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第51話 矢と鬨の声


 放たれた弾丸は幸運にも唐田に噛みついていた猿の頭部に見事に命中し、猿はふらついて倒れた。

 唐田は起き上がって投げ出されたショットガンを掴もうとしたところ、別の猿に顔面を殴られる。

 猿の持っていた棍棒の一撃は唐田の意識を遠くへ追いやった。


「唐田さん!」

 音川は唐田に近づく猿に向けて発砲する。しかし弾は外れた。


 極度の緊張とすぐれない体調では満足に狙いも付けられるはずもなく、最初の一発はただの幸運であった。


 猿は銃口の向けられた位置に立たなければ良いことを理解している。そして音川は銃の扱いに慣れていないことをすぐに見抜き、からかうようにひょこひょこと跳ねながら視線を切って近づいてくる。


「音川さん!」

 インが駆けだそうとして背中に激痛が走った。苔の上に倒れ込んで、背中を切られたことを知る。


「動け! 人形! 動け!」

 人形は動かない。音川の銃声が響く中でインは自分の実力を呪った。


 目の前で殺されそうになっている人を助けることができず、震えながらも勇敢に立ち向かおうとする彼女の隣に立つことすらできないことに拳が震え、それならばいっそ二人を置いて逃げてしまえば良かったとすら考えた。


 ついに六発目の弾丸が外れて幹に穴を穿った。音川の背後には太い木があり、下がることもできない。


「ナハタ! ごめんなさいっ。ごめんなさい」

 音川は悔しさに滲む涙の向こうに友の姿を幻を見、目をつぶった。 


 錆と血に汚れた鉈が振り下ろされるとき、空を裂く音が聞こえた。次いで地面に何かが倒れる鈍い音が。

 死を覚悟していた音川が恐る恐る目を開けると猿が死んでいた。


 太く大きい矢が頭部を貫通し、勢いのまま地面へと突き刺さり猿を縫い付けるようにして斜めにそそり立つ。無様にぶらぶらと揺れる手足と白目を向いた目、傷口から流れた血が矢を伝って地面へと流れ始めていた。


「ホウ! ホウ! ホウ!」

 鳴き声のする方を見ると、二十メートルほど離れた位置の倒木の上に誰かが立っていることに音川は気が付く。


「人?」

 鳴き声でない、ときの声だ。そして弓を構え、矢をつがえる。張り詰めた弦から鋭く弾ける音がし、矢が射られた。


 唐田に食らいつこうとしている猿に矢が命中し、大矢は猿の体もとろも背後に木に磔にし、そして三射目でインの背後にいた猿も同じ運命をたどった。


「ホーウ! ホウ! ホウ!」

 人影は手を上げ、すると木の幹の隙間や倒木、枝の上や苔むした大岩の影から次々と人影が立ち上がって現れた。

 夜の僅かな月の光に照らされながら彼らは弓を勇ましく構え、狙いをすます。


 リーダーと思しき人影が手を振り下ろすと一斉に弦が弾かれ、無数の矢が空気を裂いた。

 猿どもは矢に打たれて倒れていき、木や地面、ときには大岩にさえも磔にされていった。


 矢を逃れた猿共は木の陰に身を隠し反撃を伺うが。だがこうなってしまっては留まったところで待っているのは全滅。群れは撤退を決めた。


 幾匹かは木や岩の影から腕だけを伸ばし、倒れた仲間の死体を掴むと乱雑に引きづって草原の方へと逃げ帰っていった。


 獣の足音が遠ざかり、かわりに弓を持った人々の足音が近づいてくるのを音川はその耳で聞いた。


 あの人たちは……敵?

 自分を守ってくれた男二人は意識を失って倒れ、彼女自身はもはや身を起こす力も、腕を上げ、リボルバーを構えて威嚇する力も残されていなかった。

 涙に滲んだ顔を覗き込まれ、恐怖に震えることしかできない。


 涙と闇夜のせいで顔は見えず、それが余計に彼女を怖がらせた。極度の緊張に体調の悪化と疲労。頬に何か温かいものが触れるが、もはや意識は深いところへ沈み込もうとしていた。


 何か話しているが、周囲の音と一体になった声はまるで判別がつかない。それでもいつか聞いた気のするしわがれた声と、薬草の匂いがほのかに香ると、彼女の心は安堵し、ついに力を完全に失って意識は深い闇の中にゆるりと落ちていった。




 何かが燃え弾ける乾いた音、熱。額と頬はひんやりとして、爽やかな柑橘系を思わせる匂いが鼻腔に入り込み、体の下には少し硬いものがあるが地面ほど硬くもない。


 何かが頬を突いてくる。

「……ん」



 そういえば、ナハタは私がうたた寝していないか良く頬を突いてきた。

「だって目をつぶってると寝てるか起きてるかわからないんだもの」

「声をかければいいじゃない」

「それじゃ面白くないし」


 ナハタ。ねぇ、どこにいるの? 私、あなたに会いたい。私ね、あなたのおかげで目が見えるようになったんだよ?



