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第71話 レデオンとレニュ

 レデオンの意識は昔へと引き戻されていた。

 自らの父と母とレニュの母を殺した日、血に濡れた部屋に彼は立っていた。


 血中に怒りが、心には嵐のような騒めきが渦巻いている。不完全な不死の力を手に入れ、完全なものとすべく彼は手に持った短剣をその場に落とすと横たわる三人の血を啜った。


 力がみなぎってくる。初めて魔法というものの感触を彼は知った。万能感がある。魔力無しとそうでないものの決定的な違いを彼は感じていた。


 血の沁み込んだ絨毯の上から立ち上がり、ふと後ろを振り返るとレニュが立っていた。長い髪には寝ぐせがついたままで、寝巻の裾を力いっぱいに握り、震えて立つ妹がそこにいた。


 “兄上。どうしてこのようなことを。”

 今にも消えそうな声で妹は血に塗れた兄に問いかけた。


 レデオンは答える。自らの弱さを嘆いていた。差別が常識と化した世を変えたいが己にそこまでの強さはないこと。世界を変えるには犠牲が必要だと彼は妹に説いた。魔力無しであっても生きられる世界を作るにはまず自分の存在を強く示さなければ。古い考えをまず絶たなければ。後ろに倒れる二人はその象徴なのだと。


“そのような選択を……。親殺しをしても民はついてきませぬ。間違っております”

 レニュはまっすぐと彼の目を見ていた。


 エルフの世界は魔力があり、魔法が扱えることが絶対である。レデオンにそれはなく、妹には備わっている。名ばかりの世継ぎと言われ、蔑まされる彼とは違う。


“世界を変えたいなら、どうかそのままで。どうか、どうかそのままでなければ。そうでなければ意味がないのです。兄上”


 何がわかる。おまえのような体で!

 レデオンは妹に掴みかかって床に押し倒し、その首に手をかけた。


 妹の首は彼の両手にすっぽりと収まってしまうほどに細く。魔力を得た今なら軽く力を入れるだけで折れるだろう。体の下で妹の足が暴れ掻いている。


 もう少し力入れれば折れるだろう。レデオンは首を閉める手の指が濡れていることに気づいた。しかし、はたしてそれが誰のもので濡れているか彼には分からなかった。


 妹は掠れた声で言った。

“兄上。私は兄上をお慕い申しております。世界を変えたい思いは同じです。兄上が教えてくれたのです。同時にわたしの内にも魔力の無い者を蔑む心がございます。兄上に対しても。それでも兄上は、兄上であります。”


 彼は首を閉める力を緩め、立ち上がり妹を見下ろした。妹は咳こみながらよろよろと立ち上がり、だがその目は強く、彼の心に深く突き刺さる。


“だからこそ、そのままでなければならなかった。兄上と私、二つの立場から手を取り合う姿を民に見せなければならなかった。兄上が自分自身をも憎み、恨み、また蔑んでいたとしても。であればこそ成し遂げられることもあったのです。誰にそのような凶行をそそのかされたか、おそらくはそうであると信じたいですが、もはやそれは問題ではありません。兄上は今日二つの裏切りを犯したのです。私と! 兄上ご自身を裏切ったのです!”


 妹の目に浮かんでいる涙を見て、彼は永遠の決別を初めて悟った。恨みや怒りに苛まれ焦り、道を誤ったことを悟った。

 だがそれを認めようとはしなかった。認めてしまえば彼の後ろに横たわる三人の死は一体なんになるというのだ。もはや彼に引き返すという選択肢などない。彼自身が閉ざしてしまった。


“お別れです。兄上。……いえ、レデオン・アーデレイ・ジュ。あなた……そなたより、今この瞬間、次期宗主の名『ジュ』は失われた!”


 レニュの周囲が仄かに輝き始めた。二人の住む城。樹城の古き魔法が新たな宗主を選んだのだ。


“古き魔法よ! 今宵、レニュ・ミーアス・ジュ・デが宗主となる!” 


 妹は片方の手で喉を抑えながら震える指で彼を指し示した。


“私が、わしはこの国へ命じる。逆族を討て! 名はレデオン・アーデレイ !”

 それが宗主レニュが初めて口にした命令であった。


 レデオンは逃亡する。そして幾つもの国で魔法使いたちを襲い、魔力を奪い。殺した。そうして幾つかの時空の裂け目を不死の体で強引に越えていくうちに精神はいつしか壊れていき、彼の初めに抱いた使命も次第に薄れ、砕けていった。




「終わりだ! レデオン!」

 佐藤の聖剣がレデオンのもう片方の腕を斬り飛ばした。


 痛みが幼き日のレニュの姿をレデオンの前から霧散させ現実に引き戻す。佐藤の聖剣は秋の陽によって煌めきながら刃は再びレデオンの肉の間へと入り込み、裂いていった。上から下へ、右から左へ。脚が離れ、胴が切り裂かれる。


 佐藤は初めて人に対して明確な敵意を抱いていた。レデオンを不死の化物として斬るのでなく人として斬る。レデオンもまた罪を背負わなければならないからだ。


 レデオンは力を振り絞り、腕を繋げ、脚を繋げ、抵抗を試みるが佐藤は繋がる傍から切り落とし、ついに佐藤はレデオンの四肢を全て切り落とした。聖剣を心臓に深く突き刺し、背後の壁に彼を縫い付けた。


 宮之守が痛む肩をかばいつつ、壁に寄りかかって二人の様子を伺っている。鬼気迫る表情になんと声をかけて良いか宮之守には分からなかった。


 佐藤は息を切らし、肩を大きく揺らしている。レデオンは動いていない。傷口から触手が伸びることも無く、胸に突き刺さる剣を見ていた。


 レデオンは口から血を吐き出し、肺のヒューヒューとした音が喉奥から聞こえてくる。

「我ながら恐ろしいね。これほどまでに斬られても死なないとは」


 佐藤は無言で剣を引き抜き、最後の構えをとった。レデオンはずるりと床に落ちた。


「僕の首を落とすか。正直なところ、ここまで斬られたのは初めてだ。でもどうしようと死なない。僕の奥にはまだ力が残っている。目を覚ましたとき、また君たちの首を狙いにいく。さぁ、斬りなよ」

 深い疲労の浮かんだ顔、四肢を失ってもなおレデオンは勝ち誇った顔をしていた。佐藤は聖剣を振りかぶった。


「すこし待ってはくれぬか」

 佐藤の背後から声が聞こえ、佐藤は剣を止めた。それはレデオンの首筋にピタリとあたり、微かに肌を斬り付けている。


 レデオンは声の主の方を見て笑い声をあげた。

「ハ、ハハ! 本物が来たか! 僕の哀れな姿をわざわざ見に! 妹よ!」

「宗主。どうやってここへ?」

 佐藤はレデオンの首に剣を当てたまま尋ねた。


「鉄骨を投げた要領でな。エリナは優秀であるな。実に爽快であった。」

 レニュは明るく言いったが目は暗く、影が落ちている。

「宗主の務めを果たしに来た。宗主として奴の死を見届けねばならぬ」

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