宮之守は西島の後ろへと回り込んで、彼の両肩をがっしりと掴んだ。
「そ! 広報には西島君にやってもらおうと思う」
「なんでいるかと思ってたがそういうことかい」
目を丸くする西島を見て佐藤は笑った。
「我はどうせそんなとこだろうと思っていた」
エリナはどこからかスナック菓子の袋を取り出して、会議室に硬い咀嚼音を響かせた。 面白そうに笑う佐藤、エリナの自由奔放な振る舞い。宮之守の口から発せられた突然の知らせに唐田隊長の表情が自然と厳しくなる。
「私は……」
反対と言いかけて唐田は言葉を止めて腕を組んで唸った。
信用ならないこの男のせいでどれだけいらぬことに心を砕いかを考えれば反対したい。だが、室長の宮之守がそう決めたのだ。従うほかない。
「しかしやはり……」
唐田隊長は口を閉じ、目を瞑った。
佐藤よりも唐田の方が小松と音川との付き合いは長い。創設時からのメンバーなのだ。共にいくつもの現場を回ってきた経験がある。
それからゆっくりと目を開け、小松、音川を順番に見て、西島の目をまっすぐと見つめた。
「……わかりました。この男のことは信用なりません。ですが小松さんと音川さんを信頼していましす、前例でもあります。室長を信じ受け入れます」
「ありがとう。分かってくれると思ってた」
宮之守は凛としてモニターへ歩き出したところへ、西島が口を開いた。
「や、あのオレの……えと、オレの意思、というのは。その……どうなっているのかなぁって、あはは……」
宮之守の微笑みにそこはかとない何かを感じ、西島は黙った。
「大丈夫。悪いようにはしないから、また後でね」
「は、はい……」
「なぁ……どういうこと? 前例って何?」
佐藤は首を傾げ、小声で隣のエリナに問いかけた。
エリナはチラリと佐藤を横目で見たが、すぐに目を伏せた。
「それは本人達から聞け、我の答えるところではない」
「聞けねぇだろ。……雰囲気的に」
「ならいずれ聞けばいい。……時間だ。見回りに出るぞ」
「あ? おい! って、うわ!」
佐藤はエリナに首根っこを掴まれ引きずられて転送魔法陣へ連れ込まれていった。
「まぁ……エリナも行っちゃたし。というわけなんで今日はここでお終い。各自、地図と警護ルートは頭に叩きこんでおくこと」
宮之守はそれからと付け加え、音川を引き留めた。
二人は向かい合って席に着いた。人がいなくなったことで静まり返った会議室には緊張、不安とが混ざっているように思えたが、そう思っているのは音川だけのようでもあった。
音川は遠慮がちに宮之守へ顔を向け、すぐに下を向いた。机の下で握られた拳が強張っている。
「何の話か分かっているよね?」
「情報が漏れたこと……ですよね?」
「そう」
平然としているようで宮之守の声のその裏からは小さな怒りと、もう一つの何か別の感情があった。
「私、です」
音川の声は少し震えていた。
宮之守室長のことだ、きっとどこかの時点で私が犯人であると気が付いていたに違いない。それに、これ以上誤魔化すこともしたくない。
硬く閉じていた拳を開き、意を決して顔を上げた。
自分の断固とした信念による行動なのであって間違った方法だとしてもせめて伝えたい。二人の視線が合わさり、音川は思わず顔を逸らしてしまった。
たしかに声は怒っていた、なのにどうして顔は優しく、微笑んでいるの? どうして? どうして……。
音川の視界が歪む。眼鏡を外し、目から溢れるものを拭った。
「もっと怒ってくれた方が楽、です」
宮之守は短く、怒ってるよといって穏やかに言葉を続けた。
「西島君に情報を漏らしたのは友達を探すため、でしょ? 少しでも手が届くなら、走せざるを得なかった。少しでも近づけるなら。まみちゃんはそういう子だって知っているから」
音川は頷いた。
UMA関連の動画配信者としてチャンネルを持ち、日本中を旅していた西島であれば何かしら手がかりがあるかもと思っての行動だった。
「思いついてしまったら、どんなものでもいいからって思って」
「でも、手に入れた情報はたいしたものじゃなかった……。組織の一員としてやってはいけないことをして全員を危険に曝したわけだから叱らなきゃいけないんだけど。浅はかで、愚かで、どうしようなく無鉄砲だよって」
宮之守の言葉一つ一つが、音川の心に圧し掛かる。
でも、どうしてなのだろう。それはどこか温かくて、私にはなんだか。
