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第59話 それともう一つ

 石と木の外壁。滲みだすようにへばり付いている苔。石積みの煙突からはもうもうとした煙が昇っていき、赤茶色の屋根に薄っすらと影を落としていた。


 長い角を有した馬に似た獣が荷馬車をひいていく。車輪が轍の水たまりを蹴散らし、音川の服と頬に飛沫を散らした。


 建造物はヨーロッパの伝統的な建物を彷彿とさせ、異世界であるにも関わらずどこか親しみを覚える。


 道行く人々は角が生えて居るでもなく、翼があるでもなく、地球の人と似た姿をしており、目も鼻も耳も同じ形をしていた。違うことと言えば、皆どこか不健康そうな白に近い、やや灰色っぽい肌色をしていることだろうか。

 町の名はグリア。魔法使いたちの住まう町だ。


 音川は服についた泥をはらいながら商談と聞き込みを進めるヒミタ爺の傍に立って、鋭い聴覚で会話を聞きつつ、通りを眺めていた。

 隣に立つラギはいかにも退屈そうなため息を吐き出し、小石を蹴飛ばした。

 幾つかの店を周ったが背負った籠が軽くなるばかりで進展はない。


「次は露店の並ぶ通りへ行ってみよう。あそこには顔なじみもいる」


 露店の並ぶ通りへ足を踏み入れると独特のにおいと聞きなれない奇妙な音で溢れていた。燻された薬草や香に油。火薬の燃えるようなにおい。露店の天井より吊るされる正体不明の道具は風に揺れ、ぶつかると怪しげな音を鳴らして光り、道行く客人たちを誘う。


 棚やテーブルに並ぶ鉱石の放つ燐光。悲鳴のような音を奏でる鈴。黒い布の上に鎮座する水晶の奥では肌を露出した踊り子たちが艶めかしく踊っている。

 怪しげな工房を覗き見れば奥では極彩色の炎が炉の中で揺らめき。棚に並ぶビンの中では見たことのない虫が蠢いていた。

 ヒミタ爺は幾多の露店の並ぶ通りで、一つの店の前で足を止めた。


 痩せた店主は退屈そうに紫煙をくゆらせていたが、店先に立つなじみの顔を見ると、眉を上げ、軽く顎をしゃくって挨拶した。

「久しいな。まだくたばっちゃいなかったか」

「この店もまだ潰れてはおらなんだか。しぶといもんだ」


 互いの口ぶりから、付き合いはそれなりに長いことが伺えた。二人はテーブルの上で互いの商品を行ったり来たりさせていく。また背中の籠が少し軽くなった。


「こいつは硬貨で買い取ってくれ」

 一束の薬草がテーブルに置かれた。上等な煙草に使われるものであるが、音川にはまるで雑草と区別がつかなかった。


 店主は珍しいものを見るような目でヒミタ爺を見て、僅かに目を細めて笑い、すぱすぱと煙を吸った。


「もしやと思っていたがおまえだったか。人探しをしているとかいうアフェリパの爺ってのは」

「かなわんな。話しが周るのが早すぎるな、この町は」


 テーブルに上等な煙草を買うに相応しい数の硬貨が並び、ヒミタ爺はそこから買いたい情報だけの差し引いて袋に詰めた。


 痩せの店主は手元に帰って来た硬貨を数え、それから受け取った草のほんの一部を指で千切り、咥えていた煙管の中に詰めた。


「混ぜたら味が落ちるだろう」

 店主はヒミタ爺の忠告も聞かず、煙を吸い、そして吐く。とても満足げであった。


「行方不明のガキに、記憶の魔法を解けるやつねぇ……。知らないね。少なくともここと、南三番通りの連中には聞いても無駄だ。二番通りの連中もだな」

「ふーむ。そうか、助かるよ。ではな」


「待て、次はいつ来る」

「さてなぁ。明日のことも分からん身ではなんとも」

「次来るときはもっと量を頼むよ。やはり爺の持ってくるやつが一番だ」

 痩せの店主は自分の吐き出した煙を恨めしそうに眺めていた。



 店主に別れを告げて歩き出し、少しした離れたところで音川はヒミタ爺に小声で言った。


「ねぇ。今の人、お金貰って知らないって。そんなの許されるの?」

 音川は眉毛を八の字に曲げて、金を受け取りながら知らないという店主の不誠実な態度に憤っていた。


「ここじゃそういうものなのさ。それに知らないということも立派な情報さ。知っていればあと数枚の硬貨を付け足してやれば気前よく教えてくれる。自分じゃ知らないから親切にも知っていそうな奴のいる通りを教えてくれたのさ」

「そうなの? でも、もし嘘をついていたら……」


 ヒミタ爺は三つ編みの髭を撫でながら考えた。

「それはないな」

「どうして?」

「嘘を付けば互いにわかっちまうさ」


 そういうものなのかもしれないと思い直した。この世界での世間との付き合い方はヒミタ爺の方が圧倒的に熟知しているのだ。


「あんたって、見かけより世間知らずなのね」

 隣を歩く娘がぶしつけに言葉を吐き、そのとげとげしい口調に少しばかり音川はムッとする思いだ。


「だってこっちの世界のことは何もしらないのに。……これでも、向こうの世界ではそれなりにやって来たんだから」

「へぇ、どうだか」


 なんなのこの子は!

 心の中で文句を言いつつ、音川は熱くなりそうな顔をさすって自分の気持ちを隠そうと務めた。生意気な小娘に大人の自分が少しばかり苛立っているだなどと知られたくはない。


 それに音川から話しかけてもこの娘は口をなかなか口を聞いてくれない。

 ようやく口を開いても。「ふうん」「あっそ」「へぇ」の三つで済ませてしまう。寛大な心を維持するにもそれなりの労力を要するというものだ。音川は面倒になり始めていた。このところ、色々な事が起きすぎている。


「ラギよ、すこしはマミを敬いなさい。年上なのだから」

 後ろの様子に見かねたヒミタ爺はラギを優しく諭した。だが一向に悪びれる気配はなく、むしろ態度はより悪化した。


「年上だからって無条件で偉いの? この人が? わぁ、知らなかった! あんたって偉かったの! もしかしてどこかの王女様なのかしら? で? それが何か私に関係あるの?」

「ラギ」

 ヒミタ爺は振り返り、じっと見つめる。


 ラギはため息をつき、ぐるりと目を回した。

「わかったよ」

 それ以降、ラギは顔を背けて黙り込んでしまった。


 音川は彼女に嫌われることをした覚えはもちろんないが、ここまでの態度をする理由はやはりナハタのことが関わっているのだろう。


 仲良くできるのならそうしたい。ただその突破口になる会話の糸口は霧の中にあるようでまったくもって見えない。

 妹とはもしかするとこういうものなのかな。と、一人っ子だった音川は想像を巡らせてみたが、やはりなにも案は浮かんでこなかった。


 ズキン。


 突然に頭が痛み出した。

「……う、ぐ」

 小さなうめき声をだし、音川はその場に蹲った。


「何? 何なの?」

 さすがのラギも突然の異変に困惑し、ヒミタ爺を呼び止める。

「爺! なんかおかしいよ!」

 すかさずヒミタ爺が音川に駆け寄り、肩に手をそえた。

「どうした? 痛むか?」


 音川は出発前にインに呼び止められた会話を思い出していた。記憶の鍵についての話しだ。


「記憶の鍵の魔法がひき起こす痛みには二つの役割があるのです。一つは痛みによって無意識に真実から遠ざけるため。」

「もう一つは?」

「もう一つは、動けなくして確実に殺すためです。痛みを覚悟で真相に近づく者への最終手段として」

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