 しつこく頬を突かれて、音川はゆっくりと目を開ける。

 瞬きする音川のすぐ目と鼻で先で何者かが、あどけない大きな目をぱちくりとさせていた。


「……う、うわ! 誰?」

 顔を覗き込んでいた何者かは音川が起きたことに遅れて驚き、天井に頭をぶつけるほど大きく飛び上がって、歓声を上げながら外へと逃げていった。


「子ども……?」

 頬とおでこ違和感を覚え、手を触れると何かが塗られていることに音川は気が付く。指の先についた粘性の高いものの匂いを嗅ぐと柑橘系の香りがする。


「軟膏……? そうだ! 二人は!」

 唐田とインの姿がない。急いで立ち上がろうとするも、ふらついてその場にへたり込んでしまった。


 頭はかっと熱くなり、胸の奥で心臓はゆっくり動けと警告している。音川は素直にそれに従うこにして、息を整え、心臓が落ち着くのを待ちつつ、周囲に目を向けた。


 硬い寝床は植物を編んで作られた物で、すぐそばには水の入った木製の容器があった。

 周囲は円になるように組まれた木の柱が並んでいて、柱にはなめされた動物の毛皮らしきものが縄で縛り付けられ、壁の役割を果たしているようで、時折風に揺れると地面との隙間から外の光をちらりと覗かせた。


 中央は一段低く地面が掘られ、薪が燃えている。

 煙を追いつつ視線を上へ移すと、円錐の天井がある。ちょうどすぼまったところに隙間がありそこから外の光が円になって差し込んでいた。どうやらあそこから煙を外に逃がしているらしい。


 建物は地球の遊牧民やインディアンの作る住居に近い構造を思わせ、大きさは半径六メートルほど、高さは七、八メートルほどの円錐形をしている。


 外につながるであろう楕円の扉らしきものが目に留まる。

 隙間からは光の筋が、にぎやかな外の音とともに音川のいる場所まで入り込んできていた。扉は草で編まれているらしく、洞穴で見たものと同じだ。


 音川は手を地面につきながら扉の傍へ寄って、恐る恐る静かに開けた。扉は見た目よりもずっと軽く、乾いた草の香ばしい匂いを漂わせていた。

 這い出ると外の光が音川の目をくらませ、眩しさに手をかざしながら立ち上がる。


 一歩歩き出す。すると歓声を上げながら子どもたちが走り去っていった。

 どうやら音川の様子を外から耳をそばだてて伺っていたらしく、彼女の顔を覗き込んでいたのは、その中でも恐れ知らずで好奇心旺盛な子どもだったようだ。


 音川は戸惑いながらも、ようやく慣れてきた目であたりを伺い、自分は村の中にいることを理解した。


 籠を背負った人。動物の皮をなめす職人。女たちは歌を口ずさみながら何かを編んで、その傍らで子どもたちが小枝で地面に何か描いている。


 どこにでもあるにぎやかで、ささやかな生活があたりに満ちていた。平和でのどかな光景が、意識を失うまで血生臭い場面に遭遇していたことがどこか遠くの出来事のように思えた。


 どこにでもある、ごく普通の光景の中でひときわ見慣れないことがあった。村人の姿は地球人や、エルフの特徴とも違っていることだ。


 人と同じ上半身を持ち、しかし下半身は獣を連想させられる風貌、足は犬科を思わせる獣脚で鋭い爪ががっしりと大地を掴んでいる。


 足の構造からして靴はかえって邪魔なのだろう。全員が裸足だ。背は音川と同じ程度で、百六十センチほど。それらの人々が笑い、歌っている。


 さらに一歩踏み出したところで音川の意識は不意に右の方へと引っ張られ、反射的に顔を向けると一人の男と目が合う。


 しわくちゃの顔に優しそうな目。長い白髪を三つ編みにして、裾から除く足の毛は少しパサついている。駆けていった子どもたちのような艶のある毛とは違う、年老いた毛だった。

 音川はもしやと思いなじみのある名前を口にした。


「ヒミタ爺……なの?」

 音川の声を聞き、老人は頬を緩ませ、両手を広げながらゆっくりと近づくと音川を強く抱きしめた。


 音川は戸惑っていた。

 この人はヒミタ爺、その人……その人のはず。しかし記憶の中のヒミタ爺の思い出は声しかわからない。


 優しく、お喋り好きで、放っておくとナハタがうんざりする程に口を動かしてしまう人。その人なのか確信が持てなかった。


 音川がやり場のない手を持て余していると老人が優しく声をかけた。

「マミよ、元気だったか?」

「……うん」

 ああ、そうだ。確かこんな声で。


「目が見えるのか? 綺麗な赤い目になって」

「うん……」

 いつも私のことを気遣ってくれて。


「体はもう大丈夫か?」

「うん……!」

 本当の祖父のようで。


「こんなに、大きくなってっ」

 しわがれた声は確かに、古い家で聞いたヒミタ爺そのものだった。自然と溢れた涙が溢れ頬を伝い、二人を濡らした。

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