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第11話 美しき罪と罰

 萩原はぎわら緋音あかねは、戸惑っていた。

 最近、大学のどこにいても、特定の人物からの視線を感じるからだ。


 もともと他人の視線には敏感な方だった。気が小さく、とにかく自分に自信がないせいもあっただろう。視線らしきものを感じれば、「今、何か変なことをしただろうか」「もしかして、笑われているのではなかろうか」と、相手がどんな顔をしているのかも確かめずに縮こまって、そそくさと逃げ去るような日々を過ごして来た。

 万が一声をかけられようものなら、それこそ脱兎のごとく逃げだしてしまうこともあり、高校時代まで友達らしい友達もいなかった。唯一の趣味が、動画投稿サイトで好きな配信者の配信や動画をめぐること。もちろん、コメントなど書き込みはしない。

 それでも、リアルタイムで動画を見ているだけで、自分が大勢の友達の輪の中に、端っこかもしれないけれど、存在しているような心強さを感じられた。


 しかし、流石の彼女もリアルの友達が居ないことを気にしないわけではない。大学入学を機に心機一転、新しい自分に生まれ変わろうと、高校を卒業してからの春休みのを自分磨きに費やした。

 教えを請うたのは、高校卒業後に二年ほど服飾系の専門学校に通い、今は東京のアパレル会社で働く四つ年上の姉だった。というより、相談できる相手が他にいなかった。


 姉は、妹の悩みに対して開口一番、


「人間、第一印象が全てだから。プラスから始まれば何をしてもプラスになるし、マイナスから始まれば何をしてもマイナスになるから」


 とのたまった。あまりに極端すぎる物言いだが、緋音にとっては目から鱗の金言だった。

 それからと言うもの、彼女はトークアプリを介して姉の通信教育を受けながら、自分に合う服装選び、メイク技術、ヘアアレンジの数々を、死に物狂いで習得した。姉も可愛い妹の大学デビューを応援するために、休みの日に帰省して直接指導を行ったりした。

 それまでお洒落に無頓着だった彼女にとっては、初めてのことばかりて、辛く苦しい日々だった。それでも付き合ってくれる姉、そして前向きに頑張る娘を応援する両親の後押しもあり、見事に〝大学生向けオトナメイク〟を習得するに至った。

 入学式で誰よりも泣いていたのは、有休をとって駆け付けた姉だったという。


 そうして万全の準備を整えて、心躍るままに始まった大学で――緋音は、相変わらず独りだった。


 あんなに頑張ったのに……と落胆する一方で、やっぱり中身を変えなければ意味が無いのかと、見た目にばかり囚われていた自分を反省する。もっとも、反省しただけで友達ができればわけないことで、結局新たな春がやってくるまでの一年もの間、灰色の大学生活を送ることになった。

 しかし彼女は、友達ができない本当の理由を理解していなかった。


 萩原緋音は、それはもう……………………べらぼうに美人だったのだ。


 ところが彼女はもちろん、大学デビューを親身になって応援してくれた姉も含めて、家族みんながそのことに気がついていなかった。


 なぜなら一家全員が、周りに羨まれるほどの美男美女一族だったのだ。


 彼女たちにとって容姿が美しいことが当たり前すぎる日常の光景だったからこそ、自己評価の物差しが青天井でぶっ壊れていたのである。

 つまるところ高校時代までの周囲の人々は、緋音の美しさのあまりに、恐れ多くて近づけず、見惚れることしかできなかったわけで。彼女が何か変なことをしたとかではなく、単純な羨望の眼差しを一身に受けていただけなのである。

 ほとんどすっぴんの時代ですらそんな状況だったとしたら、本気で自分磨きをした後の大学デビューは、果たしてどうなってしまうのか。


 結論から言えば、この世の美を凝縮した〝歩く凶器〟だった。


 立てば、座れば、歩く姿は

 いや、立てば(周りの人が)、座れば(周りの人ry)、歩いた後に(周ry)――は、流石に言い過ぎだが、それほどのポテンシャルと破壊力を身にまとう結果となってしまったのである。近寄れる人がいないのだから、友達などできるわけがない。

 そのような状況を「もしかして自分、避けられているのでは」とマイナスに勘ぐってしまうのが緋音だ。根本的な問題に気づくわけもなく、どうしようもないまま大学二年の夏を迎えようとしていた。


