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第63話 ミーシャの館

 しばらくして竜の女は何の前触れもなく音川の前に姿を現した。

 音もなく、気が付くと音川とラギのいるテントの中に立っており、朝の支度中の二人を大いに驚かせた。


 竜の女は二人を一瞥すると何食わぬ顔で焚火の傍に腰をおろした。

「早く着替えて。すぐに出よう」


 ラギは音川の後ろ隠れながら顔だけを覗かせて声を荒げた。

「すぐに出るって……。いきなり来てなんなのさ。名前も知らないよく分からない奴のことなんか信じるもんか!」

「ミラーナ。名前を言ったぞ?」


 ミラーナは暇を持て余すように焚火に火かき棒を突き入れ、舞い出てきた火の粉を退屈そうに見ていた。

「おまえたちの探し人にも関わることだ。嫌とはいわないだろう? それに音川。おまえの最後の質問のことも」


 音川とラギはおたがいの顔を見合わせ、音川が一歩前に出る。

「どこへ行くの? 行くならまず場所を教えてください」

「捨てられた古い館へ。ここからはかなり遠いが転送魔法ならすぐに辿り着く」


「転送魔法っていいました?」

「それが何? おまえたちを拉致した時にも使ったが」


 ラギが再び声を荒げた。

「そんなの分かるわけないじゃない。突然落とし穴に落ちたみたいで、一瞬で気を失ったんだから!」


「うるさいな。また口を閉じられたい?」

 ラギは唸り声を上げ、音川の後ろ隠れながらミラーナを睨みつけた。


 音川は自分の袖を掴むラギの手に手を重ね、落ち着かせながら静かに言った。

「あなたを信じられる根拠がほしいとこだけど……」

「ふん、あいにくそんなものは持ち合わせがなくてね。ま、そんな事を聞くってことは行く気がないってことか」


 ミラーナは立ち上がった。

「あたい一人で行くとするよ」

「行かないとは言ってないです」


「マミ。信じてもいいの?」

「そのために色々やってきて来たんだから。進むだけ。でもラギは無理してついてくることないんだよ」


 ラギは少しの沈黙のあと音川の目をまっすぐと見た。

「……行く。姉さんのことだもの」





 魔法使いの町グリアより遥か遠く離れた山中にて魔法陣が開かれた。

 ミラーナが姿を見せ音川が後に続いた。その後ろをラギ、唐田が、そして最後にインが歩く。


 周囲は鬱蒼と生い茂る木々に囲まれ、高く伸びた幹の先の枝の細い葉が幾重にも重なり影を作っている。館に行くと言ったがあたりには館どころか、そこへと繫がるような塀も道も何一つとして見当たらない。


 インはあたりを確認すると傍の大木に近づいて故郷を懐かしむように手を這わせた。その大木は実際にリーイェルフのものに似ていた。


 ミラーナはその様子を黙って見ており、インは視線に気がつき、顔を向けた。

「何か?」

「いや、別に」


 ミラーナはただまっすぐと進んでいく。音川は未だに彼女への不信感を拭いきれずにいた。何かの罠なのだろうかと。


 音川は不安を悟られぬように普段通り振舞った。

「本当にこっちなんですか?」

「昔、この先にある館にとても活発な子どもが住んでいた」

「え?」


 ミラーナは歩きながら続けた。

「名前をミーシャ。綺麗な宝石の様な赤い髪をした少女だった。両親に愛されて育ち、彼女も両親を、人と自然を愛した。貴族の子に似合わぬお転婆で屋敷を抜け出しては野山を駆けまわり、召使を困らせ、服を汚しては母親に怒られた。彼女にはある特技があってね。物に向けて思考を向けると動かすことができた。気がついたのは十三歳の誕生日。ご馳走に置かれた蠟燭の炎に何気なく意識を向けていたときのこと」


