幅広の門柱に寄りかかって、佐藤は宮之守と老婆の会話が終わるのを静かに待っていた。
老婆は家まで送ってくれた礼だと言って、自宅の庭で育てた果物を半ば強引に宮之守に持たせようとしている。親切が嬉しかったこと、自分より若い者と話せることが楽しいのだろう。老いた声を弾ませてにこやかに笑っている。宮之守は老婆の話題が彼方此方に飛んでも一つ一つ聞いて、相槌を返していた。
佐藤は門柱を離れ、塀の影に隠れた。
どうしても楽し気な会話に加わる気にはなれなかったからだ。心は今だに墓前にいて、伝染病という言葉を反芻している。
自分は伝染病に罹患していたことを何故今まで忘れていた? 死んだ事実ばかり印象に残っていたが……。きっと簡単なことだ。子どもに要らぬ心配をかけぬように父も母も、病気の詳細を黙っていたに違いない。
少年時代を思い返せば病気以外の記憶はあまりない。症状は悪くなるばかりで、時間が経つにつれて起き上がることも出来なくなっていった。足や腕はおろか、指の一本さへ動かせないほどに弱っていた。
そうだ、あの時にはもう、指はもちろん、腕も足も既に炭のようになっていて崩れてしまっていたからだ。
俺が感染してしまったせいで父も母も死んだ……? 俺がそうならなければ。でも、感染したのは、一体どこから?
両親に再び会えるかもしれないという思いはあったが諦めてもいた。無駄に期待するより、その方が楽だからだ。墓参りするのは単なる思い付きに近かった。もしかすると、自分の墓を手掛かりに再会できるかもという淡い期待が無かったと言えば嘘になるが。
「いいの、いいの。持ってって、彼氏さんと一緒に食べなさい」
「あはは、じゃぁ遠慮なく」
宮之守が塀の端から顔を覗かせる。
「ここにいたんですね。最後に挨拶くらい……」
佐藤は無視して歩き出した。
「あ、ちょっと……もう。では、お婆さん、私はこれで」
宮之守は頭を下げて別れを告げ、小走りで追いかけた。
「彼氏さん、ですって」
佐藤からの反応はない。
「まぁ、そういうふうに見えるかもですね」宮之守はイチジクを差し出す。「はい、佐藤さんのぶん」
佐藤は無言でそれを受け取った。佐藤の耳に聞こえるのは病床での両親の言葉。
「すぐに良くなるから、心配しないで」
「啓介は強いからな。良くなったら遊園地にでも行こう」
伏せっていた自分にかけられた母と父の優しい言葉。
「……知ってたのか?」
「はい?」
「伝染病のこと。俺の親もそれで死んだこと」
「……えぇ。知っていました」
「どうして話さなかった?」
「私が話して、何か変わるわけでもないと思ったから……」宮之守は大きく息を吸った。「いえ……、正直にお話ししましょう。迷っていたからです。立場上、ご両親に起きたことも知っていましたが、プライベートな話題であったので私の口からお伝えすべき話題なのかって。知ったことでどうなるかとも」
「あの時……どうして俺の腕を掴んで引っ張った?」
墓場で佐藤が老婆へ質問を投げかけた時、宮之守は佐藤の腕を引っ張った。聞かれたくない何かがあるというように。
「それは……」
「言えないことなのか?」
「今は、まだ……」
「……そうか」
佐藤は息を吐き出した。全身から余計なものを手放してしまいたかった。
「笑わないんだな」
「え?」
「いつものように、自信満々な顔でよ」
佐藤は疲れたような笑みを見せ、宮之守はただ目を伏せていた。
二人の歩く先にエリナの姿が見えた。腕を組んで民家のブロック塀に寄りかかっている。
「終わったか? 待ちくたびれたぞ」
「あぁ、終わったよ。ほれっ」
佐藤はイチジクをエリナに投げ渡した。エリナは掴みとってしげしげと眺め、目を細めて鼻を近づけ、匂いを確かめた。
「なんだこれは? 果物か?」
「イチジクってやつだよ。八月の今くらいが収穫の時期だ」
「ふむ、これはまだ食べたことがない。まさかお前から供物があるとはな。感心したぞ」
「エリナはまだ果物はあまり食べていないものね」
佐藤の後ろから顔を出した宮之守がエリナへ微笑みかけた。
「そうだな。たまには……こういうのほ、わるくふぁい」
「食べながら話すんじゃねぇ」
エリナは僅かに首を傾げ、二人を見た。二人の間に流れる微かな違和感に気が付いたようだ。
「……何もねぇよ」
「何にもないですよ」
「我は何も言ってないが?」
暗い会議室の大型モニターに映し出された見取り図。一時間程続いていた会議がひと段落したところで佐藤はため息を吐き出し、伸びをして会議室の机につっぷした。
