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第32話 異世界からの異邦人

 佐藤は重い瞼を擦って、スマホを弄りながら大きく欠伸した。

 ニュースはここ数日、スクランブル交差点での事件の報道ばかりだ。SNSにはモザイク無しの悲惨な光景を映した動画すら出回っており、好奇心かあるいは正義感からそれが拡散されていく。


『AIで作ったフェイクに決まってる』

『戦っている人たちは何? 事件発生から出てくるのが早すぎない?』

『私の家族はここで犠牲になったけど嘘と言っている人たちは何を見て言ってるの?』

『助けてくれた人を悪く言わないで』


 佐藤は興味本位でネットに流れるそれら情報漁ってみた。

 真意不明の情報。自称事情通の戯言。好き勝手に点と点を繋いだ陰謀論。結果として、『やらない方が良い。徹夜明けの脳みそで見るものではない』という答えを得てスマホを画面を消した。

 エルフとの会談に合わせて対策室の存在を公表することはこういった情報に対応するためでもあるのだろうことを佐藤は理解した。

 なんにせよ、面倒な事だ。


 時間は既に昼に近い、睡眠不足の頭は靄がかかって不快で、叶うならすぐにでもベッドに身を投げ出してしまいたい。さぞ心地よいことだろう。

 眠気覚ましにと自販機で買ったコーヒーの蓋を開けて口を付つけた。


 海の風が心地よい。

 夏の不快な湿気と暑さはどうやら影をひそめつつあるようで、爽やかな風が開いたジャケットの間を抜けていく。乾燥しきっていない風からは秋の匂いが混ざっている。

 佐藤は海岸に来ていた。ポケットに手を突っ込み、ひと時の休憩を味わうには丁度よい。


 佐藤と対策室のメンバーは普段とは別の場所へと来ていた。

 都心の対策室から離れた埋立地に作られた第二事務所だ。例のエルフ達との会談と人狼の事後処理をここで進めている。

 休憩のために事務所を抜け出し、通りの広い道路から歩道を超えると木製の幅の広い緩やかな階段があり、そこから人工の砂浜へと降りることができた。

 砂浜を作るにあたってどこぞの県から運んだらしいことを小松が得意げに語っていたことを靴裏についた砂を見て思い出す。


 佐藤は階段の中腹で腰を降ろし、海を眺めた。

 砂浜から湾を挟んだ向こう側には高層ビル群がそびえ立つ。日光を反射し、存在感を誇示するように輝くビル達は、この国の優れた建築技術を見せるにはうってつけだろうが、お忍びで来ていたあのエルフ達にはどう見えたのだろうか。

 その心情を佐藤は考えてみようとしたが、エルフの世界を知らなければ推し量りようがないことだと思い。それ以上は考えなかった。


 湾の波は緩やかで、静かに砂浜へと寄っては沁みるように引いていく。

 通り過ぎようとする遊覧船の甲板には観光客が出て、景色を楽しんでいた。陽射しは強いが影にいればそれほどでもない。海の上ならば、吹き抜ける風は砂浜の上よりもさらに快適なのだろう。

 写真撮影には絶好の天候だ。観光客は一斉にスマホやカメラを構え、佐藤のいる方角へとレンズを向けていた。佐藤は半身を後ろへと振り返ってカメラの向けられた先へ目を向けた。


 ブーンという空気の震える音が聞こえている。巨大な裂け目が堂々としてそこにあった。

 国内最大級の裂け目で直径は二十メートルを越える。存在を公表されている数少ない大型の裂け目のうちの一つで、これ自体が強大な魔力を持っているために魔力を感知できない一般人でもその姿を見ることができる。

 爽やかな青い空に黒い縦長の楕円の穴がぽっかりと空いている様は異様だ。あの遊覧船の観光コースの大きな目玉こそ、この裂け目だ。皮肉な事にスクランブル交差点での事件以降、再び注目されることとなり、観光客が増えたのだという。


