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第64話 宮之守の告解

 夜になり、宮之守は佐藤をホテルの屋上へと連れ出した。

 屋上は庭園となっており、海外から取り寄せられた様々な植物が植えられている。


 あたり一面にはウッドチップが敷き詰められ、木板の歩道がその中を急カーブを描きながら突っ切っていく。植物の葉の隙間からは淡い暖色の光を放つライトがぼんやりと頼りなさげに灯っていた。

 正式に開業すればここは見晴らしのよい観光スポットの一つになるのだろう。


 宮之守は一足先に空中庭園を抜け、屋上の端へ行くと高いフェンスに寄りかかり、遅れて歩く佐藤を待ちながら都市に挟まれる湾を横目で眺めた。


 街の夜の輝きを黒い水面は美しく反射していたが、どうしてか宮之守にも佐藤にも、その輝きが窮屈に思えた。佐藤は少し離れた位置のベンチに腰をおろした。


 佐藤の視線の先にはタワーマンションがあった。レデオンの潜伏先であり、異世界生物侵入対策室はついにそのことを突き止めた。明日は突入作戦が行なわれる。


 ネット上に流した佐藤と異世界生物侵入対策室の情報の流れを追い。そして取捨選択と精査のすえに現地でタワーマンションの窓辺にたたずむレデオンの姿を発見したのだ。


「綺麗ですね。さすがは一流ホテルってところですね」

「そうだな」

 宮之守の言葉に佐藤はぽつりと呟くようにそっけない返事をした。


 佐藤はどことなく宮之守から違和感があり、しかしその違和感がいったいどういうものかまでは分からずにいた。


 機嫌が悪いわけではない。何かに大して思案しているが不安に揺れ、決心が付かないような。普段の自信に溢れる態度をとる宮之守からは違うものだった。


 宮之守は口を開き、何か言葉を詰まらせると後ろを向いた。

 佐藤は頭を掻き、面倒そうにベンチから立ち上がると宮之守のいる場所へと歩いた。佐藤は高いところは苦手だ。できることなら屋上の端っこなどには近寄りたくないが、それでも佐藤は宮之守の傍へ歩き、隣に立った。たまにはリーダーに気を使うのも悪くないだろうと。


「たしかにいい景色だ。ベンチから見るよりもずっといい」

 宮之守は下の道路へ目を向けていた。


 佐藤はため息をつき、宮之守の背中を叩いた。

「いっ!? った!」

 宮之守は背中に腕を回しながら小さくその場で跳ねながら佐藤に抗議の目を向けた。


「気合、入っただろ」

 佐藤は大声を上げて笑った。いつもの宮之守ならそれで話しのきっかけにでもなるはずだが宮之守は思いつめたような顔をしたままだった。

「はぁ……。おれがバカみてぇだろ」


 それから少しして、決心がついたのか宮之守はようやく重い口を開いた。

「今度の戦いにおいても私たちは負けが決まってしまいました」


 タワーマンションを監視する隊員からは不気味な報告が上がってきている。

 この四十八時間の間にタワーマンションに入る人はいても、出てくる人はいないとのことだ。それはつまりタワーマンションが既にレデオンの城と化していることを意味する。



 佐藤は自分の手を見、開き、閉じる。

「そうだな」

 否定しようのない事実だった。レデオンはおそらくまた同じような手でこちらに戦いを挑んでくるだろうことは容易に想像できていた。囮作戦はレデオンを発見するという意味では成功したが、時間を与えてしまったという意味では失敗している。