護衛対象の日程。移動ルート、此度の仕事はこれまでの内容とは異なっている。注意すべきこと、見なければならないこと、不測の事態への対応……。対策室のメンバーはそれらに目を遠し、当日の動きを把握していく。
「警護ねぇ……それって俺らのやる仕事なんか? 大将さんよ?」
やる気なくだらしなく伸びる佐藤と、スマホを弄ってばかりのエリナに封鎖部隊隊長の唐田は眉をひそめ、ここに来てそれをいうのか言い出しそうな思いを飲み込んだ。
並んで座る彼らの向かいには小松、音川、そして先日のマンドラゴラとの一件での西島の姿もあった。
西島はこの場から一刻も早く逃げ出しただろう気持ちが表情に嫌というほど浮き上がっている。
「私らだから、するんですよ」
宮之守はリモコンを操作して照明を明るくさせた。
部屋の最奥に供えられたモニターには大きく『日本、エルフ、友好祭警護計画』とある。
今回、異世界生物侵入対策室が行なう仕事であり、そのためにメンバーが呼び出されたのだ。
「外国の要人がやってくるという一点を見れば私達の範疇外。でも異世界リーイェルフの人となれば、当然こっちの領分でしょう」
「へいへい、まぁ、頑張りますよー」
佐藤は投げやりに答えたところ小松が興奮ぎみ話し始めた
「佐藤さんは気にならないんすか?」
「いや?」
「こんなすごいことに立ち会えるなんてめったにない事なんすよ! 国名ツーナス。国土の殆どが森林地帯。ビル並みに巨大な大樹が生えていて、幹の周りに家を取り付けたり、中を刳り貫いて住居として。魔法が得意で長命で……まさに! まさにファンタジーで書かれたようなエルフ像! 行きたいなぁ……。僕、行って来ます!」
小松が目を輝かせて児戯じみた歓声を上げて勢いよく立ち上がる。その隣の音川は呆れたようすで額に手を当てた。
「そこ、勝手に進めない。駄目だからね。君の性格から言って、仕事ほったらかして夢中になっちゃうでしょ。国交が本格的になるまで駄目。あと行くなら個人的に」
「そんなぁ……。じゃ、佐藤さんに一緒に来てもらましょう。僕の仕事の監視役ということで!」
「俺、高いとこ苦手なのよね」
「もう! 小松さんは黙ってて!」
音川は小松の白衣を引っ張って座らせた。
唐田が手を上げ、宮之守はそれを指さす。
「護衛対象の方はどんな方ですか? 三人来るとありますが、渡された資料には写真の一枚も無いですし」
唐田はリストにならぶ読み難にくい名前を声に出して言った。
イン・ギリン・マウ。アレイ・シンジニー・シュリ。今回一番の重要人物とされる、レミュ・ミーアス・ジュ・デ。
「名前だけでなく他に情報も欲しいところですが」
「それがねぇ。向こうが嫌がってるのよね」
宮之守は掌を指揮棒で叩く。
「嫌がっている……?」
「科学技術に対してまだ懐疑的なところがあるのよね。『健康と会談の為にワクチンを摂取の条件は呑む。だが此方が欲しい技術を現地で選ばせてくれ』ってね」
「クク……。エルフさんは写真を取られたら魂でも抜かれると言いそうだな」
佐藤はファイルを軽く指で弾いて机置いた。
「実際に最初はそう言ってたみたいですね。今回の会談にこぎつけるまでに偏見を解くのにだいぶ手こずったみたいです。向こうの魔法使いが薬に呪いなどがないことを証明して、ワクチン接種の有効性と人類側の歴史を丁寧に時間をかけて説明してようやくって。こっちの病気に罹って重症化。最悪、死亡なんて笑えませんから……」
それから、宮之守は何かを思い出し、お知らせがあると言って姿勢を正した。
「この機会に私達の活動を公表することにします」
「公表……ですか?」
「そう! ここはおおやけの組織になるの」
これまで異世界生物侵入対策室は言わば秘密組織であった。
秘密裏に裂け目の現場へ急行し、侵入者へ対処し、何事もなかったように隠蔽する。それが対策室であった。
「本格的に異世界との交流が行なわれるとなれば、もう他の世界から侵入して来る存在に対して事故やなんかで隠し通すことはできない。今でも限界が近いのは封鎖部隊がよくわかっていることと思う。だから公表するの。異世界がからんだトラブルに対処する組織があることを一般人に広く知ってもらうようにする」
唐田が片方の眉を吊り上げ、再び手を上げた。
「つまり、これからは活動の広報することもある……ということでしょうか?」
「そうね」
「では新たに人も手配すると」
「いや」
「では広報担当は誰が……」
「そこに」
宮之守は腕を組んだまま顎を動かした。この場の全員の視線が、ある一点に集まる。
「え? ……え!?」
西島はぎくりとして左右を見回し背筋を伸ばした。宮之守の方を見ると目を細め、ニヤリとした笑顔を見せている。
西島はこのとき初めて、宮之守を怖いと思った。