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第70話 剣戟の時間

「ずいぶんと疲れているんじゃないか? えぇ? レデオンさんよ」

 佐藤は肩に聖剣を預けながら言った。


 背後にはもはやただ肉塊へと戻った大蛇が横たわっており、レデオンはほんの一瞬そちらへ意識を向けた。だが肉の大蛇からは何も反応が得られない。今のレデオンに大蛇を制御するほどの力は残っていない。


 彼は小さく舌打ちした。

「好き勝手やってくれたね」


 レデオンは自分の飛散した肉片を呼び寄せ。腕や足を引き寄せて繋ぎ合わせていた。彼の顔には怒りと隠しきれない深い疲労の色が浮かんでいる。半身はまだ崩れたままだ。


 佐藤は挑戦的な表情をしつつも決して油断はしていなかった。踏み込まず、神経を研ぎ澄まし、様子を伺う。あえてレデオンがある程度再生するのを待って攻撃を仕掛けるつもりでいる。レデオンの魔力を枯渇させるためだ。


「好き勝手? ハっ! いまさら自己紹介か? そういうの日本じゃブーメランっていうんだよ」

 佐藤は聖剣を手首でくるりとまわした。

「立て。もうあらかた繫がったとこだろ?」


 佐藤が一歩ずつ近づくとレデオンがずるりと体を起こし、立ち上がった。肉体の切れ目が粘土のように合わさる。


「エリナ、今は投げんじゃねぇぞ」

『投げたら愉快なことになりそうだな』

「ほざいてろ」

「佐藤さん。私はもう、戦えません」

 宮之守は目を伏せた。黒爪は全て白くなっている。

「いいぜ。大将。その怪我じゃどっちにしろ足手まといだ。休んでろ」


 レデオンが再び木の根で剣を作り出した。植物でありながら鋭く、金属のような光沢をもった剣だ。

「お別れの挨拶はすんだかな?」


 佐藤が聖剣を体の正中線に重ね、切先をゆっくりとレデオンに向け、そして深く、息を吸った。


 佐藤が走り出した。レデオンが剣を横に薙ぐ、佐藤はアームプレートで弾き、生じた隙に鋭い突きを滑りこませる。聖剣は脇腹を貫き、佐藤はそのまま振り抜く! 白い樹液のような体液の飛沫が振り抜かれた聖剣から弧を描きつつ床へ落ちた。


 レデオンはえて傷口を塞がなかった。傷口が不気味に蠢き、槍が射出される。佐藤は半身をずらし避ける。レデオンは自身から飛び出した槍を掴み取るとすぐさまそれは剣の形をとり、体から切り離され、傷は塞がった。


「君はなんなんだ? 僕に恨みがあるのか?」

 レデオンは二振りの剣で襲いかかりながら問いかけた。


 言葉を投げ、注意をそらすためのものだ。言葉自体に意味はない。

「恨み? 恨んじゃいないさ。あるのは怒りだ」


 佐藤の下方より振り上げられた剣が鼻先を掠める。彼は振り下ろされた剣をいなした。レデオンの剣を見切り、腕を斬り付けた。


「どうして?」

 レデオンの腿を佐藤の一撃が切り裂き、佐藤の右肩をレデオンの剣が切り裂く。

「おまえは多くの命を奪った! 尊厳を踏みにじり、辱め、傷つけた。それが俺の怒りだ!」


 佐藤は転がって距離をとる。そこには先ほどの戦いで弾かれ落ちたナイフがあった。佐藤は地面から拾い上げて逆手に持った。


 レデオンの二振りの剣が床を抉りながら迫り、佐藤は聖剣とナイフでそれぞれを逸らし、弾いた。 

 剣と剣の凄まじい応酬は二人の間で幾つもの火花を生じさせ、全て落ち斬る前に次々と爆ぜ、散っていく。佐藤は聖剣を振り抜く。レデオンは屈み、避け、佐藤の死角から突きを放つ。


 佐藤はアームプレートで防御し、またも火花が散る。

 目まぐるしく変わる攻防の中で佐藤の眼光はレデオンを捉え続け、鋭利さを研ぎ澄ましていく。彼の間合いにおいては死角を付いた攻撃への予想と対応はそう難しくない。


 佐藤がレデオンの頭部に聖剣を振り下ろす! レデオンは体を逸らし、赤い髪がハラハラと舞う。レデオンの目もまた佐藤を捉え続けていた。


「怒りの代弁者だとでも? 死んだ彼らがそう言ったの? 恨みを晴らせって。どうしてそんな事がわかる。魔力無しは魔法を扱えないグズだ。死んでも誰も悲しまないし利用されるだけでもありがたいと思うけどね」