 後ろを歩くインが言った。

「魔法でしょうか?」

「魔法ってほどじゃないけど。そうだね。原初の魔法、とでも言おうか」

「待ってください。原初とは……。いったいいつの話をしているのですか?」


「まぁ聞きなよ。面白くなるのはまだ先さ。初めは蝋燭の火を少しだけ揺らす程度のものだった。気がついてからは館を抜け出し、森の小さな滝の傍で練習をするようになった。もっと火を大胆に操れないかって自室の蝋燭を持ち出してね。両親には秘密だ。貴族の娘が火で遊ぶなど行儀のいいことではないからね。でも練習して上手に操れるようになれば。炎で美しい花を作れたなら両親だってきっと認めてくれる。彼女は外に出たかった。令嬢として生き、どこかの知らない貴族に嫁ぎ、一生を狭い館で暮らすなんて考えられない。少女は家を抜け出すたびに振り返って眺める高い鉄柵を見てはそう思った。現実を知らないが故の少女の儚い抵抗ってとこかな」


 ラギが言った。

「その子の努力は実った?」

 ミラーナはふっと笑った.

「続きが気になるんだ。狼の娘」

 ラギは顔を逸らした。

「別に……」


「十五の誕生日。少女はついに両親に披露することにした。豪華な装飾と沢山のご馳走が乗ったテーブルから意気揚々と席を立ち、段上に上って賓客の前で彼女は大きな炎の美しい花を咲かせた。天井に迫るほど大きく、熱く。彼女のこれまでの努力を見事に咲かせた……。もう結末はわかっちゃう?」


 ミラーナは意地悪な笑みを浮かべながら音川を見た。困った音川が何か言おうとするとミラーナはあえて意地悪に遮った。


「ま、カーテンを少しばかり焼いたけど、彼女はその炎すらも見事に操ってみせた。もちろん誰も怪我させてもいない。皆がその光景に見とれ、炎の披露宴は大成功に終わった。と言ってもそう思ってたのは彼女だけだったんだけどね。賓客たちはみな恐ろしいものを見る目を少女に向け、無言で立ち去った。ただ両親だけが褒めてくれた。その笑顔が硬い事にも気づかず少女は喜んだ。二日後、悪魔信仰をしていると地域の村人が押し寄せた。それからはとんとん拍子さ。気がつけば両親とそろって絞首台の縄が細く白い首に巻き付いていた。床が落ちるまでの間、見物人や扇動した人の中には披露宴の賓客で見た顔がいくつもあったのを少女は怯えながらもよーく見ていた。あぁ、なんと悲しいのでしょう」


 ミラーナが立ち止まった。周囲には何もない。ただ木が生えているだけの代り映えしない景色だ。ミラーナは地面に手をついてふうと息を吐いた。すると木の輪郭が崩れて霧が晴れるように消えていき、古い館が姿を現した。


 音川が進み出て、正門に手を触れる。森の中にあったというのに錆びも苔もついていない。古い館というには異質な雰囲気がある。森の木々を寄せ付けず、人の領域と自然の領域がその門と塀を境に明確に別れているように見えた。


「これが女の子の住んでいた館? 持ち主はもういないようですが……。まるで時間が止まっているかのよう」


 持ち主は絞首台に掛けられた。ここに繋がる道もない。それなのに門から伸びる道には落ち葉の一つも落ちておらず、庭の花は色とりどりの鮮やかさで手入れが行き届いていた。


 ミラーナは言った。

「そう、ここの時間は止まったまま。もう何百年も。違うな。んーと、もっとかな」

 インが口を開いた。

「何百年も? あなたはいくつなのですか?」

「忘れたね」


 ミラーナは正門を押し開けると時間が動き出したように門の内から風が吹き、初夏のにおいがあたりに満ちていった。まるで屋敷全体が主人の帰りを喜んでいるようだった。


 館へと続く石畳を歩き、中ほどに差し掛かったところでミラーナは足を止め、目を細めた。

「ふむ。客を呼んだ覚えはないんだけど」


 ミラーナの視線の先には誰かいる。玄関の扉に寄りかかり座っているようだ。音川もミラーナの視線の先に目を向け、そして目を見開いた。


 輝くような銀髪に整った幼い顔。目をつぶっている様はまるで人形のようで良く知っている人物に似ている。もしやと思い、音川は思わず駆け出し、その予想は的中した。


「どうしてここに!」

 扉に寄りかかっている人物はエリナであった。服装はいつもの白いワンピースでなく戦闘服だが間違えようがない。ところどころ服は解れ、破け。白い肌を陽の光の下に曝しているが傷は見当たらない。


 音川が頬に手をふれ呼びかけるが応じず、眠りったままのエリナは本当に人形になってしまったかのようだった。

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