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第30話 白煙、混乱、乱入

 昼下がりの都内のスクランブル交差点は突如として混乱の中心地となった。人々の悲鳴。轟音。制御をうしなった車は電柱へ激突し、白煙を上げていた。


 大きな影が白煙から飛び出して壊れた車体の上に飛び乗りった。衝撃に天井がおおきくひしゃげて、ガラスが飛び散った。それは雄叫びを、いや遠吠えを高らかにあげる。

 灰色の怪物。狼に似た顔つきで、鋭い犬歯をちらつかせて涎を滴らせながら逃げ惑う人々を車の上から血走った目で狙いを定めようとしていた。

 両腕をだらりとして二本の足で立つ。全身は灰色の体毛に覆われており、長く鋭い爪で電柱を引っ掻くと深い痕が刻まれた。


「ママ! 起きてッ! ママ!!」

 人狼の乗る足元の車から母を呼ぶ子どもの悲痛な叫びが聞こえた。その声は周囲の騒音にかき消され誰にも届くことなく、母親にさへも聞こえていない。

 人狼は耳をピクリと動かし、足元で鳴いている獲物の気配を目ざとく見つけ出した。幼い少女は車の天井のわずか一枚隔てた先に怪物がいることなどまるで気が付かず、意識を失った母を呼び続ける。


「ママ!! きゃぁ!!」

 少女の目の前に四本の突起物が突如として車の天井を突き破って現れた。天井が甲高い悲鳴をあげながら曲げられ、引き裂かれていく。

 人狼は爪を突き立てて缶詰を開けるように天井を剥がすと背後へと放り投げた。


 半開きの口からは大量の涎がとめどなく溢れて、少女の顔を濡らした。圧倒的な強者から発せられ殺気に少女は悲鳴を上げることもできない。人狼は先ず、動かない母親に目を付け腕を伸ばした。

「や、やだ……」

 少女は母親を奪われまいと服を掴んだが、適うはずもない。人狼は鼻をひくひくさせて獲物の匂いを嗅ぎ、大きく口を開けた。


 乾いた破裂音と衝撃。人狼は首を傾けた。何かが邪魔をしている。衝撃を感じ、脇腹のあたりをさする。

「化物!」

 一人の警官が立っていた。構えたリボルバーからは白煙が白く伸びている。

 警官は引き金を引いた。一発、二発、三発。人狼はそのたびに首を傾げた。ついに最後の弾丸を打ち込んだが、体表どころか毛の一本さへ傷ついていない。

 人狼は警官に注意を払うの止め、ぐったりとしたままの少女の母親へと意識を戻した。

 ここはどうやら食べ物に溢れているらしい。このメスも、子どもも、そこのオスも全ていい匂いがする。


 警官は弾を込めようとするが手が震えている。早く、早くしなければ!

「足止めご苦労さん。あとは任せろ」

 警官の横を誰かが走っていった。

「犬っころが! しつけがなってねぇなぁ!!」

 男は人間らしからぬ素早さで瞬く間に人狼との距離をつめ、剣を振り下ろし人狼の頭を切断した。

 鮮血が吹きあがってぐらりと揺れる体を蹴飛ばし、母親を片手で受け止め、少女を固定していたシートベルトを剣で素早く切断すると鞘に収め、少女の襟首を掴んで引っ張り上げた。


「時間がないからな。乱暴なのは少し我慢してくれ」

 男は警官のそばに跳躍して降り立った。

「あんたいったい……どこかで見たことが……」

 見覚えのある顔。そうだこの男は以前、交差点で倒れていた男だ。警官は佐藤を思い出した。

「二人をどこか安全なところへ」

「え? あ、ああ! 分かった!」

 警官は佐藤から母親と少女の身柄を引き継ぐと力強く答えた。

 佐藤は警官が母親を背負って少女共に歩き出した見て、身をひるがえして人狼の群れへ駆けだした。


「エリナ! そっちはどうなってる?」

 佐藤は人狼の腕を斬り飛ばして体を回転させて顎から頭蓋へ向けて聖剣を振った。吹き出した血が聖剣の軌跡をなぞった。

『対応中だ。しばし待て』

 エリナはスクランブル交差点を挟んだ反対の場所で戦っていた。スクランブル交差点のど真ん中に出現した裂け目からは人狼の群れが出現し続けている。


 逃げ遅れた男へ人狼は爪を振り下ろそうとしていた。

 エリナは華奢な体で素早く接近し、脇腹へ拳を叩きこんだ。悲鳴を上げなら横っ飛びする人狼へ向けて手を開き、展開された魔法陣に人狼の半身が飲み込まれたところで手を閉じた。人狼の体は収縮する魔法陣に切断されアスファルトの上に落ちた。


「立て」

 エリナは地面に座ったままの男にに向けて声をかけるが、混乱した様子でとても立てそうにない。エリナは西島の事を思い出し、ぐるりと目を回した。

「なるほど、これをデジャブというのか」


 宮之守は佐藤とエリナより離れた駅前にて戦っていた。

『佐藤さんは人狼の殲滅優先、暴れまわって奴らを引きつけて。まみちゃんが駅の方へ避難誘導をしてくれてる。そこへ行くように言って!』

「了解!」


 対策室の対応は後手に回っていた。

 人に溢れたスクランブル交差点では今だ多くの人が逃げ惑い、事故を起こした車と人狼によって退路を塞がれている。封鎖部隊を展開する余裕も、指揮車のドローンを使って状況を俯瞰する時間もない。

