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第23話 齢五百のエリナと宮之守の不安

 エリナは大木の枝の上に座り、幹に体をもたれかかってアイスを舐めながらマンドラゴラ達を見下ろしていた。

「ふむ。どいつから引き離してやろうか……」


 ここは頂上の裂け目からは離れた場所に位置する薔薇園だ。距離にして約百メートル。

 赤、白、ピンクの色とりどりの薔薇たちが優雅に自慢げに咲き誇っているが、今それを立ち止まって見る人はいない。

 地域の住民によって管理されている園だが、なかなかの広さを有し、季節ともなれば周辺から見物客が訪れるほどだ。

 人的被害が確認されていないのは早期に展開された封鎖部隊による隔離とマンドラゴラの動きが鈍かったことも幸いした。


 木の下をうろついている数体のマンドラゴラ達は樹上のエリナに気づいていないのか、それともはなから興味がないのか、ゆらゆらと鈍い動きで徘徊していた。

 マンドラゴラと戦った場所とは違い、周囲は開けて視界が確保されていため奇襲される心配はほぼないといっていい。


「ここらの薔薇達が魔力の影響を受けたのかもしれんな」

 植えられた薔薇の間を揺れながら歩くマンドラゴラ達の姿はさながら人類文明崩壊後の世紀末的な光景にも見えてしまう。

「意思もなく、ただ彷徨い。脅威となるものを本能的、あるいは自動的に攻撃する……。なんとも面白くない生き物だ。小松、どいつを送ればいいか指示しろ」

『じゃ、そのベンチの目の前にいるやつで』

 頭上では音川が操るドローンが滞空しており、小松もその映像を見ていた。


『下の駐車場では室長と佐藤さんが待機中っすからね。送ってもらえればすぐに対応可能っす』

「さて、どのように送ってやろうかな」

 エリナは枝の上ですっくと立ち上がって腕を組んで、アイスの残り紙を握り潰す。

『……普通に送ればいいのでは?』

「生き物には娯楽が必要だ。小松。お前にも分るだろう?」

『はぁ……』

「それは女神でも同じだ。生き物の長所とは、どんな些細なことにも遊びを見出すことだ。だが哀れかな。あれらにはそれができない。本来植物はそういうものではないが、あの形には一つの可能性を感じる。しかし実際はどうだ。ただ魔力によって生きるだけで醜く、人を襲うだけの存在。おそらく生態系に良からぬ影響も与えるだろう」

『それはそうかもしれないっすけど』


「自然の理から外れているのなら、さっさと引導を渡してやるのが良いだろう。これは女神の慈悲だ。だが……さっきは少々、苛つかせてくれたのだ。やり返さないと気が済まない。そうだろう?」

『もっともらしく理由付けして殴りたいだけなんじゃ……』

「うるさいぞ」


 五百歳を超えるとはいえ、連なる神々からすればエリナはまだ若く、幼い。飽き性で娯楽に飢えた子どもだ。エリナの口角が僅かにあがる。木漏れ日に照らされる銀髪が、かき上げられて煌めいた。

「ではお前からだな」

 エリナは狙いを定め、獲物となるマンドラゴラの足元に魔法陣を展開した。




 裂け目よりさらに二百メートルほど離れた山間の休憩所とその駐車場で、佐藤と宮之守は待機していた。

 日差しの照り付ける駐車場の脇に等間隔で並ぶ旗には薔薇園の開場を告げているが、夏のぬるい風に虚しくはためいていた。

 封鎖部隊の働きのお陰でここに立ち寄る一般人の姿はどこにもなく、かわりにやかましい蝉の声であたりは埋め尽くされていた。


「一人で行かせて良かったのかよ」

 佐藤は剣の鞘で自分の肩を叩きながら言った。額から汗が伝う。

「エリナの事ですか?」

「それ以外にいないだろ」

 佐藤の問いかけに宮之守はにんまりとした笑顔みせた。

「あれー? 佐藤さんとエリナって仲が悪いと思っていたんですけど、意外と仲がよかったりするんですねー。私は嬉しいです」

 佐藤のわき腹を宮之守は肘で小突いた。


「止めろ。そういうんじゃねぇよ。……万が一でもエリナが倒れたら困るだろ」

 鬱陶しい。エリナは表情が読めず、気難しい性格をしているが宮之守のこの飄々とした態度というか……これもまた面倒くさい。時折、笑顔に何かを隠しているように見えるところも。

 佐藤は半歩だけ宮之守から離れた。


 宮之守は対して面白い反応が返ってこないことにワザとらしくむくれた表情をする。

「佐藤さんの意見はもっともですけど。でも、エリナは頑丈です。なんせ女神ですからね。ちょっと叩かれたくらいじゃ死ないんですよ。死という概念があるかも不明ですし」


 エリナはザラタンの攻撃を受け、一時的に足元がふらついてはいたものの、裂け目が閉じてからは急速に回復していった。

 攻撃など受けなかったかのような振る舞いには佐藤も内心は戸惑っていた。


 その頑丈さと、女神という立場上、人々を守ることはあっても逆の立場になることは無かったのだろう。

 ザラタンの攻撃からエリナを守るために佐藤が盾となったとき、結果としてその行動自体は無駄であったが、佐藤に「悪くない」とエリナは言った。

 佐藤からすれば、エリナが女神として脅威を前にして人々の前に立って守る姿など想像もできないことではあるのだが……西島の件での態度を見れば、やはり女神としての自覚はあるのだろう。

