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第60話 届く


 頭にずきりとした鋭い痛みが走り音川は目を覚ました。痛みに頭を手で抑えつつ体をゆっくりと起こすと自分が全く知らない場所にいることに気が付いた。


 滴る水の音と湿った空気。あたりは冷えていて足の先は氷のように冷たくなり始めていた。

 三方を窓のない石壁にとりかこまれ、藁を薄く敷いただけの簡素な寝床と空の器。正面には堅牢な格子があった。音川は牢の中にいた。


 まだ町の中かそれか全く別の場所か定かでないが、状況からして何者かに拉致されたという事実は間違いないようだった。意識が冴えていくごとに言い様のない不安が音川の心の中に冷たさと共に入り込んでくる。立ち上がって格子を掴んで揺らしてみるが指先に冷たい感触があるだけでびくともしなかった。


 格子の向こうにはテーブルがあり、その上ではランタンが光っている。中に火はなく、かわりに光る石が鎮座し、周囲を薄いオレンジの光で照らしていた。


 ぼんやりとした光を頼りにあたりを伺うと、どうやらここは何か薬品を扱う実験室のようだ。テーブルには奇妙な図形の描かれた羊皮紙や何かの欠片や骨のようなものが。

 棚へ目を向ければ薬品や薬草が所狭しと並んでおり、町の通りを歩くときに見た魔法使いの工房とよく似ていた。


「誰かいませんか?」

 返事はない。

「インさんなら……」

 人形でなんとかできるかも。そう考えたが、こうなる前の会話を思い出し、沸々と湧いてくる怒りを感じた。


「人を囮にして、物みたいに言って……」

 音川は深呼吸をし、冷静になるよう自分に言い聞かせた。


 ズキンと頭が痛む。自分にかけられた魔法のせいか、それとも疲労のせいだろうか。エルフの来訪にレデオンの襲撃、ナハタのこと、草原での戦い、突然に聴力が冴え渡ったこと、ヒミタ爺、インの言葉……。


 音川は弱々しく独り言ちた

「嫌になる……。いろいろ起きすぎだよ」

「マミなの?」


 聞いたことのある声がして音川は顔をあげた。

「ラギ?」

「……そうだよ」

 鼻をすする音が聞こえた。耳は冴えていても、不安と微かにのこる頭痛によって隣から聞こえたはずの音を聞き逃していたらしい。


「どこにいるの?」

「隣の牢。静かだから誰もいないと思ってた」


 気の強いラギの声は弱々しいものだった。高校生ぐらいの年齢の子が一人でここに囚われていれば不安でいっぱいなるはずだ。

 音川は先ほどまで感じてい冷たい不安よりも、ずっと冷たいものが彼女の中にあることを考え、自分を奮い立たせた。私が守ってあげないと。室長ならきっとそうするはず。音川は優しく落ち着いた声で話しかけた。


「きっと大丈夫。なんとかなる」

「うそ……。なんともならないよ」

 ラギは自分の言葉でさらに絶望を深くしてしまい、すすり泣いた。


 ラギがそう言うのも無理はない。言葉だけで解決できるような状況でないのだから。

 音川はふとテーブルに自分の荷物が置かれていることに気がついた。スマホに財布……。それから護身用のリボルバーと予備弾の込められたスピードローダーが一つ。


 対策室のスマホには簡易的な信号の発信機能がある。地球との交信は不可能でも唐田のスマホに位置情報を送れるかもしれない。幸いスマホはギリギリ手が届きそうな距離にある。音川はスマホを掴み取ろうと格子から手を少し出したが奇妙な違和感を覚えて手をひっこめた。


「……不用心すぎる」

 異世界の住人がスマホやリボルバーがどんなものか理解はしていないだろう。そうだとしても牢の目の前にこのようにして物を置くだろうか。音川は音に集中し、深呼吸して意識を闇へ向ける。すると潜んでいる何かの息遣いが聞こえた。


 音川は改めて周囲を見渡すと棚に置かれた壺の隙間から二人を睨みつける二つ目があることに気がついた。青い瞳に縦長の瞳孔をもったそれは音川の視線に気がついたのか、ゆっくりと立ち上がって暗がりから姿を現した。


 山羊のように湾曲し前方へ伸びる角。体は赤黒くごつごつとした金属質の鱗に覆われ、一対の翼に一対の脚と一本のしなる長い尾がある。器用に丁寧にかつ素早く足を動かし、棚に置かれた壺の間を縫うようにすり抜けると棚からテーブルへ飛び移って欠伸をして丸くなった。


 音川は思わず後ずさった。

「竜……?」


 猫ほどの大きさだが紛れもなく竜であった。あのまま手を伸ばしていたら食らいつかれていたかもしれない。音川は自分の伸ばしていた方の手を無意識にさすっていた。


「番人ってわけなのね」

「飛竜がいるなんて。どうしよう。これじゃ扉が開いたって逃げられない」

 ラギは泣き出してしまった。


 音川は務めて穏やかな声で話しかけた。

「ラギ。ナハタはどんな子だった?」

「……え?」


「何でもいい。知りたいの」

「状況分かってるの!? いま話すことなんかじゃない!」

「それでも聞きたいから」


 解決策はわからない、脈絡のない会話だとも理解していた。それでも先ずはラギを落ち着かせ、安心させたいという気持ちから出た言葉だった。


 ラギは涙を拭いながら飛竜を見た。二人を見ているが少なくとも牢にいる間は襲ってくることはないようだ。他にできるとことは何もないと観念し、鼻をぐすりと鳴らして、ぽつりぽつりと話し始めた。


「姉さんみたいな人」

「みたいな?」


「うん。前に戦争があって、もともとは別の村だったんだけど、お父さんもお母さんも死んじゃってからヒミタ爺のとこに何人かと合流したの」

 ラギは言葉を発しているうちに心が自然と落ち着いていていった。


「人と素直に接するのが苦手で、自分でも思ってもみない事を人に言って困らせたりして。でも姉さんはそんな私に優しくしてくれて、いろんなことを教えてくれた」

 音川は静かに聞いて「それから」と優しく言って続きを待った。


「あるとき帰りが遅くて、聞いたら新しい友達ができたって。私はまだ小さかったから連れて行ってもらえなかった。後になってあんたの事だって分かった。あたしはなんだかそれが……。仲間外れにされた気がして、喧嘩した。それから仲直りの切っ掛けが掴めなくて気が付いたらいなくなっちゃって」

 音川は何も言わなかった。ただ黙って聞いていることがラギには必要だと思ってのことだ。


「あんたに……辛く当たったのは。あたしが姉さんを探しに行こうって爺にいっても、家出だ! 気にするな! って話を聞いてくれなかっのに、あんたが現れてからころっと態度を変えたからなんだ。長くこっちで生活してきたあたしの言葉は信じないくせにって……。つい苛々として。ごめん。良くないのは分かってたんだけど」


「私も同じだと思う。同じ立場になったら、憤って当たり前だと思う。それに人って近すぎる人からの言葉はかえって届きにくいものなんだと思う」

「そうなの?」


「近いと見えなくなっちゃう。そんなものなんだ。それだけラギのことも大切にしてる証なんだ」

「そう、なのかな? よくわからないよ」


 その時だった。飛竜が長い首をゆっくりともたげた。

「なるほど、ためになるかもね」

 二人を嘲笑う声が静かな牢の中に響いた。

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