それまで奇怪な音が響いていた森がシンと静まり返る。
無音の中、耳鳴りがする。ミチルは目の前の大きな影から目が逸せない。
「──!」
その影の気配に気づいたジェイは、素早く身を翻しミチルの前に立ち塞がった。
樹のうろからどんどん黒い影が出てくる。影は靄になり、次第に形を成していった。
「ケ、ケルベロス!?」
三つの頭を持った大きな大きな黒い狼が二人の前に現れた。有に3メートルはありそうだ。
「いや、違うこれはベスティアだ」
ジェイの言葉は緊張を孕んでいた。だがミチルは恐怖のあまりつっこみに逃避する。
「だから、ケルベロス型のベスティアでしょ!」
「……ケルベロスとは何だ?」
「なんでファンタジーの世界なのに知らんのよ!」
通常営業の漫才をしている暇はない。ケルベロス型ベスティアは三つの頭でジェイとミチルを睨みつけていた。
「おそらくこいつがこの森のベスティア主だな」
「え?そのネーミング大丈夫?もっとかっこいいのが良くない?」
「残念だが考えている猶予はなさそうだ」
ベスティア主はゆっくりと確実に二人を追い詰めていく。ジリジリと後退を余儀なくされたジェイは剣を構え用心深く機を窺う。
何かないか、あいつの気を逸らすもの。
とっさにミチルは足元の石ころを拾って、ベスティア主の顔スレスレを通るように投げた。
「!」
まさかあんな大きな怪物が小さな石ころの飛んでいく風で怯むとは。
「オオオッ!」
好機を逃すようなジェイではない。剣を振りかぶって痛烈な斬撃を頭のひとつに与え……
キーン!
「!?」
……たはずだった。が、ベスティア主には傷ひとつなく、代わりにジェイの剣が折れた。
「ああっ!」
ミチルは絶望の叫びを上げる。
ジェイの剣が折れた。
父の形見だと、誇りだと言っていたその剣が折れてしまった。
ジェイは一瞬だけ放心したが、すぐに意識を目の前の怪物に戻し、折れた剣をなおも構えながら言う。
「ミチル、逃げなさい」
「え!?」
「私がこいつの注意をひいておくから」
「ジェイはどうするの?」
するとジェイは少し振り返って笑う。
「私は騎士だ。敵に背を向ける訳にはいかない」
カッコイイ!今までで一番カッコイイ微笑みいただきました!──って、そうじゃない!
ジェイはここで犠牲になるつもりだ。騎士としての矜持を全うして。
何が矜持じゃい!カッコイイ死なんてただの自己満!
かっこ悪く生きたっていいじゃあないか!
「あきらめんな!」
「ミチル?」
ミチルは怒りにまかせてジェイが持つ折れた剣の柄をひったくった。
「オレたちは、二人でこいつを倒して帰る!」
「……」
「そしたらジェイは絶対出世できる!」
「ミチル……」
ミチルはやったこともない剣道の構えを真似た。足がガクガク震える。けど、あきらめない。
かっこ悪く生きてやるんだ!
今までモブだったんだからそういうのは得意!
「ガアアアァァ!」
ベスティア主が威嚇してくる。
だがすでにミチルはプッツン切れていた。
「やかましいわあ!この犬っころがあ!」
「ミチル!挑発するな!」
「お前なんかなあ、このぽんこつナイトとモブ学生が一網打尽にしてやらあ!」
そんなミチルの叫びに呼応するように、手元の剣が光りだす。
「!?」
折れた剣は完全に砕け、柄だけになった。
「ええっ!ウソでしょ!折れてても殴れると思ったのに!」
ミチルが慌てるが、剣の変化はまだ続いていた。
「な……」
ジェイも目を丸くしてそれを見守る。
ミチルの手の中の柄はまばゆい光を放つ。
そこから青い光の粒子が集まってきて、刃の形を成していった。
「再生、した──?」
そこには青々と光る一本の剣が現れていた。