 宮之守は開いては閉じられる佐藤の手をチラリと見て、また景色に目を向けた。

「私とエリナ。佐藤さん。封鎖部隊の全員が同じ罪を背負うことになります」


 そんなことはさせない。佐藤は宮之守の言葉を力強く否定したかった。断言したかった。現実はどうだ? そんなことは無理だとわかりきっている。


「そうだな」

 佐藤はフェンスを握る手に力を込めながら宮之守の言葉を肯定した。


 それこそが誠実な返答だと信じて。たとえ消えない罪を背負うことになろうとも、偽りの励ましはかえって残酷ではないかと佐藤には思えた。


「皆には背負ってほしくなかった。私だけで充分だって。佐藤さんにだって背負ってほしくない」

「民間人を手にかけるかもしれないのが、怖いか?」


 宮之守は自分の手を広げて見て、それから湾の向こうの都市を見た。

「いいえ。それについては怖くなくて、なんというか。不思議と心が落ち着いているのが嫌なんです。犠牲を数の大小で語りたくはないですが。私がこれまでに手にかけた人を思えばずっと、ずっと少ない。命の数を天秤にかけて仕方のない事だと割り切っている自分が怖いんです。これからもレデオンが誰かを殺すことを思えばずっと少ないって思うことが」


 佐藤は自分の耳を疑った。これまでに手にかけた人だと?

「どういう意味だ?」

「佐藤さんには死者たちが見えているんですよね。私も同じです。この手はもうとっくに血塗れなんです。佐藤さんの手よりもずっと、ずっと赤くなってしまっていると思っています。いろいろ混ざってどんな赤よりも濃く、黒い赤に」


「俺の分かるように言え」

「私のこの手は佐藤さんの血と、佐藤さんのご両親と、あの小さな町の沢山の人の血に、あの墓参りであったお婆さんの大切な人の血も。……私の手は濡れているんです」

 佐藤は手すりから手を離し、宮之守から僅かにあとずさった。無意識にとった行動だった。


 宮之守はそれに一瞬だけ悲しみの表情を向けたが、佐藤が気がつくよりも早く打ち消し、構わず続けた。

「黒い病のこと覚えてますか?」


 宮之守が佐藤の方をまっすぐと向いた。

「佐藤さんの前世。転生する前の死亡の原因……。あの病の原因が私だと言ったら、どうしますか?」

「ハハ……。何を言って……」


 佐藤は宮之守の口から飛び出した言葉に困惑し、乾いた笑いを上げた。たちの悪い冗談であってほしいが目の前にいる彼女の表情はまったくそんな様子を感じさせない。


 何の証拠もないでまかせだ! 佐藤はそう自分に言い聞かせようとしたが、宮之守の凛としながらも隠しようのない悲しみに染まっていく表情はそれを否定している。


「私は、悪い人間なんです。いいえ、人間ともいえない」

 宮之守から発せられる言葉は自罰的であった。まるで佐藤に自分を裁いてほしいかのようだった。


 佐藤は声を震わせながら言った。

「おい。笑えねぇぞ。くそ面白くもない冗談なんか言ってんじゃねぇぞ! 悪い人間だ? そりゃ、おまえは必要とあればどんな手段もとれる人間なのかもしれないが。でも悪人じゃない。悪人っていうのはレデオンみたいな奴を言うんだ!」

 佐藤はレデオンのいるタワーマンションを指さした。

「あいつは人をなんとも思わない! おまえは違うだろう!」


「レデオンより……。そう、彼よりもずっと私は人を殺してしまっている」

「黒い病つったな。おまえはどこかでそれに感染し、知らずに広めてしまったが運よく免疫があって助かった。これだ! そうだろ? そうだ、保菌者になった。だな?」

 佐藤のそうであってほしいという願いだった。

「私は……」

「そうだと! ただ一言くれればいいんだ!」


 佐藤は宮之守の言葉を遮って両肩をがしりと掴んで懇願した。

 もうこれ以上は彼女の口から何かを吐き出させたくなかった。事実かどうかはもはや重要ではない。彼女の口から残酷な言葉が吐き出されることに耐えられなかった。自分と両親の死に関わっていることが事実だとしても。多くの死に関わっていいたとしても。


 宮之守は片方の手で佐藤の腕にそっと手をのせ、憂いのこもった瞳で言った。

「私はこの世界の人じゃないんです」

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