ヒミタ爺いわく、村にはおよそ五十人ほどが暮らしているという。
「運が良かった。あの野獣どもは凶暴でな。裂け目の周囲にいつの間にか陣取るようになってしまって近づけずにいたんだ。ああして森に逃げてきたのは良い判断だった。それにもう少し日にちがズレていたら儂らは別のところに移動していただろうから、本当に運が良かった」
ヒミタ爺は自分たちをアフェリパ族と名乗り、今は皆をまとめる村長なのだという。
各地の薬草や獲物を求め、いくつかの居住地を季節問わずその都度の自然状況に合わせて周る生活をしており、地球でいう遊牧民のような生活を営んでいる。
音川のナハタが古い家に現れるのが不定期だったのはこのためだ。
「村長だなんて、前は言ってなかったよね?」
二人は切り株に腰を掛けて村を見ていた。ここからなら全体が見渡せる。
「あの時はそうだ。先代がまだ存命であったころだからな」
ヒミタ爺は腕に抱いた赤子をあやしながら言った。
「村長のがらじゃないんだが、皆に薦められるまま、いまはこうしておるのよ」
ヒミタ爺は遠くへ視線を移した。
家にぐるりと囲まれた中央の広場では、唐田が村の子どもたちの輪に加わって踊っていた。見よう見まねの踊りはあまりに下手で、滑稽なほどであったが、子どもたちにはそれが大変に面白いらしく、楽し気な笑い声が聞こえてくる。二人のいる位置からでもその様子は愉快なものだった。
「おまえさんの連れはひどいな。はっはっは! 見てみろあの情けない腰! この子の方がまだ上手に踊れるぞ! なぁ?」
ヒミタ爺は豪快に笑いながら腕の中の赤子を高く掲げ、つられて赤子もころころと笑い声を上げた。
「たぶん本人は必死だよ? 目が真剣そのものだもの。だからあんまり笑わないであげて」
「努力するが……無理だな! ははは!」
唐田は音川と老人が隣り合って座る様子をチラリとみて、ほっと胸を撫でおろす。
彼女からはいろいろとトラブルを持ち込まれたが、こうして笑っているのを見るのは悪くないものだと思えた。
唐田には彼らアフェリパ族の言葉はわからない。だが音川はどのようにして覚えたのか定かでないが、なんら違和感なく話せている様子だ。
耳の良さが関係あるのかもしれない。音川は草原で、常人ではなしえない聴覚の鋭さを発揮して見せたのだ。ナハタと出会う切っ掛けとなった時空の裂け目は小学生から高校生までの間、長期間にわたって音川の家の傍にあり続けた。
耳の鋭さはその裂け目より漏れ出る魔力に幼少期より曝された結果で、今回の裂け目に入り込んだことでより耳を強化する切っ掛けになったのかもしれないと唐田は考えたが、この場ではそれ以上の推測はできなかった。
唐田は音川が目覚めるまでの二日間の間、彼は言葉がわからないなりに交流を試みた。
インも目覚めてはいたが唐田に対しては協力的でなく、またアフェリパ族に対してもその態度は変わらなかったために翻訳魔法は使えていなかった。
しかたなく唐田は村人に助けてくれた礼を伝えようと身ぶり手ぶりで会話を試みようとした。
それは非常に滑稽な様子だったが、必死に何かを伝えようとする姿勢と、わからないなりに力仕事を進んで手伝おうとする姿勢に、村人が彼を受け入れるのに時間はかからなかった。
唐田は音川の方を見ていると、子どもに服の袖を掴まれた。どうやらもっと踊れと催促しているようだ。唐田はこれからの方針を話し合いたいが、今しばらく子どもたちに付き合うことにした。
「ヒミタ爺」
「ん?」
「インって人は知らない?」
「あの金髪で髪の長く、耳の尖った?」
「うん。その人」
ヒミタ爺は三つ編みの長いひげをしごきながら答えた。
「さぁなぁ。おまえさんを心配していたようだが。明るくなるとふらっとどこかへ消え、夜になるとまたどこからか帰ってくる。あのカラタという男とはずいぶんと印象が違う。目も合わせないし、口を聞こうともしない。そのうち戻ってくるだろう。おまえさんの口から無事を伝えるといい」
「……そっか」
音川は一番、聞きたいことを尋ねられずにいた。ナハタの行方をヒミタ爺なら何か知っているかもしれない。そう思っても言葉にするにはどうしてか抵抗があった。
ヒミタ爺と会話しつつも、目は自然とナハタの姿を探してしまっていた。そしてどこにも姿がない事を知り、今は薬草取りに出かけているのかもと自分と納得させようと試みていたが音川の耳は冴え渡って、違う答えを突きつける。
異世界に来てから鋭敏になった耳は村中の音を無意識に拾ってしまい、探してしまうが、この村のどこからもナハタの足音は聞こえなかった。まるでその音だけが世界から抜け落ちてしまっているようだった。
「おまえさんに伝えなきゃならんことがある」
ヒミタ爺は赤子を迎えに来た母親に返し、落ち着いたところで、さっきとは打って変わって重々しい口調で話し始めた。
音川はヒミタ爺の彫りの深い顔に落ちた影が、より一層暗くなるのを見た。
「あいつは……ナハタはいなくなってしまった。何か知らないか?」
音川は首を横に振り、俯いた。
ヒミタ爺はパンと自分の膝をたたき、肩を強張らせた。
「まったく! どこに行ってしもうたのか! 突然、何も言わずに消えてしまいおって! てっきりおまえさんならば知っているものと」
音川は俯いたままだ。
「ごめんなさい。私のせいで」
「なにを謝る。マミが……」
ヒミタ爺は音川を見て、目が潤んでいることに気が付つく。詳細はわからずとも音川なりに何か思うことがあり、危険を犯してまでここまでやってきたのだと思い至り、自分の怒りを投げ捨てて音川をそっと抱き寄せ、背中を撫でてやった。
ヒミタ爺はなぜ謝るのかもう一度尋ねると音川はここに来るまでのいきさつを伝えた。
この目を治すため、ナハタは魔法使いと取引をしたらしいこと、その取引内容はおそらく重いものであり、ナハタはそのために連れていかれたのではないかと自身の体験したことを伝える。
「では、その赤い目は」
音川は涙を拭いながら静かに頷く。
「そうか……。いなくなる数日前に何か悩んでいる様子があったが、そういう事だったか。言えばいいものを、バカ者が」
「魔法使いについて何か思い当たることはある?」
「さあなぁ。なにも。だが、魔法使いについて知っていそうなとこへこれから行く予定だ」
音川は顔をあげ、まっすぐとヒミタ爺の目を見た。
「それはどんなとこ」
「町だよ。魔法使いたちの町に行くんだ。そこに行けばおまえさんの記憶にかかった鍵を外すことも、ナハタの手がかりもあるかもしれん」