アレイをホテルへ送り届け、佐藤は警備をSPに引き継ぐとその足で同じフロアの対策室の為に用意された部屋へと戻った。
時刻は夕方。太陽はビルの向こうに沈み始めており、部屋は少しづつ暗く沈み込んでいくところだった。まだ誰も戻ってきていない。
音川はもう一人のインというエルフのところへ。小松はラボにこもっているため本部にいる。
佐藤は剣をどこに置くか逡巡し、傘立てに置いた。自分の体から離しておきたかったが辛うじて見える範囲に置きたい気持ちのための妥協案からだ。
ソファーに座り込むと、今日一日の疲れをため息と共に吐き出した。
西日が顔に当たっている。カーテンを閉めるか、灯りをつけるかしたいところだがそのどちらも面倒であった。
気だるげに腕をあげて顔を覆い、眩しい光を遮った。
唐突に甘いものが欲しくなる。糖分をよこせと脳が叫んでいる。なんでもいい。とにかく口にいれたい。
佐藤は突き動かされるように立ち上がって冷蔵庫の扉を開け放ち、炭酸飲料取ると勢いよくあおった。爽やかな冷たさと共に甘さが体に沁み込んでく。
「我の飲み物だ」
佐藤は突然に後ろから声をかけられて思わず噴き出し、咳き込みながら悪態を付いた。
「ゴホ! いるなら! 声を、声をかけろっ!」
苛立たし気に指でさし、その腕で口を拭った。
「宮之守にも同じようなことを言われた」
エリナは冷蔵庫から飲み物でなく、アイスを取り出した。
「忍者のようだとな。そいつはくれてやるが、こいつはやらんぞ」
「安心しろ、俺はチョコチップ派だ。ミントは好きじゃない」
「ミントが好きでないとは残念な奴だ」
エリナは小さなスプーンで凍ったアイスをつつくと硬い音が返ってきた。
「忍者について調べてみた」
「……あっそう」
佐藤はソファーにどかりと座った。
エリナはアイスを突きながら続けた。
「創作に出てくる忍者は全身黒い装束で、おおむねそのイメージが強いが。実際には農民や商人などの一般人に紛れる姿をしていたという。確かにそのほうが合理的だ。現代のスパイと当てはめれば当然そうだろうな」
「女神の次は忍者になるか? 案外似合ってるかもな。女神くノ一エリナ、闇夜の……闇夜の……だめだキャッチフレーズが浮かばん」
「くノ一は残念ながらなれないな」
「へぇ、そりゃなんで? いや、待て。なんでか当ててやるよ。“儚げで可憐で可愛らしく、美しい銀髪をなびかせる女神は存在するだけで人目を惹きつける。故に無理なのだ。実に残念だ”だろ」
佐藤は無表情になってエリナの口調をまねて言った。
「よくわかっているな。その通りだ」
エリナはアイスを一口食べると、スプーンを佐藤に向け、小刻みに上下に震わせた。
「だがその妙な口調は寒気がするほどに気持ちが悪い。二度とやるな」
「おまえを真似たんだが? あと寒気はおまえが食ってるもんのせいで俺じゃねぇ」
「おお、そうか。ではおまえの普段からの面倒くさがりな性格はなんのせいなのだろうな。もしやアルコールか? だがおかしいな。我は一度もおまえから酒の匂いは感じたことがない。さては血中そのものに酒でも入っているのか。でなければ説明がつかんな」
「はっ! うるっせぇっての。今日はよくもまぁペラペラしゃべりやがる女神さんでよう」
そして小さく「酒か」と呟いた。
「我も声を出したくなる時がある。あぁ、それとまだ言っていなかったことがあるな。腹を刺されたことで力が弱くなった。以前よりさらにな」
佐藤は口に含んでいた飲み物を吹き出して咽せ、ひとしきり咳を吐き出してようやく声を絞り出した。
「……それも冗談か? 笑えねぇよ」
「冗談を言っている顔に見えるか」
エリナは無表情のまま肩をすくめ、アイスを一掬いした。
