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第27話 佐藤の墓参り(1)

 佐藤は炎天下のもと汗を流しながら桶に水が溜まる様子を水汲み場の縁に手をついて眺めていた。

 蛇口から流れる水は一見すると爽やかだが触れば温く、爽やかさとは程遠い。

 それでも掌に掬って顔を洗えばひと時ばかりは清涼感をえられる。あたりを一面を焼けつくすようなほどの暑さの前では、まさに焼け石に水という程度のものであるが、ないよりはあったほうが良い。


 水を止め、桶を持って短い石の階段を昇る。

 乾いたコンクリートの舗装に飛沫が落ちるが、瞬く間に消えていってしまう。

 郊外の丘に作られた墓地。ひっそりとして佐藤の他に人の姿は見えない。連日の猛暑、盆休みでもなければわざわざ日中に来る人などいないだろう。

 佐藤は一つの墓の前で足を止めた。『佐藤家之墓』墓石にはこう彫られている。佐藤の両親、そして転生する前の病死した自分の骨がここに収められている。


「手伝ってもらって悪いな」

 佐藤は水桶を降ろして肩にかけた手拭いで汗を拭った。

「いえ、かまいません」

 同じように手拭いを肩にかけた宮之守が軍手をはめて墓の周りの草を毟っていた。

 すでにゴミ袋には落ち葉や雑草が二袋分になっている。伸び伸びと育っていた雑草がこの量で済んだのは、この墓地の管理人が日々面倒を見ていてくれたお陰なのかもしれない。


 佐藤も草むしりに加わり、一通り片づけ終えると墓石に水をかけ、墓前に食べ物を供えた。メロンパンにチョココロネ。父と母、それぞれの好物だ。甘いものが二人して好きだった。

 手を合わせ、自分のこれまでのことを亡き二人に向けて報告する。

 病死したのちに魂は異世界へ渡り、転生を果たしたこと、その世界で剣を覚え、勇者となったこと。再び日本へ戻り、政府の組織で働くこととなったことを一つずつ。


 目を開け、墓石を眺めた。

 かけた水は既に乾き、彫られた文字の溝に僅かにその痕跡を残すのみとなっていた。

 古く、長年の風雨で汚れたせいで、細かい苔が残っている。この墓石の下にかつての自分の骨がある。

 佐藤は妙な気分を味わっていが、それを現す言葉がない。死んだ自分が入っている墓へ来る。不可思議で奇妙で、誰もが未体験なのだ。仕方がないと自分に言う。


 振り返ると宮之守がいない事に気がついた。

 佐藤へ気を利かせたのかもしれない。佐藤の願いを聞き、両親の墓地を探し出したのは宮之守だ。せめて両親にきちんと別れと報告をしたいという願いを受け、宮之守は快諾したのだ。

 「もう、いいのですか?」

 宮之守の声が背後からして、振り返ると首元にピタリと冷たいものが当たった。

「そこの自販機で買ってきました。とりあえず麦茶でいいですよね?」

「助かる」

 太陽が照り付け、火照った体にはこれほど気持ちのいいものはない。さっそく蓋を開け、喉へと流し込んだ。駆け抜けるような冷たさがなんとも心地よい。


「どうでした?」

「どう、と言われても……どうだかね。妙な気分としか。なんせあの石の下にはもう一人の自分がいて、両親が一緒に収まっているとか、実感なんてまるでない。親しい他人の墓って感じだ。……でも、そうだな。おかげで踏ん切りがついたというかスッキリした。……見つけてくれて感謝しているよ」

「礼を言われるほどじゃないです。名前も以前の住所も分かっていればさほど難しくないですから。それに上司としてやれる範囲のことやった、だけですから」

「良い上司を持ったもんだ」

 宮之守は満足したようににんまりとして微笑む。

「そうでしょう、そうでしょう」

「それがなけりゃもうちょっとな」

「あ、ひどい」


「あら、あなた達。どちら様で?」

 二人が声の方へ振り返ると日傘を指した白髪の老婆が立っていた。小さな花束を持っているとこを見るにこの老婆も墓参りに来たところのようだ。

「あっと俺たちは……」

「私達はこちらの方に以前お世話になった者でして」

 答えに窮している佐藤に代わって宮之守が答えると老婆は花を咲かせるように笑顔を見せた。

「あらあら、そうだったの! 佐藤先生の教え子なのね!」

「そ、そうなんです俺達。たまたま近くに来る機会があったので墓参りをと思って」


 佐藤はぎこちなく答えた。

 佐藤の母親は小学校教師であったから、生徒の一人として身分を偽るのは難しくない。だが、母と父の墓を前に、自分は息子であると答えられないもどかしさを佐藤は噛み締めていた。


