れとけ」
「そういうんじゃなくて、せめてもっと練習してからというか……自信を持って発表できるようになってからというか」
食い下がる蓮美に、涼夏が大きなため息で応える。
「いくら練習したところで自信なんざつかねーよ。そういうのは本番の中でつくもんだ」
「で、でも、曲の完成度とか……間違えないで最後までできたとか……そういうのが自信になるもので」
「曲の完成ってのはステージの上でこそする。そもそも練習通りのステージになることなんざねーよ」
涼夏が説く主張を、蓮美は半分も理解できていなかった。練習でできないことは本番でもできない。むしろ不確定要素を本番に持ち込むものではない。彼女は、ずっとそういうところで演奏してきたのだ。
しかし、こうも堂々と言い切られてしまうと、真っ向から否定するのもヤボというものだ。納得はできなくても、主張自体は受け入れるほかない。そんな蓮美の心中を察したのか、千春は話題を逸らすように口を挟む。
「気張らなくていいって、何のステージに立つんですか?」
「軽音サークルの代表がサマバケ時代のファンだったみてーでな。バンド組んでるなら、次の定期ライブで演奏しねーかって」
「へぇ……なんか涼夏さんなら、そう言うの断りそうなものですけど」
「ステージに立つチャンスは一度だって無駄にしねーよ。立つためにサマバケの名が使えるならいくらでも使ってやる」
そう言い切ってから、涼夏はバチンと、右手で作った拳を左の手のひらに打ち付ける。
「そのうえで全力で否定する。サマバケ目当てで集まったヤツらの感性を、あたしらの音楽で塗り替えてやる」
既にやる気十分、アドレナリン全開で笑う涼夏だったが、すぐに怒ったように眉間に皺を寄せて、もはや定位置となったパイプイスに座る緋音を指さす。
「テメーはいつまで追っかけみたいなポジションで見学してんだよ!」
「ひっ……!」
突然の飛び火に、緋音は飛び上がって顔を青ざめさせた。そのまま追撃の小言のひとつやふたつ飛び交うかと思った一同だったが、思いのほか、涼夏はすぐに怒りを抑えて緋音に背を向ける。
「まあいい……ステージが決まったなら、こっちはこっちで考えがある」
「……涼夏さん、何か言いました?」
「いや」
呟くような声が聞こえた気がして問い返した蓮美に、涼夏は何事も無かったかのように首を横に振る。それから手早く楽器をケースにまとめると、急いだ様子で部屋を飛び出した。
「完成度が低いのも確かだ。本番まで時間もねーし練習の日数増やすからな。空けとけよ」
去り際にそれだけ言い残した彼女を、残された三人は唖然として見送る。やがて誰からともなく、安堵したように息を吐いた。
「相変わらず、ムチャクチャするね、あの人」
「ほんとだよ……」
愚痴る千春に蓮美は釣られて頷き返すが、すぐに「でも」と独り言ちる。
「お尻に火がつかないとどこまでも悩んじゃいそうだし、これはこれで必要なこと……なの、かも」
「……蓮美ちゃん、最近ちょっと考え方が涼夏さんに似て来た?」
「そ、そんなこと無いと思うけど」
照れながら否定する蓮美は、どこかまんざらでもない様子だった。千春は苦笑する。
「あの……」
不意に、掠れるような声がスタジオにかすかに響いた。思わず聞き逃してしまいそうな声量だったが、そんな声をあげるのは一人しかいないので、蓮美と千春は迷わず緋音を見る。
ふたり分の視線が集まって、緋音は自分で声をかけておきながら、バツが悪そうに視線を逸らした。
「ご……ごめんなさい」
「謝らなくても良いですけど、どうかしましたか?」
爽やかな笑みで答える千春に、緋音は一層決まりが悪そうに胸元を手で押さえる。そのまま大きく何度か深呼吸をして、ようやく意を決して口を開いた。
「あの……付き合って欲しいところがあるのですが」
それは、涼夏の言う通りほとんどバンドの追っかけのようにスタジオに顔を出していた緋音の、初めてのお誘いだった。
部屋の片づけを終えて鍵をお店に返した三人が向かったのは、つい先日も訪れたばかりのカラオケだ。誘いながらも会員カードを持っていないという緋音の代わりに千春が代表で部屋を取り、ソファーに座ってひと息つく。
「まさか、カラオケに誘われるとは思いませんでしたよ」
「ご、ごめんなさい……カード持ってなかったし、ひとりだと利用の仕方も分からなくって……」
「気にしなくて大丈夫ですよ。良ければカード作っていきますか?」
「それは……えっと……たぶんひとりで来ることは無いと思うので、大丈夫……です」
どうせならと思う千春だったが、緋音が断ったのでそれ以上無理に勧めることはしなかった。言われてみれば、彼女がひとりでカラオケに来ている姿は想像できない。
「今日、付き合って貰ったのは……歌、覚えたので、練習したくって……」
「歌って、もしかしてサマバケの?」
緋音が無言で頷くので、ふたりは目を丸くする。
「ボーカルのこと、考えてくれてたんですね……?」
尋ねる蓮美に、緋音は苦い表情で口をもごつかせる。
「自信は無いですけど……せっかく誘って貰えたのに、挑戦もしないで断るのは……その、失礼かなって……」
「無理、してませんか……?」
念を押すように尋ねると、今度はハッキリと首を横に振る。
「やってダメなら、自分でも諦めがつくので……」
彼女の言葉を聞きながら、千春は先日の涼夏の言葉を思い出す。
――やるよ、アイツは。
(根拠のない自信かと思っていたけど、ほんとに人を見る目はある……のかな)
正直なところ、千春はまだ涼夏という人間を測りかねている。音楽に関してのセンスは確かなものだと思っているが、それ以外があまりにも荒唐無稽すぎるのが問題だ。どこまでが本気なのか――いや、おそらくすべてが本気なのだろうが――付き合いの薄い千春には判断できず、同様に信頼もない。
涼夏の音楽に対する信用も、同じく音楽に関しては信用を置いている蓮美が認めたからという一点に担保されているのが大きい。つまるところ、千春はまだ涼夏に気持ちを許してはいない。
(むしろ、彼女のような人を抱えて、サマバケはよく成功できたね……いや、上手くいかなかったから解散したのかもしれないけれど)
解散したとはいえ、メジャーの大地を踏んだ事実は変わらない。世間が彼女たちの音楽を認めたということだ。
そうさせる何かを涼夏は持っていて、蓮美もまた
「今日、私たちを誘ったってことは、ライブに間に合うよう練習したいってことですよね?」
「え……と、それは、その……分からないです」
緋音は、相変わらずの口ぶりで、どっちつかずの返事をする。
それでも、彼女もまた涼夏の