「おまえの場合、冗談かどうか……本気で言ってんのか?」
「以前のように転送魔法で全員を運ぶことはできない。ザラタンを仕留めたような大型魔法陣も無理だな。距離も短くなった。対象と密着し、連続使用をすれば遠距離への運搬も可能だが運べて一人。これからは対策室の移動方を変えなければならんな」
エリナはアイスを食べながらまるで他人事のように淡々と言った。
佐藤は困惑した。
あまりにも他人事のようになんの感情も抱いていないかのような口調と振舞に本当は冗談で、またいつものようにポケットに魔法でゴミを突っ込んでくるに違いないと思わずにいられなかった。
「あの時は大丈夫だったじゃないか。薔薇園で腹に穴があいた時は」
「レニュが言っていただろう。奴自身が裂け目を無理やり通って来たばかりで万全でなかったから。今回はそれが違っただけだ」
佐藤はエリナのことがよく分からなくなってきていた。どうしてこうも自分のことをあっけらかんとした態度で話せるのか。何でもないことのように言えるのか。
佐藤は勢いよく立ち上がってエリナを指さした。だが興奮のあまり言葉が出ず、パクパクと口を動かすばかり。
「ふん。その慌てよう。餌をねだる池の鯉のようで滑稽だな」
「おまえは……! おまえというやつは!」
「何故そんなに狼狽える。ただ事実を報告したまでで、おまえの体の事ではない。この組織の一員として共有すべき情報。それだけだ。これでも奴には腹を立てているのだぞ」
佐藤は震える手を降ろし、椅子に座ると頭を抱えた。
「……確かに、俺の体のことじゃない」
そんな簡単に割り切れるものじゃない。なんでこんなに心はざわついている。
そうだ、俺はこいつが心配なんだ。佐藤は自問し、一つの回答を得た。
「心配ぐらいするだろうが」
エリナはいけ好かない。気に入らないことがあればゴミをポケットに入れる。甘いものや娯楽に拘る。俺をバカにしたような態度をすることもある。それがいつの間にか当たり前となっていた。
「おまえは相棒だと思っている」
「そうか」
やっとの思いで絞り出した佐藤の言葉をエリナは表情も声もいつも通り、淡々とした態度で受け取った。
「おまえに言っておくことがある。あの場でやるべきことをした。やらなければならなかった。しかし、だからと言って正しい行いでもない。最善とは程遠い。かといって他に方法もなかった。人は迷う。もっとどうにかできていれば、他の選択肢があったのではないかと過ぎた後で考える。あの場に取れる選択肢が限りなく少なくとも、自分には多くあり、見逃していただけなのでは、と。レデオンが生きている限り。いや、この仕事を続けている限り直面する問題だろう」
「唐突に……今度はなんだよ」
エリナの口調はいつになく穏やかであった。
佐藤が顔をあげるとエリナが目の前に立っており、手には傘立てに立てかけてあったはずの聖剣があった。
エリナが聖剣を引き抜くと、きらりとした刀身が夕日の光に輝いて二人の顔を照らした。
「剣を振るう以上、どちらか一方の偏った刃だけを使うことはない。両刃の剣のようであれ。常に自分が正しいか、振るった剣の先にあるのは何か考え続けろ。自分が正しいと思い続けて疑わぬ者が振るう剣ほど怖いものはない。答えが出なくともいい。悩み、考えつづけろ。それがおまえにできることだ」
「それは……慰めてるのか?」
「そのつもりだ。おかしいか?」
「おかしいね。おおいにおかしい」
「心外だ」
佐藤は聖剣をエリナの手から受け取った。
「頭がスッキリしたわけじゃないが。もう少しだけ握っていてやるよ」
「そうか」
エリナは振り返ってテーブルに置いていた食べかけのアイスを見た。
「ふむ。すっかり溶けてしまったな」