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第19話 こちらの世界、あちらの世界

 佐藤は体についた蜘蛛の巣を振り払いながら、侵入した一般人が使ったとされる古い山道を歩いていた。少し前にはエリナが歩いているが体に蜘蛛の巣がつくことを気にする様子はなく、ずんずんと進んでいく。

 捜索に加わって、もう十分は探していはいるが一向に見つかる様子もなく、そのような連絡も回ってこない。空は葉と枝に隠されて薄暗く、視界は悪くおまけに相手は迷彩柄だ。


「なんであんなにピリピリしてんだよ。宮之守のやつ」

「今はデリケートな時期だからな」

 エリナは周囲に目を配りながら話した。

「……何だっけ?」

 エリナが振り返り、珍しく怪訝な表情をした。その顔には蜘蛛の巣がかかったままだ。

「お前、渡された資料を読んでいないのか?」

「俺がちゃんと読むと思う?」

 佐藤は肩をすくめた。


 エリナは鼻を鳴らし、納得した様子で再び前を向いて歩き出した。

「そうだったな。聞いたことが間違いであった」

「ていうか逆に聞くけど、お前は読んでんのかよ」

「無論。暇つぶしには丁度よい読み物だからな。エルフの国の文化や魔法。祭りの記述なぞ特に面白かったぞ」

「嘘だろ……」

「宮之守ことだが。不機嫌なのは異世界生物がらみの問題が世間に露見し、異世界とは危険なものと認識され、人民らから余計な悪感情が湧くこと恐れている」

「そんなに気にしてどうすんのかね。あいつ別に外交官でも何でもないだろ。好きなように言わせておけばいいんだ」


 エリナは止まり、佐藤の方へ振り返る。

「宮之守は異世界との交流を経てこの国に強くなって欲しいのだ。だから余計な邪魔で両世界の技術、魔術交流が止まるのを避けたい。それがこの世界を守ることに繋がると考えているからだ」

「ずいぶんとデカい話になったもんだ」

 佐藤は肩にのった葉を指で弾いた。

 佐藤にとって異世界などの事はさして興味の湧かないものだ。日々の生活が保証され、それでいて刺激的。元勇者としての技術を活かすことができ、怠惰だからと言って責められない現状が維持できるのならそれでいい。

「お前がここに呼ばれたのもそのためだぞ。お前の力が必要だと。忘れたのか?」

「戦う事、殺すことができればいいって話だと思ったがね」

 佐藤は目の前の藪を払いのけ、あたりに目を凝らし、探すのが想像以上に難しいことにため息を漏らした。


「……一つ、教えてやろう。お前がこっちの世界に戻って来られたのは、おそらくだが偶然ではない」

 佐藤の眉毛がピクリと動いた。

 エリナは表情を変えず続ける。

「魔力は水のようなものだと宮之守が言っていただろう? 高いところから低いところへ流れるように、魔力は濃度の濃い場所から薄い場所へ流れる。そしてこの世界は稀有なほどに魔力が薄い。一たび裂け目で繋がってしまえば大量の魔力が流入することになる。そしてお前自身、魔力が高い」


 佐藤は愉快そうに笑い声を上げた。 

「そりゃ、つまり俺が強いから、魔力の薄い地球に自然と流れ着いたと。そういうことか?」

「そういうことだ。腹立たしいが。……裂け目がいかにしてできるのか、それは我にもわからんが、魔力の濃度に関係しているのかもしれん。そういえば、お前。此方の世界で病死し、転生したとも言っていたな」

「それもなんか関係あんのか?」


 ぬるく、ねっとりとした風に木々が揺れ、僅かな木漏れ日も陰る。佐藤は乱雑に剣を振り回し邪魔な葉や枝を蹴散らしなが耳を傾けた。

「それもお前の素質が関係しているだろう。予想だがな……。強い魂は本質的に濃い魔力のある場所を好む。肉体が死に、自由となった魂は本能的に魔力の薄い地球を離れ、魔力の濃い異世界に惹かれたのだろうな。詳細は異世界でお前を転生させた神にしか分からんが」


 佐藤は静かにしていた。心がざわつき、沈んでいく。

 佐藤は転生した世界には良い思い出がない。得意げに前世の記憶を披露したことがあったが、自制するべきだったと気が付いた時には手遅れとなっていた。

 転生したと言っても心は十六歳の少年。肉体と精神のちぐはぐな早熟の子どもだ。彼の行動はただ前世の記憶を自慢したかったという純粋な思いであったが、気味悪がられ、そのことが切っ掛けとなり異世界の両親の心は次第に離れていき、ついには捨てられることとなる。


 少年の佐藤に向けられた不気味なものを見る目。とうてい親が子どもに見せていいものでない表情は、今も佐藤の脳裏に深い悲しみと共にこびりついている。

 孤児院に入ってすぐに、彼は再び佐藤啓介と名乗るようになる。異世界にて名づけられた名を捨て、戻れない世界の名前を使い続けることに心の安寧を求めた。


 日本の両親へ二度と会えないこと、異世界の両親に捨てられたこと。十六歳で病死し、転生した少年が二つの世界をまたいでの二つの別れにひどく打ちのめされるのは当然のことだ。

 その穴を埋めたのは誰かの愛でなく、剣と戦い。孤児院では過去を振り払うように模造剣を振るった。戦士となって魔物との戦いに身を投じるようになると、傷ついた時間も孤独と無力さも、戦いで得られる極度の緊張感と高揚感が隙間を埋め尽くし忘れさせてくれるようになった。その中で思いがけず手に入れた勇者という立場。それは彼の心のよりどころになるが、一たび戦いが終わって気が付いてみれば何も残ってなどいなかった。

