音川は自分の赤い軽自動車に乗って高速道路を走っていた。
対策室に務め始めて十回目の給料で買った車で、丸みを帯びた可愛い見た目を気に入り購入したが、普段はもっぱら一般道ばかりを走っているために慣れない高速道路事情に自然とハンドルを握る手に力が入る。
行き先は幼いころから高校を卒業するまでの間に両親と共に住んでいた古い家だ。
すでに両親は別のところに移り住んでいるために今は誰も住んでいない家だが、行方不明の友人、ナハタとの思いでの詰まった家だ。忘れることはできなかった。
不便な立地と古い家であったため、誰も買い手がつかなかった事は音川にとって幸運だった。一度は手放した家であったが、音川は異世界生物侵入対策室の初めての給料ですぐに家を買い戻した。
「なるほど、これがこの世界の物流なのですね」
助手席に座るインが好奇心に目を輝かせるすぐそばを大型トレーラーがエンジンを唸らせながら追い抜いていった。
インは音川の友人を探す手伝いを申し出た。
音川は一度は断ったものの、インはどうしてもついていきたいと言って諦めず、今はこうして長身を屈めて、狭い車内に収まってもらっている。
音川は追い越し車線から走行車線へ車を移すと大きく息を吐いた。
「宗主様から離れて良かったのですか?」
「かまいませんとも、傍にはアレイがついておりますから」
インの口ぶりからは気にしている様子は微塵も感じられない。まるで替わりは幾らでもいるという口ぶりだ。
音川は心配になった。
宗主に仕えるもう一人の側近のアレイを信頼しきっていることはわかるが、それでもイン自身も側近という立場で、いくら対策室のメンバーがついているとはいえこれでいいのだろうかと。ついでに言えば彼女は非戦闘員で護衛すら勤まらないのだ。
「アレイが宗主様に仕えることになったのは類まれな剣と魔法の技に宗主様が魅入られたからで。何度か稽古につきあいましたが、私などではまるで歯が立ちません。それに魔法人形の扱いにも精通していて、才能あふれる人ですよ」
インはアレイのことを誇らしげに語った。
「もちろん、人形の扱いが上手いと言っても国で二番目です。一番は宗主様ですからね」
「すごい人なんですね」
ビルの合間を縫う高速道路を走るだけでインは楽しいらしく。インは少年のように感嘆の声をもらしていた。
やっぱり引き返して送り届けるべきかも。
音川は迷ったが、自分の心は前に進むことを叫んでいる。進め、進めと。ナハタについて何か分かるかもしれない。そう思うと車に乗り込まずにはいられなかった。
室長、どう思うかな? 本当なら話してから動くべきだって分かってる。裏切られたって思うかな?
音川は心の中で独り言ちた。話せば止められるかもしれない。今はエルフの事がある。きっとそうなる。なら行動しよう。
現状を俯瞰しつつも、言い訳を寄せ集めて見繕い、自分を強引に納得させてアクセルを踏む。
ふと考える。隣に座っているインも同じ立場と言えるかもしれない。本来なら離れるべきでないところから二人そろって離れているのだから。
「共犯、ですね」
「……きょうはん? 面白い響きです」
高速道路を降り、小休憩を挟んで古い家に辿り着いた頃には夕方となっていた。
山間の麓にあるため、家の周りはすでに山の影の中に落ちてしまっている。
家の錆びかけた門に手をかけるとそれは軋んだ音で音川を迎えた。玄関の周りは落ち葉や枯れた雑草に覆われて、玄関の上には蜘蛛の巣が張られていた。
「ここが、音川様の昔の家……」
古く、汚い。とインは言いかけて口を閉じた。
「古いし汚なくてごめんなさい。たまに帰ってくるのは私だけで誰もいないので掃除もあまりできてなくて。……こっちです」
音川とインはナハタと会った裏庭へと進んだ。
庭の中央にはブルーシートに覆われた何かがあり、音川がそれを取り払うと古い木製の椅子が姿を現した。
「私の椅子。不思議なほど丈夫なんですよ。この子」
そういって音川は静かにひじ掛けに指を這わせた。
今の家に持っていくことも考えた。持って行かなかったのは、ナハタがいつ戻ってきても良いように置いておきたかったからだ。ここに置いておけば必ず戻ってくると信じていた。
「座らないのですか?」
インの何気ない言葉に音川はきょとんとした顔でインを見返した。
インにはその様子が、椅子が座るための家具だと忘れてしまったかのように見えた。
「せっかくです。座るといい。何か思い出すかも」
音川は言われるまま椅子に腰をかけた。
九月のまだ暑い空気に暖められた椅子は日陰となっていてもまだほんのりと温かく、まるで誰かが、寸前まで座っていたような温もりが服を通り越して肌に沁み込むような心地がして、音川は目を閉じた。
頭上の木々の葉がこすれ、裏手の山からは風が吹き下ろしてくる。懐かしい音と匂いに身をゆだねる。
「どうして、今まで座らなかったんだろう……」
古い家に帰るのに間が空くことはあっても何度も戻って来ていた。それなのにいつも座らずに帰ってしまっていた事を思い出した。
“どうしていつもここに座っているの? あなたいつも一人で。寒くないの?”