『エリナ、そばの大きな駅は見えるね? そこに逃げ遅れた人を送って』

だく

 エリナは両手を広げ、次々と逃げ遅れた人々を転送を始めた。

『戦いながらか、面倒な』

「俺の口癖がうつったか? エリナよ」

『うるさいぞ』


 聖剣は真っ赤に濡れ、佐藤の白いシャツも血に染まっている。佐藤は人狼の心臓から聖剣を引き抜きぬいて悪態をつく。

「この犬ども、どんどん出てくるぞ。トカゲ野郎といい植物野郎といい、こんなんばっかかよ!」

 右手の聖剣で人狼の胴を裂き、左手の鞘で頭を打ち付け骨を砕く。人狼の屍があちこに転がる中に混じって逃げ遅れた人の亡骸を見る。逃げている最中に背中側から切り裂かれ絶命したのだろう。今この瞬間も悲鳴が聞こえる。女性も男性も、子どもすらも関係ない。見な等しく、叩き潰され、引き裂かれていく。


 佐藤に鋭い爪が迫る。身を低くして躱し、聖剣を振り上げ腕を狙う。人狼は身を翻して距離をとった。

 人狼は首を傾げ、そして傍の車からドアを引き剥がし、投げつける。佐藤は右へ躱したが、潜んでいた人狼が飛び掛かった。

 佐藤は左手の鞘で打ち付けた。人狼はそれを掴んで阻止。聖剣を突き刺し、倒す。

「少しづつ慣れてきるか」

 まるで剣の刃が人狼の体から遠ざかっているようだ。それまでの致命傷となりえた攻撃の幾つかが届かない。

 人狼が佐藤に飛び掛かろうとしたところ、頭が弾けて飛散し絶命した。残った体は勢いのまま地面を滑った。

 傷口からは黒い煙が上がり、それはすぐさま霧散していった。


 攻撃が行なわれた方向を見ると片膝をついて手を突き出している宮之守がおり、掌から漆黒の塊が今まさに形成されようとしていた。霧散した魔力が再び収束し矢の形となっていく。

 宮之守は矢を続けざまに射出した。弦の弾けるような乾いた音がなり、一射ごとに人狼が倒れていく。

「ハハ! あいつなんでもありかよ」

 佐藤は宮之守の援護射撃に合わせ、人狼が怯んだすきに四体を斬り倒した。

『目のまえに集中! 燃費がよくないから長くもたない!』

 宮之守の背後では音川が声を上げて避難誘導を行なっており、今も人が走りこんできている。

 近づかせるわけにはいかない。だが自分が前線に出すぎるわけにもいかない。


 封鎖部隊は……駄目だ。エリナが手一杯の今では転送魔法で呼び出すこともできない。車で移動中であるが到着もまだ先。でも金属をやすやすと引き裂く爪と腕力に鎮圧用の盾でどうにかなるものでもない。有効な武器は今だ開発中でとても使えたものじゃない。

 範囲魔法で薙ぎ払うか? それも駄目。一般人も巻き込んでしまう。


『宮之守。周囲の人間はあらかた送った。だが人狼が四方に散らばりはじめた』

 エリナの声を拾うインカムには人狼どもの唸り声が混ざっていた。状況は良くない。

 この生物がこのまま拡散すればどうなる? 甚大な被害が広がることは明白だ。

「どんだけデカい群れなんだよ。クソが。裂け目に近づくことすらできないぞ」

『我も近づけんぞ。手が足りん』


「助けて……!」

 佐藤は激しい戦闘の最中で、か細い声を聞く。立ち往生したバスの窓から逃げる機会を失い、窓から手を伸ばす子どもの姿を見た。

 佐藤の脳裏に再び、世界の渦で見た光景が思い出された。助けることもできず命を落としたであろう子どもの姿が重なり、体が熱くなる。


「今行くっ、ぐあ!」

 佐藤の一瞬の隙をついて人狼の振るった鋭い爪が佐藤の肉を裂いた。

 とっさに聖剣で防御したものの完全には防ぎきれず、赤い血が右腕、右太腿から流れて、スーツを赤黒く染めていく。

『佐藤さん!』

 宮之守は援護射撃をするべく構えたが、佐藤の動きが鈍った隙に何体もの人狼が宮之守の方へと殺到してくる。二足歩行から四足歩行へ切り替えて獲物に飛び掛からんと血走った幾つもの目が向かって来ている。

 後ろにはも守らなければならない人々がいる。宮之守は射撃を止め、連接棍で応戦しようと構えた。


 宮之守は違和感に手に見た。武器が作られた感覚も、持った重みも感じられない。

「爪が!」

 魔力切れ。爪が白くなっている。予想以上に魔力の消費量が高かったのだ。

 宮之守の顔に爪が迫る。

「室長!」

 音川の叫ぶ声が、遠い。時間の流れさへも遠くなっていく。やる? 今、ここで?


 突然、爆発音が轟いて視界が遮られ、粉塵が舞い上がって視界は覆われた。

「何が……?」

何かの軋む音。音が次第に大きくなる。粉塵の向こうに何か、何かがいる。

「人……?」

 それは粉塵の中からゆっくりと立ち上がった。


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