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第62話 角と尻尾

「しつちょうだ?」

 宮之守の顔をした女は粗野な口調で聞き返し、外套の下で腕を組みながら赤黒い尻尾で神経質に石畳を繰り返し叩いていた。


 音川の頭が突然に痛み出し、小さな呻きを上げて床にへたり込んだ。

「うっ! ぐ……」


 ラギが心配そうな声を上げた。

「ちょっとあんた! ねぇ大丈夫なの!」

「あんたには鍵がかかってんだったね」

 竜の女は舌打ちすると檻を開け、音川のそばによると屈みこみ、手を近づけた。


「近寄るな! 何かしたらあたしが許さないんだから! その白い肌を足の爪で引っ掻いて、それから喉に噛みついて引き裂いてやるんだ!」

 ラギは格子に近づいてガタガタを力いっぱいに揺らしたが女は鼻で笑うだけだった。


「はいはい。弱虫狼っこはそこで吠えてなさいね」

「脅しじゃなくて本当な―!」

 ラギの口が突然自分の意志に反して閉じられた。


 ラギは慌てて、自分の口に指をあててこじ開けようとしたが唇さへ開けることができない。


「無理にこじ開けると怪我するよ」

 竜の女は倒れた音川を仰向けにさせ、顔に手を触れて自分の方を向かせた。音川は痛みに呻き、荒い呼吸をしている。


「ずいぶんと痛そうだ」

 女は音川から手を放し、自分の顎に手を触れ、思案し始めた。

「痛みがあるにしては……いくらなんでも強すぎるな」 


 音川は痛みに何もできずにいた。抵抗する気力も、立ち上がって開いた扉から走り出すこともできないが、それでもなんとか言葉を吐き出した。


「どうして、室長と同じ顔で……」

「ふーむ。いつものでやるか。少し我慢しな」

 女は音川の額に指をそえ、そして突き入れた。


 音川の額が水面のように波打ち、ズブズブと指が沈み込んでいく。音川は激痛に悲鳴を上げ、ラギは隣室から聞こえる悲鳴に耐えきれず恐怖に耳を塞いだ。


 頭の中をかき回され、何かが暴れてのたうつような感覚が気が狂うほどの強烈さで襲い来る。この世の全ての痛みが一点に集中していると表現するほかないほどのものが神経を犯しているようであった。


「あと、少し……! こいつ大人しく……しぶといな!」

 今や女の指だけでなく手首までが音川の頭の中へ入り込んでいた。

「掴んだ!」


 女がニタリと笑い、腕を引き抜く。手には一匹のムカデのような奇怪な生物が握られていた。


 手の中で必死に逃れようと暴れる虫を女は満足げに見て、自分の尻尾で虫を器用にからめとって掴みなおすと素早く立ち上がって壁際に向かい、薄い黄色の液体の入ったビンの中に放り込んできつく栓をした。

 虫は粘性の高い液体の中で藻掻いていたがしばらくすると動かなかくなった。


「さて……こいつはどうするかな」

 女は指を弾いた。するとラギのいる牢の扉がひとりでに開いた。ラギは女を警戒しながら隣の音川のいる牢へと速足で向かった。


「ねぇ、大丈夫なの?」

 ラギは音川に寄り添って声をかけた。

「あんまり大丈夫、とは言えないけど……」


 音川の頭の中には不快なにおいが漂っている。何かを麻痺させる古い薬品が撒かれ、かき回されたような感覚だったが、同時に窓が開かれたような晴れやかな感覚もある。

 音川は格子を掴んで立ち上がった。


 女は着替えながら部屋の奥を指さした。

「あの爺さんのとこに帰んなよ。出口はそこ」

「私の、魔法を解除したの?」

「した」

「どうして?」


 女は着替えを済ませると後ろを向き、虫の入ったビンをもう一度手に持った。虫はもう絶命しているようだった。


 女はめんどくさそうに振り返らずに言った。

「あんたにかかった魔法から、あたしの嫌いな奴のにおいがしたもんでね。邪魔してやりたくなった。突然に魔法であんたらを捕まえたのも、ついに私を始末しにきたかと警戒してね。牢に閉じ込めてたのもそのため。解除した料金はただでいいよ」


「私にかかっていた魔法は、何かを隠すためと、真相に近づいたら確実に殺すための魔法だって聞きました。てっきり、私は……」


「何か思い出すかと思った? この魔法にそこまでのものはこもってない。特定場所なんかに近づくのを無意識に避けさせる程度のものだ。かけた奴はその程度で充分と思ったんだろう。記憶を覗いたけど大したものもなかったし。さぁ、帰んなよ。こいつをどうするか考え中なんだ」


「人の記憶を勝手に見たの?」

「そういう魔法なもんで」


 音川がさらに情報を引き出せないか踏み出すとラギが音川の袖を掴んで止めさせた。

「ここはいったん帰ろう? ねぇ?」


 音川はその手にそっと自分の手を重ねた。

「怖いだろうけどもう少しだけ辛抱して。ナハタの手がかりがあるかもしれない」


 ラギは下を向き、怯えた目で竜の女を見て、それから音川を見ると頷いた。


「……まだそこにいるの? こっちも暇じゃないんだ」

「あなたによく似た……。いいえ。全く同じ顔の人を知っています」

 竜の女は黙っている。


「ナハタという子を知っていますか? 私の記憶を見たんでしょう?」

 女は答えず、ビンをランタンに近づけて虫を見ていた。


 音川はめげずに続けた。

「なら、宮之守絵里子という人は? あなたと同じ顔をした人の名前です。角も、尻尾もないけれど」


「知ってどうする」

「私の記憶を見たならその人の顔も分かるはず。何か知ってますよね?」


 竜の女が気だるげに指を弾くと二人の足元に黒い輪の魔法陣が出現した。

「後で呼ぶ。いや……、あたいがそっちに行く」

「ちょっと何を―」


 音川とラギは魔法陣に飲み込まれ、地下室より追い出された。二人は気が付くと町の入り口に立っており、そこにはヒミタ爺や唐田、そしてインの姿あった。


 ヒミタ爺が驚いた顔で駆け寄ると二人の肩に手を置いた。

「無事だったのか! 突然消えて、これからそこの二人を連れて探しに行こうと!」

 後ろにいる唐田が腕を組みながらもほっと息を吐いていた。


 インが音川に微笑みかける。

「良かった何事も無くて」

 音川を心配して気遣う言葉は本物でも、音川は素直にそれを受け取れなかった。


 ラギは緊張が解けたのかそのばに座り込んでしまい、音川はラギに優しく声をかけながら呟いた。

「……いろいろな事がありすぎるよ」

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