佐藤はエリナのいる薔薇園へと駆けつけた。
木の陰へと身を隠し、肩を上下に揺らし息を整えながら周囲の様子を伺う。
音川の報告を聞きつけ、作戦指揮車で映像を確認したときには地面に倒れるエリナの姿があったが、直後に何者かの攻撃を受け、ドローンからの映像は途絶えた。
佐藤は深く呼吸を吸い、聖剣をゆっくりと鞘から引き抜く。刀身に木漏れ日が反射し地面の上を光が滑った。
倒れるエリナの映っていた映像にはマンドラゴラの姿は一つも無かった。裂け目のある頂上付近からもその姿を消している。
静かだ。蝉の鳴き声さへ聞こえない。
エリナは瞬時に魔法で移動して敵の背後に回り込むことができる。
世界の渦と繋がる魔力の目はささいな魔力の流れを繊細に感じ取ることができる感覚を潜り抜け、エリナを倒すことのできるとなれば相当な力を持っていることは明らかだ。
魔法生物であるマンドラゴラがさらに変異したか、あるいは新たな異世界生物が侵入してきたのか。確実に言えるとすれば敵対的であることは間違いない。
佐藤は木の陰から剣の切先を伸ばし、磨き上げられた刀身を鏡の代わりにして様子を見た。何もいない。
「ここからじゃエリナの姿が見えねぇが、マンドラゴラの姿すらねぇぞ。みんな枯れちまってると良いんだがな」
ここはマンドラゴラの活動圏内だ。中心部と比べて密度は薄くなるが一体もいないのはおかしい。不気味な静寂と生ぬるい風。佐藤の頬を汗が伝った。
「音川、そっちはどうだ」
『今のとこ何も……インカムの信号も微弱すぎて拾えません』
本来ならドローンを飛ばして捜索するところだが迂闊に飛ばせばただの的になるだけである。歯がゆさを感じながら音川は望遠カメラで周囲を警戒していた。
佐藤は小さくため息をついた。
面倒だ。もっと面倒なことにならなければいいが。
『もしかしてこれってマズイ状況なんですか? 大丈夫なんです?』
西島の声が音川のマイクに入り込んだ。
『作戦中は黙ってて』
『はい……すみません』
音川のきつい言葉を最後に西島は黙った。
「エリナ、応答しろ。……エリナ」
佐藤の呼びかけに反応はない。
マンドラゴラはこの瞬間もこちらの様子を伺っているのだろうか。もしかするとすでにそばに来ているのかもしれない。
奴らの体表は植物と同じで、天然の密林迷彩を纏った化物を視覚に頼って見つけるのは困難だ。
剣を握る手は汗でじっとりと湿っている。
「エリナ……。おい、クソ女神」
返事が返ってこないかと思われた時、弱々しい声をインカムが拾い上げた。
『……誰が、クソ女神だ。……若造』
「ハハッ。聞こえてんじゃねぇか。元気そうだな。くたばってなくて残念だよ。それで、今どこにいる……?」
『こっちには、来るな。奴は……』
エリナの声が途切れ、インカムにガサガサとノイズが混ざる。
『……誰ト話てイルのカな?」
男の声だ。
『この耳飾りからは魔力ヲ感じないね。面白い。ははぁ、コッチの世界ではコウイッタものを使うのカ』
声は若く、強い訛りが混じって、楽し気に声を弾ませた。日本語にあまりなれていない外国人のたどたどしい発音であったが、佐藤にはそこから隠しきれぬ邪悪さと悪意を感じ取ることができた。
「誰だ、お前……」
佐藤は低く、唸るような声で言った。
おそらくエリナのインカムを取り上げのだろう男は一瞬、驚いた様子の声を上げたが、それも楽しんでいるようだった。
『やぁやぁ! 君が仲間なのかナ! ちょっとバかりオ邪魔していルよ』
「エリナはどうした?」
『エリナ……? あぁ!』男は佐藤の問いかけに得心し、相槌を打つ。『この子の事か、ここにいるよ。ずいぶん可愛らしい顔をシていて、まルで人形のよウだね。ちょっとばかり乱暴にしたので腹に穴が空いてしまったけど』
佐藤は木陰から飛び出した。
魔力感知は得意でないものの全くできないわけではない。これまでの会話の中でおおよその位置は掴み始めていたが、これ以上は我慢ならない。
エリナに対し危害を加えたことを許せなかった。エリナのことは気に食わないがそれでも仲間だ。やれたらやり返すしてやる。
