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第43話 残された臭い

 エルフの行なう儀式は一か月後となっていた。これは当初からの予定だ。


 埋立地に設けられた広大な敷地にエルフの世界より持ち込んだ一本の苗木を植え、儀式によって魔力を送り込んで育てる。植樹の義と呼ばれ、エルフ達の間に古来より伝わる儀式だった。他国との友好を結ぶ際に行なってきたもので、実に五百年ぶりに行なわれる。


 アレイは地面に手をついて、手の中で土を転がせ、程よい湿り気と柔らかさに頬を緩ませた。

 エルフ達が樹上生活を送っている理由の一つは土を神聖視しているためだ。


 住居、城、畑、数々の工房に店。樹は生活の土台であり、日々の土の手入れは欠かせない。尊き血の貴族たちは地上におりることは殆どないが、無暗に地上の土を踏まないためでもあった。


 地上に降り、土の手入れをするの者は土師と呼ばれた。土の状態を確かめ、大樹に仕える者達である。

 アレイは土師の家系の生まれであったが、卓越した魔法の技量からレニュの下へと召し上げられることとなり、現在に至る。

 彼は日本の土を通して故郷の土に触れていた日々を思い出していた。


「少々、栄養が足りないが間に合うだろう」

 佐藤はその様子を数歩下がった位置から見ていた。さらに後ろにはアレイについてまわる魔法人形が二体、静かに立っている。


「一か月後ならこんなに早くこっちの世界に来る必要はなかったんじゃないか?」

「そうもいかん。これは双方が友となるための儀式。ここに植え、育つ木は強く、大きく。両国の未来を象徴するものでなければならない。途中で枯れてしまうようなことがあってはならないんだ。今はその準備期間だが、儀式は既に始まっているとも言える」


「へぇ……」

 佐藤は周囲を見渡した。


 四方、百メートルに渡って連続して打ち立てられた木の杭。地上に突き出た高さは三メートルあり、その間を白い縄が複雑に張り巡らされている。上空からは幾何学模様を確認することができ、巨大な魔法陣となっている。佐藤とアレイのいる位置はその中央になる。


 佐藤は神経を砥ぎ図ましていた。どんな異変も見逃すつもりはない。いつレデオンが襲い来るか分からないのだ。


 アレイは佐藤の落ち着かない様子に地面に手を置いたまま言った。

「安心していい。奴は現れない」

「レデオンの事をいってんのか? 自信満々に言い切るじゃないか」

「奴は腐ってもエルフだ。儀式そのものを汚すような真似はしない。少なくとも儀式当日までは私達に手を出してはこないだろう」


 信じて良いものかと佐藤は迷った。

 奴の残虐さ、人の命を何とも思わない冷たさ。しかし、付き合いが長いのはエルフ達の方であり、良く知っていることは間違いない。


 佐藤はレデオンの事を考えると視界から色が失われていくのを感じた。強い怒りが世界の色を奪って、塗りつぶす。

 佐藤は自分が暗い森に迷い込んだような気がして、頭を振って話題を切り替えた。


「デカい魔法陣だ。ここに立っているだけで体がぞわぞわしてくる」

 毛が逆立ち、常に静電気が帯電しているような奇妙な感触に全身が包まれている。


「土中の栄養を高めるために周囲の魔力がここに集められているからな。おかげで儀式の一週間前には一面を草刈りをしなければならないほどに雑草が伸びているはずだ。裂け目から流れ込む魔力のお陰で、ここでも充分に機能する。本格的に魔法陣が稼働すれば感じるざわつきはこれの比ではないぞ」

 アレイは楽しそうに言った。土や木に関わることが好きのだ。

 立ち上がり、手に付いた土を払う。

「戻ろう。ここでの用は済んだ」


 二人は滞在しているホテルへ戻るため歩き出した。

 遠くに見える道路には戻るための車が止めてあったが、宮之守とエリナは宗主レニュの傍についているためこの場にはいない。この時間は総理とレニュが会談を行なっているはずだ。