「どっちかというと寂しかった。ううん、違う。悔しかったし自分に怒った」
宮之守の意外な言葉に、音川は顔を上げた。
目を細め、音川の赤い瞳を覗き込む茶色の瞳は僅かに潤んで、微笑んで語り掛ける口調は柔らかく、包み込むようだ。
「私はまだ力不足なんだなーって、反省もした」
宮之守の組まれた手はどこかあどけなく、無邪気に思えた。不思議なことにガラスのような脆さすら感じられた。
「そんな! 違います!」音川は立ち上がった。「室長はいつも強くて、かっこよくて! 何も間違えないし、私の憧れなんです! 自信満々な笑顔に支えられてきたんです」
その笑顔の奥に、何かがあるとしても。
「ふふ、ありがとう」
宮之守は立ちあがって大きく伸びをした。
「これで終わりにしよっか。お説教とか私のがらじゃないしさぁ」
「そういうものなのでしょうか?」
「良いんだよ、私の場合はこれでさ。なんだか思い出すなー。初めて会った時もこんな感じだったよね。友達の情報欲しさに小松君と共謀して、政府のデータベースにハッキングを仕掛けたとき」
「確かにその時もこんな感じだったですけど。……恥ずかしいですよ」
顔を赤くする音川を見て宮之守は白い歯を見せてにかりと笑った
「でも、次はもう庇えないからさ。だから、まみちゃんがこんな事をしないですむように頑張る。友達の行方が少しでも早く分かるように、探せるようにね。だから、足りないことがあったら遠慮なく言って。早く、その赤い目をくれた友達に会えるように、ね?」
音川の目は赤い、夕暮れの太陽のようだ。音川は目を拭い、眼鏡を掛けなおした。それは伊達メガネで瞳の色を隠すためだった。
「……ずるいです。そんふうに言われたら、はいって答えるしかないじゃないですか」
「そうでしょ?」
宮之守は首を傾げならいつもの不敵な笑みを見せた。
「やっぱりずるいです!」
「そう、私はずるい。次の室長の候補なんだからこれくらいやってもらわないとねぇ。おっと、エリナから連絡……裂け目があったってさ」
一瞬にして宮之守の目が鋭いものへと変わったが、音川の方はというと戸惑っている。さっきの言葉は聞き間違いだろうか。次の室長って?
「あの! さっきなんて言いました?」
「さ、行こうか。今日は残業かもねー」
宮之守はそう言うと室内に出現した転送魔法陣に飛び込んでいった。
宮之守と音川は魔法陣を通り抜けて外の眩しさに目くらませた。
車の音、信号の誘導音。だがそれだけでない。鳴りやまないクラクション。ガラスの割れる音、悲鳴、何かの唸り声。足を動かすと水の音が聞こえた。
周囲の音から察せられるのはエリナは街中に転送魔法陣を出現させたこと、本来ならありえないことだ。
異常事態であることを宮之守は瞬時に判断し連接棍を生成させた。
音川は手で影を作り、下を向いて悲鳴を上げた。
血だまりだ。彼女は赤い血だまりの中に立っていた。傍には男が倒れている。背中は大きくえぐれ、ずたずたに裂けた筋肉の間から白い骨が太陽のもとに曝されている。
「まみちゃん!」
嗅いだことのない血の臭いと濃い獣臭があたりに満ちている。
口を多い隠しても隙間から入り込んで、荒くなった呼吸が取り込んでいく。音川の足から力が抜け、血だまりにへたり込んだ。血に濡れていく服はまるで死を吸い上げ、音川を染め上げようと這いあがってくる。
焦点の合わない死んだ男の目は自分の血に半ば浸かっていた。
力が入らない、音が遠ざかる。体の熱が引いていく。腹の奥から何かがこみあげてくる。怖い。私は……。
「まみちゃん!!」
音川の頬が打たれ温かいものが手に触れて、彼女は宮之守の顔を見た。
「しっかりしなさい!」
痛み。頬を打ったのは宮之守の手、その手が音川の手を握っている。
「あなたは誰か! 答えなさい!!」
「私は……」
「あなたは対策室の情報官! 人々を守る者! 強い人! 立ってあなたの戦いをなさい!! ここで戦わなくてどうして友達にあえるというの!」
宮之守は立ち上がり、振り返って連接棍を振るい、背後から迫っていた怪物の頭を打ち砕き、声を張り上げた。
「皆さん! こっちへ走って! 駅の方へ急いで!」
人々が駆け込んでくる。顔は恐怖に染められて、声を震わせている。
「私は……!」
音川は立ち上がって叫んだ。
「皆さん慌てず、でも急いで! こちらへ走ってください!!」
逃げ場を見失った多くの人々。状況はまだ完全に飲み込めない。でも、やれることをやる。