 戸籍では佐藤啓介という人間は死亡扱いだ。この世界では同姓同名の赤の他人にすぎない。親しい他人。自分で口にした言葉は石のようで、繋がりが何もないと思わせてしまう。冷たくもなく暖かくもない。ただそこに事実として転がっている。わずか十六歳でこの世を去った少年と、四十六歳の男を繋がられるものは何もない。声も顔も、流れる血も全てが違うのだ。


「もしかしてお婆さん。先生の墓を綺麗にしてくれていたのですか?」

「そうなの。と言っても最近はできていなかったけどね。先生は良い人だったのだけど、あの病気が流行ったでしょう? そのせいで皆離れるか、死んでしまったから。息子さんも可哀そうにねぇ。家族そろって同じ病気で死んでしまうなんて」

 老婆は墓の前に行き、花を供えながら続けた。

「近くにいるのはもう私だけでね。掃除もしたかったけど歳だし、最近は暑いしで、こうして花を供えるくらいしか出来てなくて気になっていたの。でも、良かったわ。こうして綺麗にしてくれてきっと先生も喜んでいるわ。ありがとうねぇ」

「いえ……俺達は別に」

「気にしないでください。では私達はこれで。暑いので熱中症にはお気をつけて」

「ええ、あなた達もね」


 宮之守は歩き出したが、佐藤はその場に立ち止まったまま老婆の背中を見ていた。

「……どうしました? さ……啓介?」

 宮之守はとっさに下の名前を読んだが、佐藤は気にせず老婆の背中へ声を投げかけた。

「あの……病気、というのは?」

「あら、知らないの?」

「そうなんです。私達が卒業したあとのことで詳細はしらなくて、ほら、行くよ啓介?」

 宮之守が佐藤の腕を掴んで引っ張るが頑として佐藤は動こうとしなかった。

「教えて……教えてくれないか?」

 老婆は下を向き、顔が陰る。

「そうね、もうだいぶ昔に流行った病気だし、知らない人がいるのも無理はないのかも。このあたり一帯に一時的に流行った伝染病よ。とても珍しくて手の打ちようもなくて、亡くなってしまった人の遺体は……とても酷いものだった」


 老婆の顔は険しいものから次第に悲しいものへと変わり、目を伏せた。当時の記憶が蘇っているのだろう。老婆の頬を涙が伝った。きっとこの老婆もその伝染病で誰かを亡くしたに違いない。

「黒く、岩のように硬くなってしまうの。手足の先からね。少しずつ腐って硬くなって、焼けた炭みたいに崩れいくの。それが次第に心臓に向かって行って……死んでしまうのよ。みんな痛いって言いながら……」

 老婆は弱々しく、力が抜けるようにしてその場に座り込んでしまった。

「お婆さん大丈夫? 顔色が良くないですよ?」

 宮之守が駆け寄って声をかけた。

「ありがとう、優しいのね。……もう昔のことだから立ち直ってて大丈夫かと思っていたけど、いけないわ。歳をとって弱くなってしまったのかしら」

 老婆は涙を拭い、体を支えてくれている宮之守に気丈に笑いかけた。


「送ります。家はどちらに?」

「すぐそばなの。でも……そうね。送っていってもらおうかしら。若い人ともう少し話していたいと思っちゃったの。すこし我儘に付き合ってくれるかしら?」

 申しわけかなさそうにいう老婆に宮之守は微笑み返す。

「いいですよ。さ、行きましょうか」

 宮之守と老婆が佐藤の横を通っていく。佐藤は墓石を見ていた。もうどこにも濡れた後は残っていなかった。

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