朝。佐藤は眠い目を擦りながらカーテンを開け放ち、眩い光に目を細めながら着替え始める。
朝食は焼いただけのパンですませ、前日に袋に詰めて置いたゴミ袋を持ち、エルフのいるホテルへと向かうために玄関を出る。ここは宮之守が佐藤に用意したマンションの一室。久々の短い帰宅であった。
ゴミ袋を片手にエレベーターで四階から一階へ。今日は燃えるゴミの日だ。
エレベーターの扉が開くと、ロビーの玄関のガラスの向こうに人だかりができており、佐藤の肩は苛立ちと緊張で硬く強張る。
「マスコミの方々は今日も忙しそうでなにより」
吐き捨てるように言いながら、剣を収めた長く黒いケースを背負い直し、スマホを見る。
連絡用アプリ、イカレンには一件の未読メッセージがあった。
西島からの連絡だった。“手筈通りに、俺も頑張りますから。”と書かれている。
佐藤は息をふっと吐き、玄関から外へ出るとマスコミが佐藤に一斉に詰め寄って言葉を浴びせた。佐藤は無言でそれらを掻き分けながら進む。
異世界からの客人を迎えるパレードで起きた事件はテロとして各社マスコミは報じている。
何人もの民間人が凄惨な死を遂げた事件は格好のネタであり彼らの商売道具だ。
襲撃者は何者で、対応に当たった異世界生物侵入対策室とは何なのか。子どもを兵として使っているのではないのか。情報を求め、競い、群がる。
連日の報道で盛り上がりを見せるなか、マスコミ達はそのメディアの矛先を佐藤へも容赦なく向けた。
佐藤はゴミ袋を共用ゴミ置き場に投げ込みながら足早に歩く。カメラマンやレポーターが後をつけ、カメラとマイクを突きつける。
「民間人を何人も殺害して何か言うことはないですか?」
佐藤の眉毛がピクリと動いた。
「亡くなった方たちは薬物によって意識が朦朧としていたとの話もありますが、殺害するのはいったいどういうことなのでしょう? 警護のためとは言えやりすぎなんじゃないですか?」
「扇動した犯人はいまだ逃走中。この失態について何かありますか? それに子どもを戦わせていたという証言もありますが」
「あれだけの事をして何も感じないんですか?」
佐藤は一度立ち止まり、報道に燃えるレポーターの目を睨みつけたが、堪えろと自分に言い聞かせ、また歩き始めた。
苦悩、罪悪感。まるでそんなもの感じていないような物言いと、ずけずけと踏み込む言葉に今すぐにでも反論したい。できるなら殴りつけ、カメラを壊してやろうかと、佐藤の握る拳に力が入る。
「レデオンを殺してしまおうではないか」
佐藤とエリナを囮として使うことを決めた日。レニュは服についた煎餅の欠片を指で弾き飛ばしながら言った。
「いづれ殺すつもりであったが、場所と時間が変わっただけのこと。憂いはここで断つとしよう」
レニュにとってレデオンは自分が進む先に転がる不快なゴミ。彼女は華々しいカーペットに一つでも汚れがあることを許しはしない。
やるなら徹底的に、たとえどのように小さくとも確実に潰し、掃きころがして排除する。それがレニュであり、宗主として民に示さなければならない姿勢だと彼女は心得る。たとえリーイェルフから地球に来たとしても同じ。ましてや因縁の相手となればなおさらだ。
主に佐藤が囮として活動するにあたって対策室は佐藤の情報を第三者を騙ってネットに流すことにした。罪のない民間人を殺した男として、真実と嘘を混ぜ込んで脚色し、世間が食いつきやすい餌とする。
「俺も、手伝います」
そこに手を上げたのは西島だった。
「佐藤さんには、皆さんには怪物に襲われているところを助けてもらった恩があります。ネットに情報を流すのは俺にやらせてほしいんです。佐藤さんとエリナさんを売るような形で心苦しいところはありますけど……」
「できるの?」
宮之守の問いに西島は遠慮がちに、しかし力のこもった目で見た。
「やるなら俺が適任なんじゃないかと。これまでSNSとか動画とか……チャンネル登録者はそんなにいなかったけど、皆さんよりはそういったものに詳しいと思いますから」
西島は宮之守とレニュ、それに佐藤の視線に怖気づいて声が次第に小さくなっていった。
西島はそれまで対策室を辞めたいと考えていた。元は自分のまいた種だが、だとしても納得できるものでもなかった。
これは危険な仕事で、守秘義務など様々な契約書と共に掲示された給料の額はそれに見合うだけのものだったが、命の保証はなく、いつ死ぬかもわからないとなれば話しは変わってくる。
こんな仕事辞めてやるんだ!
レデオンの襲撃があったとき西島は作戦指揮車両の中で震えあがっていた。ドローンの外部マイクが拾い上げる断末魔と悲鳴は彼の精神をとことん追い詰めた。
宮之守の指示でいち早く小松と音川と共に現場を離れられたことに安堵したが、現場には佐藤とエリナが残っていることを彼はドローンのカメラ越しに知ることとなる。
カメラから見た佐藤の背中は小さく、肩は大きく上下に揺れていた。そこにマンドラゴラから自分を救い出してくれた時に見た彼の勇ましい姿はなかった。
守るべき人々に向けて剣を振るわねばならない佐藤の気持ちは西島にはわからなかった。
目の前で人が死んでいくのに、何もできない佐藤の悔しさも、剣を持つ手がいつしか震え、泣いているように見えたことも。背中を見て想像することしかできない。
「こんな仕事、ずっと嫌だなって。怖いし、死ぬかもしれないし。俺には絶対に向いてないって。あの日、バイクに乗って山に行かなきゃよかったって。でも、この前、戦っている姿を見て、佐藤さんから勇気を少しだけ貰ったように思うんです」
「勇気……?」
佐藤は眉間に皺を寄せ、厳しい目で西島を見る。
「あっと! その……! この前の一件を肯定することは……できないですけど。一般の人を手にかけたこと、きっと悩んでいるだろうなって……。俺には少しもその大きさはわからないですけど。佐藤さんを見てたら自分のことばっかりだったなって、なんだか恥ずかしくなって。直接に立ち向かう佐藤さんから見たら少しで、佐藤さんの持ってる勇気からしたら沢山じゃないけど、俺には充分もらえたっていう……か。言葉があんまり浮かばないんですけど。とにかく! とにかくですよ? この対策室のメンバーとして気持ちが改まったって言いたいんです!」
西島の鼻息を荒くして声を上げる様子に宮之守は優しく微笑む。
「わかった。それじゃぁ頼むね?」
「は、はい!」
「……悪い。俺はちょっくら席外すわ。すぐ戻るからよ」
そう言うと佐藤は部屋から出て行ってしまった。扉が締まると西島はさっきの勢いとは違い、不安そうな声を漏らした。
「その、言葉が悪かったですか? ……ですよね! 俺、謝ってきます」
扉の方へ向かおうとする西島の袖をエリナが掴んで引き留めた。西島は戸惑い、振り向く。
「行かなくていい」
「え、でも……」
「行くと気まずいぞ。それにあの男にも、弱いところはある」