 レデオンの回避を兼ねた回転斬りの一撃が佐藤の胸を掠める。胸部プレートが両断された。


 レデオンは遠心力をそのままに流れるようにして二振りの剣を融合させ、大槌にして振り下ろす。佐藤は側面へ転がって避けた。

 破砕された床の破片が舞い散っている。佐藤の神経は加速し、研ぎ澄まされた集中力はその破片一つ一つを追えるほどに磨かれている。


「皆が悲しんでる。家族を殺され、絶望の深い淵に突き落とされ、暗く冷えた夜を耐えなければならない。目を濡らしながら迎える朝の辛さがおまえにもわかれば!」

 佐藤は剣を構え、低い姿勢から飛び掛かる。

「少しでもおまえが想像力を働かせられるような奴だったならこんなことは起きなかった!」


 レデオンは闘牛士のように躱しながら槌を一対の剣に変えて振るう。佐藤は背中を切り裂かれた。


「忘れているのかい? あのとき殺したのは僕じゃない。君だ」

「そうだ! 俺が殺した!」

 佐藤の魔力のこもった鋭い踏み込みによる突きがレデオンの剣の柄を捉え、砕く!


 レデオンは破壊された剣を捨てて、残こされた剣を長剣に姿を変え、そこから暴風のような横薙ぎが繰り出された。


「その剣で君が殺した!」

 佐藤は聖剣とナイフを十字に構え、受け止める。

「誰もかれも等しく殺した! 君も罪人なんだよ! 君は僕を非難できるのか! ここでも殺しただろう。この塔で、ここに来るまでにいったい何人をその剣で殺した!」


 ギリギリとした圧が佐藤を後退させ、床には押しずらされた後が伸びていく。

「戦わせたのは僕だ。でも戦い、殺す決断をしたのは紛れもない君の意志だ。だが僕は君を責めない。魔力無しは死んで当然だ。迫害され! 虐げられ! 捨てられるものだ!」


 佐藤の剣が跳ねのけられ、ナイフが弾かれて飛ぶ。衝撃で聖剣は細かく震え、金属の嘶きが聞こえる。


 レデオンの声は震えていた。魔力無しとはかつて彼自身に向けられた言葉でもあったからだ。

「おまえは違うというのか!」

「違う! 僕は断じてそんなものじゃない!」


 弾かれ震える聖剣は棹立ちなった馬のようにいうことを聞かない。佐藤の集中力は世界の動きを遅くさせ、世界は走馬灯じみていた。


 剣を振り下ろせ! 今、がら空きになった胴にレデオンの長剣はいともたやすく入り込んで体を裂いてしまう。

 だが佐藤は気づいた。レデオンの剣筋は鈍っており自分には決して届かないと。


 レデオンの言葉は、佐藤を揺さぶるためのものであったはずだった。今、彼は彼の言葉によって心を震わせていた。二人の間に躱される剣戟の中で佐藤はその心の動きを察することはないが、一瞬の僅かな隙を逃すことなどはしない。


 佐藤は衝撃で震える剣を強引に押さえつけようとした。力を滾らせ、再び聖剣の持ち主として振り下ろそうとした。だが聖剣にびりびり走り伝わる衝撃が阻む。


 俺は背負っている。背負う者の責務を果たさなければならない。この先、同じことが繰り替すようなことがあってはならないからだ!


 何かが聖剣に触れた。血に濡れた死者たちの手だ。一つでなく幾つもの手が、鈍化し圧縮された時間の中で佐藤の腕、肩、聖剣にそえられていく。佐藤は前を向いたまま。レデオンに視線を向けたまま、その手に応えるため、より力を込めた。 

 時間が戻った。佐藤はレデオンの剣を弾いて砕き、彼の腕を切り飛ばした。


 踏み込み、地面を足で感じ、捉える。動きは大胆かつ柔軟であれ。剣の重さ。体の重心。魔力の流れ。佐藤はどのように刃を通すかの道筋の全てが見えた。最適な角度に最大の刃を。


 レデオンもまた時が圧縮される感覚に陥っていた。一手先、斬られる。二手、斬られる。三手、四手。対応できない。魔力によって再生するか? 否、間に合わない。すでに幾つもの傷口は開いたままだ。


 レデオンは目を見開いた。自分の敗北が免れないからではない。佐藤の背後にレニュの姿を見たからだ。それはかつての幼き日のレニュの姿であった。

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