 ここの裂け目からも例外なく魔力は流入している。

 流量も濃度も安定していて人体への影響はなく、エリナが言うには転送魔法陣に近いのだそうだ。


 この先に暮らす住人、エルフ。

 とがった耳、美しい金の長い髪。樹上に住居を構え、非常に長寿である。まさしくファンタジーから飛び出してきた異世界の住民がこの先で暮らしている。

 佐藤たちが警護する異世界人の世界がこの裂け目の向こうにある。これからその者達がこちらへやって来る。

 実際にはお忍びで来ていたので入りなおすわけになるのだが。


「サボりか?」

 いつの間にか佐藤の隣にエリナが腕を組んで立っていた。

 本来ならエリナは人目のある所では転送魔法を使わないのだが、多くのカメラに映りこんだ今となってはその必要もない。

「さぼってねぇわ。休憩だっての」

「宮之守が探していた。戻るぞ」

 佐藤はおもむろに、スマホを取り出した。着信履歴には宮之守の名前がある。通知音を切っていたために着信に気が付いていなかった。


「特別なことが無ければ音は鳴るようにしておけ」

「その特別なことが今だったわけ。俺も一人になりたい時があんだよ」

「自分の立場を考えろ。お前はこの世界でも貴重な戦力だ。それが一時的にでも連絡が取れないのは問題だ」

「そいつは嬉しいね」

 コーヒーを飲み干し、佐藤は立ち上がって服に着いた砂を払った。




 時空の裂け目の周囲には大勢の人で囲まれていた。政治家とそのボディガード、マスコミ。

 ずらりと並ぶ報道陣のカメラは時空の裂け目と、そのすぐ下に設けられた壇上へと向けられ、レポーター達はこぞってその様子を報道している。

 他の国においてもすでに異世界との交流は始まっているが公式にこのような場が行なわれるのは初めてのことだった。

 異世界から客人を招き、友好の始まりとして異世界の祭りを日本で執り行う。報道にも熱が入るのは必然だろう。


 西島はハンディカメラを構えて開場を撮影して回っていた。ライブ配信で、一つ一つを説明していく。

「この台は、日本産のヒノキを使用して作られたものです。日本の伝統的な組み木と現代的な装飾を施したもので、足元は初めてエルフの方たちが触れるために特に気を使って作られました」

 カメラを壇上からその下へ、エルフが初めて見る光景と同じものをカメラに映す。

 余計なことは言わない、ただ事実のみを伝えることと宮之守から念を押されていた。緊張の汗を垂らしながら西島は直前に言われた言葉を思い出す。


“マスコミは当然入る。だからこちらのチャンネルからも常時ライブ配信を行なって偏向報道されにくい状況をつくる。もちろんその役割は政府の専用チャンネルが別にあるのだけど、西島君には異世界対策室として別チャンネルとして配信してもらうの。別の角度からただ映してもらうだけでいい。”


 一通り開場を撮影し終えた西島は対策室の面々が待機する所定の位置へ戻ることにした。

ハンディカメラから、裂け目の周囲を映す固定カメラへと無事配信映像が切り替わったことを確認し、安堵のため息を漏らす。

「お疲れ様。西島さん」

 音川が水の入ったペットボトルを差し出す。

「あ……どうも」

「後はしばらくはここで休んでいて大丈夫ですよ。じゃぁ私、室長と佐藤さんのところに戻るので、何かあったらこれで呼んでください」

 そう言って音川は右耳のインカムをとんとんと軽く叩き、早歩きで去っていった。

「あ、はい……」


 西島は音川の後姿を追い、それから開場全体を眺めた。

 ニュースでしか見たことのなかった政治家の顔。離れたところに見える報道カメラ。

 巨大な裂け目を見上げると現実感がふっと遠のいていくようだった。

 つい数日前にマンドラゴラに囲まれていたこと、異世界の生物とそれに対処する組織で働くことになったこと。パソコンのディスプレイを睨みつけながら、伸びないチャンネル登録者に悩んでいたのが嘘のようだ。間接的とはいえ、先日の事件の関係者でもあるのだ。


「で、西島さんって異世界のことどれくらい詳しいんすか?」

「いやオレなんてぜんぜ……ってうわぁ!」

 隣には目をらんらんと輝かせた小松がいた。

「えっと、確か……」

「小松っす。よろしく!」

 小松は勢いよく手を差し出し、半ば強引に西島と握手を交わした。自分の良き理解者になるやもしれない後輩が現れたことが嬉しいのだ。


「なんだかあっちは意気投合してそうで安心かな。西島君もここに馴染めると良いな」

「そうか? 俺には変な奴にからまれてるようにしか見えんがね」

 宮之守、音川、佐藤の三人は裂け目の真下に作られた壇上でエルフ達の到着を待ちながら開場の様子を見ていた。

「その変な奴にはたぶん佐藤さんも入っているじゃないかと」

「変っていうか、たぶん怖い部類だと思いますよ? だって私、最初に佐藤さんに指揮車で会ったとき怖かったですよ」

 音川が口に手を当てて小さく笑いな。つられて宮之守も笑いだした。

「確かにそれありそう」

「おいおい、いくら俺でも傷つくことはあるんだぞ」


 その時、時空の裂け目の振動音が大きく唸り始めた。

 周囲がどよめき、幾人かは襟を正し、佐藤もそれにならって姿勢を正した。

 壇上に並ぶ佐藤達の数メートル前には総理と幾人かの姿があった。スーツを来た男が総理へ耳打ちする。

「総理。来ます」

 総理はしずがに頷き、まっすぐ裂け目を見た。

 振動音が大きくなり、黒い裂け目が水面のように波打ち、エルフたちが姿を現した。長い耳、金色の長い髪。そして女とも男ともとれる中性的な顔つき。

 護衛らしき数人に囲まれて、要人らしき三人のエルフがさらに奥から現れた。中心に立つエルフは周囲を見渡し、微笑んだ。

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