人の形をした何か。人形というにはあまりに大きく、その身長は四メートルはある。それが二体、宮之守の前にいる。
「宮之守! 妙なデカい人形みたいのが出て来やがった!! 二体だ!」
『こっちにも二体』
佐藤とエリナそれぞれからの報告を合わせれば、六体は確実にこの場にいることになる。
どこからか落下してきたようで、巻き上げられた粉塵の合間からは割れた舗装と無残に圧死した人狼の死体が伺えた。
『……私の方にも二体いる』
「急に落ちて来やがった」
佐藤は立ち上がろうとしたが、足に上手く力がはいらない。それでもなお剣を構えてバスの子どもへ呼びかけた。
「そっちに行くからな! だから少し待っててくれ。頭を低くしてな」
子どもは頷き、窓から顔を下げた。
生物というにはあまりにも無機質で大人形とでもいう存在はぴたりと静止し、頭だけをぐるりと動かして周囲を観察している。
人狼の群れも動きを止めていた。耳をとがらせ、姿勢を低くし牙をむいて威嚇している。彼らにとっても全くの予想外の事のようだ。
人形の表面はつるつるとし、凹凸がなく、手足を繋ぐ関節は球体でできている。
全身の彼方此方に規則的な金色の模様があり、光が模様に沿って波打つように移動していく。光の移動する出所を辿っていくと頭部へと行きつき、そこには白い花の冠があった。
乾いた風が吹いて粉塵を晴らし、二体の大人形とその間に立つ人の姿を人々の前に曝した。
「人だ。誰かいる」
「ニール。シール。……ディナ!」
人形の間に立つ人間が人狼を指さした。
異国の言葉であろうか、意味は分からない。だが攻撃命令であることはすぐにわかることとなった。
木の軋む音を立てながら人形たちが一斉に動き始めた。腕を振り回して弾き飛ばし、殴りつけ、足で人狼を踏み潰す。
人形は飛び掛かろうとしてきた人狼を捕まえた。人狼は藻掻き、噛みつき、引っ掻くがまるで効果はない。人形は無造作に頭と掴んで引き裂き、もはやただの肉塊となったそれをその場にゴミのように落として捨てた。
六体の人形が淡々と人狼を処理していく。
一切の情けも容赦もなく、ただ殺すことにある種の兵士の理想形と感じてしまうほどであった。
一体の人形に数匹の人狼が群がって攻撃を仕掛けたが無駄な抵抗であった。人形は取りついた人狼を一匹ずつ、丁寧に順番に捻り殺していった。
佐藤はネクタイで止血し、立ち上がった。まだバスの中にいる子どもは怯え、震えているに違いない。力の入らない足を引きづって歩く。
佐藤は人狼の体当たりを受け、大きく体勢を崩して倒れた。佐藤は聖剣の切先をすばやく向けたが人狼は襲ってこない。ほんの一瞬視線が交差したが瞳からは狂暴性が消え、怯えが見て取れた。人狼はすぐに走り出して車を乗り越えていった。すぐあと、その先で人狼の悲鳴が聞こえ、間を置かず肉の潰れる音と血の滴る音が聞こえた。
突如現れた殺戮者の出現によって事態はより混乱しているといえる。
人狼はそれまで自分達こそが頂点捕食者であると微塵も疑うことはなかったし、これからもそうであると考えていた。
彼らの目に映る光景はそれを覆し、崩し、絶望させた。矮小な人間数匹のささやかな抵抗などとは違う。尻尾を情けなく股の間に挟んで逃げることしかできない。
リーダーらしき人狼が遠吠えを上げると群れが裂け目へと戻っていく。圧倒的に不利であることを悟り、撤退を決めたのだ。
佐藤はバスへ転がるように入り込んだ。
奥に膝を抱えて震えている少年を見つけ近づいた。少年は血塗れの男に一瞬、ぎょっとしたが声をかけてくれた男であることに気が付き抱き着く。恐怖のせいか泣くことも声を上げることもできないでいる。
「よく耐えた。もう、大丈夫だ」
『佐藤さん! 今どこ!?』
宮之守からの通信が入る。
「バスの中だ。駅から正面の斜め右。オレンジの。見えるか? 子どもと隠れているんだが、悪いが迎えに来てくれると助かる」
右足は真っ赤に染まり、佐藤の通った後には血の跡ができていた。
けたたましい音がなり天井が引き剥がされていき、バスの中に太陽の光が入り込んできた。
ぬうっと人形二体が中を覗き込んできた。そして人狼の血と臓物に塗れた手を二人に近づけてくる。
佐藤は悲鳴を上げる少年を庇って自分の後ろへ下がらせると聖剣を構えた。本気でやりあうことになれば、自分は死ぬ。だとしても引き換えに誰かの命を守れる可能性があるなら、その価値はある。聖剣が淡く輝きだした。
「ニール! シール! エディナ!」
大人形の手が止まり、ゆっくりと下がっていった。
「止まった……?」
佐藤の前に魔法陣が現れエリナが姿を見せた。佐藤ほどではないが、いつもの白い服が血に汚れており、その顔は大変に不愉快そうだ。
エリナは後ろを振り返り大人形を見上げた。ピクリとも動かず、静止しているとただの置物に見える。