懐かしい記憶、いつもより鮮明な。暖かな。
“それでね一緒に空を見ようよ。お日様の光を葉っぱで透かして見て。夜は星を数える。あとは動物の足跡を追って。川でまん丸の石を探そう。それから……えーと、とにかくいっぱい色んなものを見よう!”
私の、初めての友達。
“ごめん、ごめんね。約束、やぶっちゃった。”
「成功」冷たい声が聞こえた。
顔の見えない誰かの声に音川は顔をしかめ、突然の頭の痛みに呻いた。
インはすぐそばに駆け寄って音川の肩に触れ、膝をついた。
「やはりだ。どうやら鍵がかけられている」
「……鍵?」
音川は痛みに顔をしかめながらインを見る。
「友の思い出に誰かが思い出さないようにしているのです。後ろめたい何か、知られたくないために追跡されるのを防ぐため処置……。エルフの密偵が使う手段に似たものがあります」
その言葉に音川は思わず笑みをこぼす。
「つまり、ナハタに近づいているってことですよね?」
「ええ、きっとそうです。ですがあまり無理に思い出そうとすると体に触るものです。一旦休みましょう」
夜。音川の古い家の二階。
二人は音川の生活していた子ども部屋で朝まで過ごすことにした。
家具のないがらんとした部屋でランタンの光を灯し、開け放った窓からは程よく湿って冷えた空気が忍び込んで蚊取り線香の細い煙を揺らす。
自分の暮らした家なのにどこか他人めいた雰囲気を音川は感じていた、電気が通っていないためなのだろうか。それか月日がそうさせてしまったのか。
コンビニで買ったパンや飲み物で夕飯を済ませ、音川は空になった容器を袋に詰めてきつく縛った。
「せっかく異世界から来たのにこんな部屋でごめんなさい」
「いいんです。異世界でなければこれも体験できなかった」
音川はある疑問を口にした。
「どうしてついて来てくれたのですか?」
「好奇心。それだけです」
「本当にそれだけなんですか?」
「暇なんです。長く生きていると新鮮な出来事など、どんどんと減っていく。飢えているんですよ新しいものに」
音川は口に手を当てて笑った。インは首を傾げ、自然とつられて笑った。
「おかしかったですか?」
「いえ! ふふ、そうじゃなくて。私の良く知っている子によく似ているなって思って。エリナっていうんですけど」
「エリナ?」
「ほら、私達と一緒にいるあの銀髪の女の子」
「彼女も長命なのですか?」
「たしか年齢は五百で。娯楽やお菓子が大好きなんです。長生きしているから暇なんじゃないかって室長は言ってて」
「五百歳でありましたか。年下ですね」
「……ん?」
「宗主様が六百を超え、私は七百。まぁ、些細な差ですが。失礼を承知で聞きますが、音川様は何歳なのですか?」
「えっと……私は―」
「しっ、静かに!」
インが音川の口に指を当て言葉を遮った。
そのとき玄関が開いた。
静かな家、ましてや普段は無人の家ではごく小さな音も良く響く。ごくりと飲み込む唾の音さえ聞こえてしまいそうなほどだった。