佐藤は扉を閉め、爪先をエレベーターホールへ向け、歩き出した。ホールに辿り着き、ソファーに腰をかけたがどうにも体が、心が落ち着かない。すぐに立ち上がってしまい窓に背を向けて縁に座りなおした。
外からの秋の日差しはまだ夏の熱がこもったままで、照らされているうちに体が熱くなってきていたが、原因は別にあるようだった。
佐藤は目頭を指でつまみ、指先が少しだけ濡れていることに気が付く。
目が熱い。体が燃えている。心が揺れている。頼りないと思っていた青年の放った意外な一言に彼の心は動かされた。
「勇気ね」
佐藤は手を組み、床を見つめ、心の内に意識を向けた。
佐藤の手には、民間人を殺したときの感触がいまだに残っている。柔らかな肉を貫いて心臓を一突きにした忌まわしい記憶だ。
手のひらをさすっても消えてくれない生々しい感覚は、あの場にいた人々をこの手で殺したこと、その罪そのものだ。
幾ら手を洗おうがタオルで拭おうが消えない。消えていいものでもない。それでも救われたいと思ってしまう。夢であってほしいと思いながら朝を迎える。
“自らが振るう剣が正しいと疑わぬ者の振るう剣ほど怖いものはない。”
エリナの言葉を思い出し、西島の言葉を思い出す。
“少し勇気をもらった。”
言葉をそのままの意味なら佐藤が民間人へ剣を振り下ろしたことを肯定することになりうるが、西島はそう言う意味で言ったのではないことを佐藤はわかっていた。
西島は佐藤が苦悩する姿を見て、自分のできるこれからのことを彼なりに考えた結果があの言葉だったのだ。
「応えてやらなきゃな。せめて勇気をあげた分くらいは」
手のひらをさすり、握る。すると握った拳の隙間から血がぼたぼたと流れ落ち、床に零れると瞬く間にホール一面がどす黒い赤に沈みこんだ。
佐藤の額に脂汗が浮かび、鼻の奥にはアレイと車に乗った時と同じ、血の臭いを感じた。
死者たちがぬるりと床からせりあがってきた。
眼孔だけの顔、落ちかけた下顎。露出した骨の隙間から見える傷ついた臓器。胸に開いた鋭い剣の傷跡……。窓からの光はより鮮明にそれらを照らし佐藤に見せつけた。
「おまえが殺した」
死者の一人が、腕を震わせながら佐藤を指さした。
「……そうだ。俺が殺した」
「助けてくれなかった」
一人が、落ちかけて傾いた頭をぐらぐらと揺らして言った。
「そうだ。助けられなかった」
佐藤は一度、目を伏せ、開く。
「……だから背負う、おまえたちの思い。無念、恨み、悲しみ。怒りも全部。俺の罪として背負ってやる」
佐藤のそのまなざしは力強さに溢れていた。自分が手にかけた死者の顔を一人一人、順番に見て、そして立ち上がる。
「勇者などと、もう名乗れるような人間じゃない。でも……そうでなくともやれることをする。足掻き続ける。おまえたちにやれること見せる。……これぐらいしか今は償いはわからない。俺は……弱いからな。だから共にいてくれ。見守ってくれとは言わない。ただ見ているだけでいい」
佐藤は目を閉じ、次に開けるときには死者たちの姿はすでに消えていた。
微かに残る血の臭いが、幻覚と今が地続きの現実であることを教えてくれ、自分が間違いなく死者に向けて言葉を投げかけたことを自覚した。
「あれだけの事をして何も感じないんですか?」
レポーターと目を合わせ、逸らす。
「背負っているんだ。今は」
「え?」
言葉の意味を知らないレポーターを引き離し佐藤は前を向いて歩き始めた。