 戦いの終わった世界に勇者は要らない。


 あちらの世界にもはや思い残すことなど何も無い。再び勇者としての資質を認められ、日本での暮らしにも馴染みつつあるのだ、何も迷うことはない。

 一方、エリナの口から飛び出た真相に揺らぐ自分を感じてもいた。佐藤の心が一歩下がった位置から自分を見ている。その背中は強がり、しおれた背中だった。この素質がなければ二度も喪失を味わうことはなかったはずだと思わずにはいられない。


「聞いているのか」

「あ? あぁ……聞いてるよ」

 佐藤はエリナの声に呼び戻される。

「お前のように怠惰で怠け者のどうしようもない者が来るだけなら良いのだが、実際はそうもいかん。強い魔力を持った似たようなものも流れてきやすいということだからな」

 エリナはため息をもらしながら、顔についた蜘蛛をそっと捕まえ傍の木に放してやった。

「そうだな」

 普段なら愚痴の一つも言うところだろう佐藤が、急にその勢いを失った様子にエリナは違和感を覚えつつも続けた。

「悪意を持つ者もやって来ることは覚悟すべきだろう。リザードマンやザラタンの様な本能で動く獣のような奴らではない。もっと明確な意志を持った存在……そのことにいち早く警鐘を鳴らしたのが宮之守だ」


「宮之守が?」

 佐藤は宮之守の笑顔を思い出していた。この世界にて佐藤の力を初めに認め必要とした人間で、飄々としているようで実のところ思慮深く、不敵であったり、胡散臭い笑顔を見せる。いい加減なように振舞うこともあるが時に冷徹な目を見せ、笑顔はそれを隠すためなの武器としているのかもしれない。

 思えば彼女の存在も異質なところがある。エリナ程でないにしても時空の裂け目を閉じることもできる実力を持っていること。神話級の転送魔法に匹敵する技量を持ちながら補助魔法具を扱っていること。それほどの力があの付け爪に備わっているようには思えない。


「だめだ」

「何がだ?」

 佐藤はガシガシと頭を掻きむしって、内から湧きだす雑念を捨てるように頭を振り上げた。

「いや……頭を整理したいだけだ」

「整理するほどの何かがあるとは驚きだな」

「なんだと!?」

「ふん。やっとそれらしくなったか」

 エリナは服に着いた蜘蛛の巣を取り払い、服の裾を歩いている蜘蛛を見つめた。

「しかし……ここは蜘蛛の巣が多いな。綺麗好きな女神にはさぞ堪えるだろうよ」

「そうでもない」

 エリナは蜘蛛を捕まえ、観察し、それからまた同じよう傍の木に放してやった。

「蜘蛛が作る巣は美しい。それをつくる蜘蛛も」




 周囲には時空の裂け目から発せられる振動音が鳴り響いていた。結局ここに来るまでの間に侵入者を見つけることはできなかった。

 佐藤が宮之守に呼びかける。

「今から何かあっても一般人を気にかけらんねぇぞ。いいな?」

『分かってる』

 宮之守は静かに答えた。

「で、これが今回の裂け目か。こいつは確かに小さいな。直径一メートルってとこかね」

 佐藤は周囲を警戒しながら時空の裂け目の周囲をぐるりと周って見た。リザードマンやザラタンを呼び込んだ物と比べるとだいぶ小さい裂け目であったが、周囲には濃い魔力が満ちている。魔力干渉を起こすほどではないにしても、魔法を使えない人間が長時間いれば体調を崩すだろう。


 エリナが裂け目の表面を撫でるように手をそえ、上空を旋回する音川の操るドローンを一瞥した。

「閉じるぞ」

『いつでもどうぞ』

 インカムから音川が返事をし、佐藤も相槌をうった。エリナの目が、深い黒から鮮やかな虹色に輝きだす。

「さっさとやっちまってくれ」

 佐藤は剣で肩を叩き、退屈そうに首を回した。


『ひとつ提案なんですが』

 小松の声だった。彼は都内の部署のラボで中継された映像を見ている。

『マンドラゴラなんてどうっすか? いかにも植物の魔法生物にぴったりじゃないすか』

「あぁ……名前?」

『もちろん! もしかして佐藤さんには別の案があるとか……?』

「いや、別に……。俺はなんでも構わない」

 佐藤はぶっきらぼうに答えた。名前などさして興味もない。やばい奴なら斬って倒す。それだけだ。


『南西方向、約五十メートルから五体接近』

 音川は上空のドローンより特殊カメラを用いて、茂った木々の向こうの動体に目を光らせる。

 佐藤は森の向こうに目を凝らしながら右耳のインカムに手を当てる。

「その、マンドラゴラなんだが。こっちからじゃ木が茂ってなんも見えん。おまけに足場も悪い」

 足元は腐葉土であることに加えて前日に雨が振ったことで落ち葉のすぐ裏は濡れていた。なるべくなら近接戦闘は避けたいところであるが、戦闘になってしまえばそうも言ってられないだろう。

『裂け目が閉じるまでは無理しないでくださいね。先ずはそれが優先ですから』

「へいへい。今は音川が俺らの目だ。よろしく頼むぜ」


『もちろん……いえ、ちょっと待ってください!』

 音川が慌てた声がインカムに響き佐藤は思わず顔をそむけた。

「急に叫ぶな」

『カメラが別の動体を……人! 人です!』

 佐藤は舌打ちし愚痴をこぼす。

「このタイミングで……! どこにいる?」

『そこから南東! 五十メートルほど。急いでください。マンドラゴラが接近してます!』

 佐藤はすぐに動き出した。木の幹を蹴っての合間を跳び抜ける。

「寄るな! あっちへ行け!」

 悲鳴が聞こえる。佐藤は這いつくばる迷彩柄の服を着た若い男の姿を確認した。


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