二人以外に誰もいないはずの部屋に響く女の声にラギは驚き、怯えた。音川は格子の向こうに目を凝らした。誰もいないと思っていただけで暗がりにまだ何かが潜んでいたのかもしれない。
「どこにいるの? 姿を見せて」
暗がりに向けて胸を張り、臆してなどいないという態度を見せる。何者であっても強がりでも、宮之守ならそうしただろうと考えての行動だった。
隣の牢に囚われたラギは子どもで大人として守るべき存在なのだ。手は届かなくとも、声だけでも前に立ってあげなければ。音川は拳を力強く握りしめた。
「ここにいるさ」
竜がおもむろに首をもたげ、宝石のような青い目で音川を見ていた。
ラギは目を丸くして飛竜を見つめ、音川はごくりと唾を飲み込んだ。飛竜はテーブルの上で身じろぎしラギを見て、次いで音川の赤い目を見ると目を細め、口を動かさずに声を発した。
「面白い目をしているなぁ。赤くて、綺麗で、気に障る色」
音川は怯んだが、一歩踏み出した。
「黙って盗み聞きとは趣味の悪い」
飛竜は口の間から黒煙が漏れ出た。
「へぇ、驚かないんだ。それとも強がっているだけか」
「怖がったところでなんにもならないでしょう」
「ふふ、たしかにね」
「目的な何なの? こんなところに閉じ込めて」
「そうだなぁ。もったいぶる話でもないし……。その前にこっちからも質問をしよう。人を探していたのはあんたらだよね。この町でそう言った話はすぐ耳に入る」
音川は自信のある態度をとりつつ、仕事の時のように丁寧な言葉遣いにすることにした。飛竜は少なくとも理性的なように見える。
「ええ、探しています。あなたの主人がその魔法使いでしょうか?」
すると飛竜は立ち上がり、見せつけるように赤黒い翼を広げ、口から黒い煙を吐き出した。顔は笑っているように見えた。
口から吐き出された黒くて奇妙な煙は瞬く間に竜の体を覆い隠した。煙は霧散せず、一所に留まって嵐のようなとぐろを巻き、激しく点滅する光が周囲を瞬きするかのように照らし、床にそして天井にまで煙は細く長くなっていくと形を作り出していった。人だ。人の形を作り出しているのだ。
「もう少し焦らしてもよかったが、やっぱりあたいには無理だね。辛抱は苦手さ」
ごう、と嵐の轟音が部屋を満たしたかと思うと風が吹き、テーブルに置かれた書物がハラハラとめくられた。煙は消え、中から女が現れた。服を纏わず、赤黒い髪を腰まで伸ばし、側頭部からは羊のような角が生え。腰には尻尾があり鞭のようにしなって石畳を叩いた。
飛竜だった女は石畳の上を裸足でぺたぺたと音をたてて歩き、壁に掛けられていた長い外套を乱雑にはぎ取るように手に持つと、ばさりとはためかせて羽織った。
音川は驚き、困惑していた。目の前の小さな飛竜が人になったからではない。もちろんそれもあるが、理由はもっと別のところにあった。
「どう? 驚いたか? ああ愉快、愉快」
音川を見る女の表情は不敵で自信溢れる笑みだった。
「どうして……室長がここに」