「止まったようだな」
「油断するな。またすぐ動くかわかんねぇぞ」
「それについては心配ないだろう」
「狼共は?」
「それももう大丈夫だろう。やつらは逃げた。立て、いつまで座っている」
佐藤は差し出された手を掴み、立ち上がる。エリナは窓の外へ頭を傾け、佐藤にそちらを見るように促した。
「いてて、……て、あぁ?」
駅の方にも動きを止めた人形が二体。その足元には宮之守と音川、それにもう一人。見慣れない人物が立っている。何やら話しているようだ。
人形の主……とみて間違いないだろうが、白いキャップを被り、金色の長い髪を風になびかせて、カーゴパンツに腰に手を当てて立つ姿からはとてもそうであると結びつかない。敵ではないことは確かだ。
「どうやらお忍びですでに来ていたようだな」
「お忍び? 誰が?」
「エルフ」
「あぁ、エルフね。なるほど……はぁぁ!?」
到着した封鎖部隊に加えて本職の警察や、救急、消防隊員が事態の収拾にあたっている。しばらくすれば一先ずこの混乱は収まるだろう。
「よく頑張ったな」
佐藤は保護した子どもの頭をくしゃくしゃに撫で、救急隊員に引き渡して別れを告げた。
「あなたも怪我をしていますね。病院にいきましょう」
「いや、俺は……」
救急隊の肩を誰かがつついた。
それは音川と話していた白いキャップを被ったエルフだった。女のようだが、男のように見えなくもない。エルフは長い耳を持っているが髪に隠れている。おそらく何か隠す工夫を凝らしているのだろう。
「この方のご家族ですか?」
エルフは首を傾げて目を上に向け、ふるふると首を横に振った。
「ん!」
佐藤の怪我をした足を指さし、それから自分を指さした。
「ん! ……ん!」
「……お知合いですか?」
「知り合いというか、関係者というか?」
エルフは日本語を話せないようで、意思が通じないことにもどかしさを感じたのか、いかにも面倒くさそうに肩を落とすと、尾根を寄せて救急隊員を睨み、無理やり押しのけた。
「あ、ちょっと!」
エルフは救急隊員を無視して佐藤の傍に屈みこんで傷に手をかざし、歌いだした。
声は小さいが確かな存在感があり、優しく穏やかな風が木々の間を駆け抜けていくような澄んだ歌声だった。魔法だ。つまりこれは呪文なのだろう。
エルフの手が緑色に輝きだし、佐藤は足が熱くなるのを感じた。少ししてエルフは歌を止めると、すっと足から熱が引いていった。
エルフは立ち上がると得意げな顔をして怪我をした方の足を勢いよく叩いた。
「いい! 痛たくねぇな?」
叩かれたことそれ自体は痛いが傷の痛みではない。止血に使っていたネクタイを解くと、傷が完全に塞がっていた。
エルフは腕も治療し、その素晴らしい出来を確認すると満足したようすで勢いよく立ち上がった。
「ハッハッハ!」
エルフは豪快に笑い声をあげ、手をひらひらとさせながら去っていく。
「なんなんだあいつ」
人々のどよめきがあがった。
人形が動きだしていた。人形は壊れた車を軽々と持ち上げ、道路の端へと移動させた。
人形の傍にはもう一人のエルフが、その反対側でもエルフと人形が事後処理に加わっている。白いキャップを被ったエルフと並んで立つ音川の姿もあった。
人々は人形が動く様子を、一挙一動を目を丸くして見守っている。
異世界の存在は二年ほど前より広く認知されていた。しかし、一般人が目にする情報は限られたものである。日々流れ消化されていく情報群の中で、新規性のない物はすぐに埋もれていく一つの出来事にすぎないが、今こうして人々に異世界の存在が思い出されていく。
彼らは人形が魔法によって操られていることも、それをどの人間が、ましてやエルフが操っていることも知らない。魔法という存在もフィクションの中だけだった。
魔法が存在している。信じるに足る光景にすぐそばにあった。
「結果的にいい方向にいくのかな、これは」
宮之守は封鎖部隊へ指示をとばしながら独りごちた。
不可視の裂け目より出現した生物によって、一時、スクランブル交差点は凄惨な事件現場となった。その事実は変えようのない痛ましいものである。
死傷者はすでに十数名を越え、緊急車両の回転灯は回り続けている。
いつかこのような日が来ることを宮之守は覚悟していた。
むしろ今までが奇跡だったのだ。犠牲者もなく、裂け目の存在も、そこより現れる生物の事も知られることなくやってきたのは細い糸の上を歩いていたのと変わらない。
なんのことはない。細い糸が切れただけのことだ。
マスコミは大々的にこのニュースを報じることだろう。同時にそれに対処しようとした人々のことも報じるだろう。異世界生物侵入対策室と人狼を駆逐した人形のこと。
エルフの助太刀は宮之守にとっても全くの予想外のことであった。それが良き方向へとかわることを今は願うほかない。