激情に身をまかせながらも、エリナを仲間と認識している自分に驚きもしていた。ただの同僚でない。そう、仲間だ。佐藤は聖剣を握りなおした。
「どこの誰だか知らねぇがそこで待ってろ」
薔薇園の白い歩道を駆ける。
『もしかして怒っタ? 怖いなぁ、こっちの世界の人ってみんなそうなの?』
男の発する声から徐々に訛りが抜けてきている。言語を学習しているか、魔法による翻訳が行なわれているようだが佐藤はそんなことに気をかけない。会話の相手が敵対的な存在である事の方が重要だ。
佐藤は男の声から感じられる狂暴性と邪悪さには覚えがあった。力に酔い、他者を見下し、暴力をふるう事を何とも思わない人間の声だ。
「好きなだけ言ってろクソ野郎」
薔薇のアーチを潜り抜けると視界が広がり、一面の薔薇畑へと踏み込んだ。
風に揺れる赤や白の薔薇に囲まれて、足元を見下ろす男の姿を捉えた。男の見下ろす視線の先には白い服を着た……銀髪の少女。佐藤の手に力が滾り、頭がかっと熱くなる。
男はゆらりと佐藤の方を向き、インカムを地面に落とした。
彼もまた佐藤の接近に気が付いていた。
短く赤い髪。服装はゆったりとして風になびき、ゆったりとして、上は白く、金の花をあしらった刺繡が施されて、下は黒く幅の広い袴によくており、白い葉の刺繍はされていた。
長い袖で手は隠れて見えない。頭には赤い花の冠を被り、頭の右側からは髪飾りらしき物が水平に伸びている。顔つきは若く端正な顔立ちをしているが、その口元は酷く歪んで笑っていた。
清廉さと神聖さを漂わせる服装によって、相反する歪な表情がより際立っていた。
佐藤は吠えて、踏み込み、放たれた弓のように直進した。足元の舗装が衝撃にひび割れて砕ける。
佐藤の進む直線状に地面から触手が突き出し、壁となって立ちはだかる。
佐藤は聖剣で薙ぎ払い、飛び越える。佐藤は傍にあった木製看板を切断して掴み、魔力をこめて投げつける。
男は触手を地面から呼び出して弾き飛ばしたが、触手も無事ではなく、弾けて飛散し白い体液が断面より噴出した。
「ただの看板をここまで鋭く……凄まじい闘志に殺気」
「もう一回!」
佐藤は杭を引き抜いて男の顔目掛けて投げたが、触手が容易く撃墜する。だがそれは陽動であった。
「いない……」
男は佐藤を見失った。
佐藤は投げた杭と男の触手の僅かな死角を利用して男の反応を遅らせた。
鈍い衝撃。男の口から白い血液が吐き出された。
「……後ろ、に?」
背中から突き刺され剣は、骨の隙間を通って胸から飛び出していた。佐藤はゆっくりと捻り、傷口を押し開ける。
「案外、大したことねぇなぁ。えぇ?」
「……やるね」
男は口角を釣り上げて不気味に乾いた声で笑うと佐藤へわざとらしく掌を見せびらかし、くるりと回した。
触手が地面より飛び出して佐藤の手足を瞬く間に拘束する。ぎちぎちとした縄の締まる音とともに触手は絡まって、磔にして佐藤を宙吊りにする。ずるりと剣が胸から引き抜けられた。
「これくらいなら死なないから、一対一ではこうすると楽なんだよ」
男は口から垂れる白い血を拭った。
佐藤はもがきながら地中より飛び出した触手を見た。根だ。植物のような表面と細かい根が何本も寄り集まって一つにまとまっている。佐藤は確信した。
「お前がマンドラゴラの主か」
「マンドラゴラ……? あぁ、君たちが戦っていた人形のことか。いいね。その名前使わせてもらうよ。そう、いかにもその主さ」
触手に手を這わせ、男は邪悪な笑みを浮かべた。
「君は……なかなか魔力の流れがいいね。身体強化と……あぁ、なるほど。触った物体の強化ができるわけか」
男は瞬時に佐藤の能力を見極めニヤリと笑う。
男は袖をまくって佐藤の剣に指を這わせ、じっくりと品定めでもするかのように目を細めた。すると右手を拘束する手が縛り上げられ、根が食い込む。
「ぐ、うぅ!」
佐藤は歯を向きだして食いしばる。男は佐藤の緩んだ手から聖剣を抜き取り、美術品を扱うように丁寧に眺め始めた。
