男は情けなく地面にへたり込んで命乞いをした。マンドラゴラは意に介さない、もとより聞こえる耳があるかもわからない。
彼の名は西島京谷。UMAを専門に情報を発信する動画配信者だ。彼はある情報交換を条件に異世界生物の出現場所について情報を得た。上手く配信すればチャンネル登録者数を大幅に伸ばすことができるだろうと、好奇心と承認欲求の赴くまま来てみたのだが……まさかこのような危険な場所であるなど彼は考えもしなかった。
西島は手あたりしだいに折れた枝や石を掴みとって投げつけるが、虚しく弾かれる。西島は己の無力さを恨み、後悔したがなんと無意味なことか。
腐葉土の上をもがき、泥に塗れながら地面を這いずって、何とか距離を取ろうとするも足はもつれ、腕は空回りばかり。ついには目の前にまで奇怪な異世界生物が迫ってきていた。人の形をしながら人でない存在が命を狙っている。木の幹のような表皮と頭の赤い花。不気味に手足をうねらせている。目も口もない顔が見ている。恐怖に全身の血液が冷たくなっていく。
マンドラゴラは太くごつごつとした腕を振り上げた。
「わぁぁ! くるんじゃなかったぁ!」
西島はとっさに腕で頭を抱え込んで、ただその時を待った。……何も起きない。西島はゆっくりと目を開け、腕の隙間から恐る恐るあたりを伺った。
「だ、誰!?」
男が立っている。右手には薄く光る剣が握られ、勇ましく怪物に向き合っている。背中は大きく、逞しい。西島と怪物の間に割り込んだ男は鋭い視線はマンドラゴラに向けたまま、後ろの西島へ向けて声を荒げた。
「立て! 死にたいのか!」
「こ……腰が!」
男は、佐藤は舌打ちしてマンドラゴラを蹴り飛ばすと剣を収め、西島に向き直る。
「じっとしてろよ」
「え? ……うわ!」
佐藤は西島を軽々と肩に担いで走り出した。西島の視界が激しく上下した。
「てめぇのせいでこっちはいらねぇ手間が増えてんだよ!」
佐藤は愚痴を吐き出しなら木々の合間を抜け、エリナの元へと合流すると西島を乱暴に彼女の足元へと転がすように降ろした。
「痛!」
「お前が例の一般人か」
エリナが足元に転がる西島へ一瞬、視線を向けたがすぐに裂け目の方を見た。
西島は顔を上げ、エリナを見る。幼さのあるものの、とても整った顔つき。煌めく銀髪。その姿に惹きつけられた。何かがごとりと落ちて転がってきた。
「う、うわぁ!」
マンドラゴラの頭だ。断面からは白い体液が漏れ、細い繊維が機敏に動いている。
「こいつら一斉に動き出しやがった。裂け目を閉じようとしてんのがわかってんだ。エリナ! まだ閉じれないのか!」
佐藤はマンドラゴラの右肩から左脇腹へ向けて剣を振り下ろす。マンドラゴラは上半身と下半身を斜めに切断されて倒れたが、なおも藻掻いて動いている。
「まだだ。この裂け目は普段のものと何かが違う」
エリナの足元では西島が怯え、足を引き寄せて体を縮こまらせていた。
「そこのお前、もう少しこっちに寄れ。我から離れるなよ」
「離れません! 絶対に!」
エリナを知らない西島からすれば彼女は年下に見えるが、その彼女に庇われていることに情けないなどと考える余裕も無かった。ここは戦場のどまんなか。叫び声をあげるので頭はいっぱいだ。
エリナの魔力が裂け目と共鳴しはじめたことを切っ掛けに、周囲のマンドラゴラが一斉に活性化して襲い掛かってくることとなった。バラけていた個々の全てが今や佐藤、エリナ、そして西島のいるこの場所を目指している。裂け目の周辺は最も危険な場所となっていた。
「どけ! 植物らしく植わってろ!」
佐藤はマンドラゴラを斬り払い、横から接近していたもう一体には蹴りを喰らわせてやった。一体一体の動きは鈍く、動きも読みやすい。
両腕を振り上げたマンドラゴラの腕を聖剣で切断し、回転の勢いをそのままに頭部をはねた。マンドラゴラは倒れ、地面で痙攣し震えており、不規則にうねっているさまはおぞましく、不気味だ。
佐藤は心臓のある場所を目掛けて剣を突き立てた。
「クソ! どうやったら死ぬんだ!?」
突き立てられてなおもマンドラゴラが止まる様子はない。
「阿保が。植物の魔法生物に心臓があるわけなかろう」
「うっせぇ! そんなんやってみなきゃだろうが!」
聖剣を引き抜き、蹴り飛ばす。蹴り転がされたマンドラゴラに別のマンドラゴラ二体が躓いて倒れたが、それをさらに別の個体が踏んで乗り越える。一体であれば対処は容易い魔法生物であっても、次々とそれが現れては話が違う。物量による圧倒がこのマンドラゴラの戦術だ。
「う、後ろ!」
背後の西島が叫び、佐藤は身を屈めて攻撃を躱した。
空気の裂く鋭い音が聞こえ、見れば切断したはずの腕が蠢き、傷口から鋭い触手が棘となって伸び、びんと張り詰めて細かく震えていた。少し遅れていたら頭を貫かれていたことだろう。
「なんだぁこいつ……」
棘が解れ、元の根のように広がってのたうって何かを探すように地面を弄った。同様に反対方向からも地面を弄る触手が伸びていることに佐藤は気が付いた。
「こいつら……またくっつこうとしてやがるのかっ!」
佐藤は顔をしかめて舌打ちし、それぞれを反対方向へと蹴飛ばした。
斬ったところで致命傷になるわけでもなく、放っておけばくっついてしまう。斬るだけ無駄。急所も不明。ならどうする? 佐藤は剣を振りながら考えを巡らす。
エリナの背後より二体のマンドラゴラがにじり寄るの姿を佐藤は確認し、脚と靴に魔力を込めて距離をつめる。腕が振り下ろされる直前にマンドラゴラ二体をまとめて蹴り飛ばした。
「遅いぞ」
エリナは表情も声も変えずに言った。裂け目は少しずつ閉じ始めていた。
「ちゃんと援護してんだろうが! 感謝の一つでも言えっての!」
ふんと鼻を鳴らすエリナの足元では、西島が縮こまって振るえた声を絞り出した。
「ど、どんどんやってきてますよぅ」
「そんなんみりゃわかる!」
討伐はいまだ無し。木々の間をゆらゆらと蠢く影は増え続けている。佐藤は当たりを見回し、自分たちを取り囲むマンドラゴラたちを睨みつけた。
佐藤は剣を鞘に納め、殴打する構えをとった。斬って倒せないなら殴って砕けばいい。
「あとどれくらいだ?」
「……あと数分」
「じゃぁ耐えてやるさ」
「お、おれはちょと、耐えられない……かも……」
足元の震えるばかりの西島にエリナは目をぐるりと回して、小さくため息をついた。