 二人が車に乗り込むと運転手が言った。

「マスコミがいるかもしれません。迂回してホテルにもどります」


 後部座席に座った二人の間を気まずい時間が流れ、沈黙に耐えかねてアレイが佐藤へ話しかけた。

「……仕事は護衛の他になにか?」

「まぁ……ある。護衛は本業じゃないが、異世界からの野郎共と戦うことが多くてね」


 アレイは佐藤の身のこなしを思い出した。レデオンの襲撃時、佐藤は周囲の護衛の中で戦いについての身のこなしが群を抜いてた。

「ふむ。納得した。……異世界からの野郎共か。どんなのがいた?」


 佐藤は上を向いて顎を掻いた。

「この仕事についてまだ日が浅いから数えるほどしかいないが」

 トカゲ野郎に蟹野郎。それから……狼野郎と。これまでの仕事を掻い摘んで説明した。

 自分がかつて死んて異世界で転生し、元勇者であったことは伏せた。個人的なことであると同時に、勇者という言葉には抵抗感があった。


 その時、車の窓がびりびりと震えた。

「この音はなんだ? 窓が揺れているぞ」

 佐藤は窓の外へ目を向けて上を見た。

「ヘリだ。たぶん報道用の」

「空飛ぶ機械か。不思議なものだな、魔力も無しに金属が空を跳ぶなぞ理解が及ばん」

「魔法に関しちゃあっちも同じ気持ちだよ」


 ヘリは先日のレデオンの襲撃現場の方向へと飛行していった。

 車が揺れ、立てかけてあった剣が揺れて倒れそうなったところを佐藤はとっさに掴んで支えた。



 手に違和感があった。剣を掴んだ手にぬめりを感じ、佐藤は手を開くと手は真っ赤に濡れていた。


 佐藤は驚いて剣を床に落とす。すると剣はひとりでに震えてカタカタと音を立て始めた。

 剣を隠している布が黒ずんで灰のように崩れて朽ち、剣と鞘の間からは鮮血がどくどくと脈を打ちながら流れ出る。


 佐藤は驚き、椅子から体をのけぞらせようとしたが何かが体を強く押さえつけてくる。手だ。赤い手が座席を突き破って背後より押さえつけているのだ。

 佐藤の隣に座っていたはずのインがいない。代わりに座っていたのは虚ろな目で口をぽっかりと開けたままの血塗れの男だった。襲撃の日、走り出そうとする佐藤を押さえつけ、レデオンの魔法で目の前で無残に爆死した男だった。


 許してくれ。言おうとして佐藤の口の筋肉は強張ったまま、動かない。


「助けてくれなかった」

 男の下顎は切れかけた筋肉で辛うじて繋がっているだけで、ぶらぶらと揺れている。

 佐藤の足に何かが触れ、反射的に視線を走らせた。

 剣から溢れ出た血は僅かな間に車の座席を満たして、波紋が広がる深い血溜りを作るにまでなっていた。スーツにぬるい血が沁み込みながら這いあがってくる様子に佐藤は慄いた。


 運転席の男はハンドルに突っ伏して死んでいる。誰もいなかったはずの助手席には女がいて振り返り、目のない眼孔を佐藤に向けた。そして女はゆっくりと腕を伸ばしたが、筋肉と皮膚がぶちぶちと音を立てて千切れ、血溜りに落ちて大きな飛沫を上げた。


 すまない。許してくれ。

 佐藤は涙を流し許しをこうた。


 どこからか嘆き、嗚咽する声が聞こえてくる。血溜りの奥底からだ。血が揺れてさざ波がたち、ゴボゴボと煮えるように泡立つ。

 一際大きな泡ができ、弾けたかと思うと中から人の頭が浮き上がって佐藤を見た。あの日、レデオンと彼との間に立ち、最後に殺した若者の顔だった。


 若者はぎょろりと目を動かし、不吉な音を喉に詰まらせ、血を吐き出しながら恨みの言葉を唱えた。

「おまえが殺した。おまえが。おまえが」

 血の中から人々の顔が次々と浮かんで佐藤を呪い、赤い手が彼の首へ、喉へと伸び、触れた。



「大丈夫か?」

 佐藤ははっとして顔を上げた。

 何もない。すべていつも通りだ。窓の外には街路樹があり、横断歩道を歩く人々が点滅する信号を気にして足早に歩き、運転席からは右折ウィンカーのカチカチという規則的な音が聞こえる。


「ひどい顔色だ」

 アレイが怪訝な顔で青ざめた佐藤を見ている。佐藤はとっさに目元を拭ってみたが、涙の跡もなく、手も乾いていた。

「疲れが取れていないだけだ」

 佐藤は息を吐いた。

 車内の空気が重く苦しいことに佐藤は耐えかねて窓を下げ、外の空気を入れることにした。鼻の奥にはまだ血の臭いが残っている気がした。

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