「……女神ねぇ」


 ふいに浮かんだ疑問を佐藤は何気なく口にした。

「そういやあいつって地球の女神じゃないんだよな? 異世界の神ってことだよな?」

「言ってませんでしたっけ?」

「言ってない」

「何で日本に?」

「たまたま日本に流れ着いた。と本人は言っていますね」

 手持ち無沙汰に思った宮之守は佐藤から距離をとり、連接棍を振り回し始めた。

 回転させ、右から左へ流れるように操るその動きはまるで体操選手のようだ。空を斬る音が駐車場に響いている。


「詳しくは言わないですけど、その関係で本来の力の大半を失ったとも言ってました。自分の世界じゃないから上手く力を発揮できないようです。それ以上のことは私もよく知りません。本人があまり話したがらないので」


 魔力は濃い場所から低い場所へ流れる。強い魔力をもった魂は魔力の濃い世界へ惹かれる。

 エリナは強い魔力を有した存在だ。なぜ魔力の薄い地球に流れ着くのか。

 佐藤は頭を掻き、考えるのを止めた。自分とエリナがここにいること。裂け目。わからないことが少しづつ増えていっている。


「流れ着いたねぇ……案外、しょうもない理由だったりして。こっちの世界を気に入っているようだけどよ。自分の世界を放っておいていいもんとも思わないがね。一応女神なんだし」

「エリナってあれでも初めは帰りたいって言っていたんですよ。でも彼女ってすごく飽き性でしょう? 娯楽や美味しいものが名残惜しくてこっちに残っているんですよ。まぁ、彼女なりに向こうに急いで戻る必要も無いってことなんじゃないかと。年齢五百歳と言ってもまだ若いですしっ」


 宮之守は連接棍を高く頬り投げた。

 佐藤は首を傾げ、頬を掻いた。

「五百は若くねぇだろ」

 宮之守は連接棍を掴みとり、回転させて落下の力を受け流して相殺し、地面に突き立てて止めた。

「よっと……考えてみてください。地球の歴史ってそんなもんじゃないですよね。地球にもエリナのような神がいるとして、たかだか五百歳でおさまると思います?」

「あー……確かに。なんにしても、変な女神だと思うがね」

「ふふ、確かに変な女神ですね」


 佐藤は胸元の違和感に気が付く。まさかと思ってポケットを弄った。

「あの野郎……俺のポケットはゴミ箱じゃねぇと何度言えば!」

 胸ポケットから出てきたのはアイスの残り紙だった。

「おい、エリナ! またゴミをつっこみやがったな!」

 インカムに指を当て呼びかけるが、エリナからの返事は無かった。

 目の前の何もなかった空間に黒い穴が出現した。転送魔法陣だ。


『室長。エリナさんが目標を捕らえたようです。ただちょっとカメラの調子が悪くなってしまって映像では確認できていません』

 エリナの代わりに返事をしたのは音川だった。

「うん。こっちで魔法陣を確認したから、まみちゃんは映像の復旧の方に注力して」

 佐藤は鞘から剣を抜き、宮之守は連接棍を構えた。


 予想が正しければ百五十メートルの範囲外へ出たマンドラゴラの活動は弱まるはずだ。

 とはいっても実際にどうなるかは分からない。朽ちて灰にならず狂暴化することもありうる。駐車場で検証することとしたのは余計な被害を出さないための策だ。


 魔法陣から何かがぼとりと落ち、それはごろごろと地面を転がって佐藤の足元で止まった。

「これは、マンドラゴラの頭……か?」

 続いて腕、脚、胴体がバラバラに切断された状態で魔法陣より転がり落ちてきた。

 切断面からは細かい根が互いの部位を求めて弱々しく蠢いている。


「弱ってはいるようだけど、ちゃんと検証するには五体満足のやつでないと……」

 宮之守は棍の先で胴体をつついた。

「見ろ、宮之守。こっちの腕の方は崩れてきているぞ」

 佐藤は足で地面に落ちた腕をつついていた。

 マンドラゴラの体組織が線香が燃え尽きていくように端から灰となって崩れていく。

「予想はあっていそうですね。頭から切り離さた部位の方が枯れるも早い。でも、私としてはやっぱり全身が揃った状態で見たいかな」

 宮之守はインカムに手を当てて呼びかけた。

「エリナ。これはどういうこと? 一体まるまる送るはずだよね?」


 返事はない。

 音川から通信が入った。

『室長、カメラが復旧して……エリナさん!!』

 音川の悲鳴に二人は顔を見合わせ、走り出した。

 宮之守は拭いきれなかった不安。裂け目から感じた人為的な違和感。原因はそれだと宮之守の直観が告げる。

 自分はエリナに甘えていたのかもしれない。

 佐藤や他のメンバーから比べ、エリナの体は頑丈であることで彼女が一人でも問題ないと判断した。

 佐藤をエリナのそばに置いておくべきだった。宮之守は唇を噛み締めながら佐藤ともに現状を確認すべく作戦指揮車へと入った。


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