「剣そのものは至って普通。たぶん僕の世界にもあるようなごく普通の金属。異国の文化は知らないけど……ずいぶんと化物の血を吸っているじゃないか。手練れなんだね。装飾はどこも最低限で実用性重視。質の良い量産品ってところだね。君達はいったい何者なのかな?」
男は聖剣を地面に突き刺して佐藤の顔を興味深げに覗き込み首を傾げる。
「不思議だよね。どの異世界であっても人は人の形をしている。目、口、鼻……それに手足。全部同じだ」
男の右側に見えた髪飾りと思えたものは耳であった。片耳だけが異様に長くとがっている。耳にぶら下がった赤い耳飾りが小刻みに揺れていた。
「まずは自分から名乗ったらどうだ?」
佐藤は身を捩らせたが触手はきつく簡単には抜け出せそうもない。
「名前? いいよ。僕の名はレデオン。レデオン・アーデレイ・ジュ」
レデオンは佐藤の服を摘まみ、引っ張る。既に興味は佐藤から失われつつあり、服や装飾に気が向いているようだ。
「あ、ジュは剥奪されたからつかないんだったな……。そうだね旅の、しがない魔法使いだよ……。魔法使いって、わかる? まぁいいけど」
一瞬だがレデオンの顔は、男にも、女のようにも見えた。声は男性だが顔つきは中性的でもあり、時折どちらか分からなくなる。
「魔法……使いだぁ?」
「君は見たところ……戦士って感じかな」レデオンの顔から表情がすっと消えうせる。「もういいや」
レデオンは自分の好奇心を満たすものが佐藤にないと判断したのか瞳からは急速に好奇心が消え、興味を失っていった。
レデオンは指を鳴らし、触手が大きくびくりと波打ってうねり、佐藤を放り投げた。
佐藤は受け身を取ることもできずに木の幹に強く体を打ち付けられ悶絶する。
肺から空気が抜け、低い呻き語が漏れる。
「飽きたけど、耐久試験でもしてみようか」
地面が大きく盛り上がって土が噴出し、土煙の向こうに何か巨大な影を佐藤は見た。大型のマンドラゴラ。身長は十メートルはあるだろう巨体を揺らし、ばらばらと土をまき散らしながら立ち上がるってマンドラゴラは不格好なほどの巨腕を振り上げ、佐藤を押しつぶした。
小刻みに揺れる頭部は無数の花で覆われ、首をかしげながら目のない顔で佐藤を見下ろす。
声が出ない。佐藤の体を激痛が走り、息もできない。
「やっぱりずいぶん頑丈だよねぇ」
レデオンは直接見ることなく、踵を返してエリナの方へと歩みを進めた。
レデオンとマンドラゴラは魔法によって感覚を共有できるために、触接見なくとも状況を把握できる。マンドラゴラとの初戦闘に置いて佐藤を拘束し、槍で突いたのも彼が直接行なったのだった。
レデオンはエリナの傍に立って絶対的な力関係に酔いながら言った。
「やっぱり君の方がいいなぁ。銀髪の……えーと名前は……なんだっけ?」腕を組んで下を向き、何かを思い付いて指を弾いた。「銀の君! どう? どう? いいよね! なんだかそれっぽくてさぁ!」
名前などどうでもよい。レデオンにとって重要なのは自分の好奇心と支配欲を満たせるかどうかだ。邪悪で無邪気で自己中心的。レデオンは他者を思いやらない。少年のような輝く笑顔でエリナを見ている。
レデオンが頭を動かすたびに花冠から白い花弁が舞い、彼の顔立ちに色をそえた。
「君は裂け目を閉じようとしていたよね。あれは実に見事な技術力! 魔力量! そして才能! その若さでいったい何をすればそうなるのかな? 閉じるのに何かが邪魔してたのは気が付いてたよね? あれ、ボクなんだよ? どう、凄い? あ、それとも結構年齢は高いのかな? 僕と同じ?」
佐藤はもがき、拘束から抜け出ようとするがそのたびにマンドラゴラの力はより強く押さえつけてくる。
肺が痛い。腕も痛い。立ち上がらなければならないというのに。あれは倒さなければならない相手だ。勇者としてここで仕留めなければならない。これまでの戦いでの経験と勘、そして異世界に導かれた勇者としての資質が言っている。あれは、放っておいてはいけない。悪は滅ぼさなければ!