 そんな彼女が近頃感じる熱烈な視線は、これまでの人たちのような遠巻きから伺うそれとはまったく違っていた。


 好意なのか悪意なのか分からない鋭い目つき。

 緋音に気づかれても逃げも隠れもしない図々しさ。

 ゆく先々に必ずと言って良いほど現れるしぶとさ。


 もしかして自分と友達になりたいのでは――という、めずらしく前向きな気持ちが湧くものの、ただ見つめられているという接点だけでは、緋音の方から声をかけるような勇気はない。なんなら見られているというのも、友達になりたいのかもというのも、全てが緋音の勘違いで、声をかけた瞬間に拒絶されてしまうのではという恐怖の方が勝っていた。


 そんな日々が何日か続いたある日、いつものように講義室で自分の周りだけぽっかりと円形に席が空く中で、わざわざ真横に腰を降ろしてきた人物が居た。緋音に付きまとっていた、あの視線の持ち主だった。

 ド金髪のストレートに、ストリート系のラフなファッション、緋音の感覚からしたら派手目なメイクに身を包んだ女性は、肩が触れ合いそうな距離でなお、じっと緋音の横顔を見つめ――いや、睨みつけていた。


(え……なに……こわい)


 率直な感想が冷や汗と共にあふれ出す中で、流石の緋音もここ数日の視線が決して自分の気のせいではないことを確信する。どんな理由かは分からないが、少なくとも彼女は自分に用事があるのだ、と。

 だが、それが良い用事なのか、悪い用事なのかが緋音には分からない。眉間に深い皺を刻んで、これだけ穴が開くほど睨まれているのだ。ちょっとやそっとの理由とは思えない。それ以上に、心当たりが本当に何もない。


 人混みで足を踏んづけてしまったとか。

 肩がぶつかったとか。

 学食の券売機で真後ろに並んでいて、お得なランチが自分の番でちょうど売り切れになってしまったとか。

 自分の後に入ったトイレで紙が丁度切れてしまって、かつ個室内に替えが無かったとか。


 〝もしも〟を想像すればいくらでも理由は思いつけたが、直接的に彼女に何かをしてしまった記憶が、緋音にはひとつとしてなかった。


 得体の知れない興味を示される恐怖と、大学生になって初めて自分の傍に人が寄って来てくれた嬉しさとの狭間で、緋音は灰色の一年分の勇気を振り絞って声をかける。


「……ぁの……な……か……?」

「…………あ?」


 文字通り蚊の鳴くような声しか出ず、緋音の勇気は無残なひと言で一蹴されてしまった。そう言えば、家族以外と言葉を交わすのはいつぶりのことだろう……なんて、考えても仕方ない後悔がぐるぐると頭の中をかけめぐり、眩暈すら覚える。


「今、なんつった?」


 それでも、相手の方から聞き返してくれたのが、わずかな僥倖だった。

 彼女は、自分とコミュニケーションを取ろうとしてくれている……!

 それだけで、もう一度だけなけなしの勇気を振り絞る、思い切りを得ることができた。


「何か……用……ですか……?」


 相変わらず囁くようなか細い声だったが、これが緋音の精一杯だった。むしろ、彼女は家でもこんな感じだった。緋音にとっては、精一杯、普段通りに喋った結果である。

 そんな緋音に対して、隣の席の女は、遠慮のない物言いで不躾に返事をした。


「よし、採用」

「……ぇ?」

「あんた、今日の放課後、ヒマ? ヒマだよな。どうせ予定ねーだろ」

「あ……その……」

「五限後、学食のカフェ。逃げんなよ。逃げたら※す」

「ぇ……ぇ……?」


 有無を言わさずそれだけを言い残して、彼女は緋音の返事も待たずに講義室を出て行ってしまった。筆記用具も何も持っていなかったのを見るに、おそらく履修していたわけではないのだろう。

 ほどなくして教授がやってきて、何事も無かったかのように講義が始まる。


(…………え?)


 緋音は、未だに理解が追いつかず、頭の中でつい今しがたの出来事を繰り返し思い返していた。

 五限後、学食のカフェ。

 唯一、ハッキリと覚えているその言葉は、緋音にとって生まれて初めての、家族以外の人間と交す約束であった。

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