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第17話 新しいお仕事

 佐藤は異世界生物侵入対策室を抜け出し、トレーニングルームに来ていた。

 凝り固まった筋肉をほぐし、溜まったストレスをサンドバッグ目掛けて叩きこむ。動画配信サイトでたまたま見つけたボクシングのレクチャーを見よう見まねで試してくがなかなかに筋の良いものでサンドバッグを大きく揺らした。軽快な打撃音とシューズの床に擦れる音が広い室内に響いている。

「凄いっすね。ボクシングやってたんすか」

 その様子をスマホ片手に観察するのは小松康孝。対策室の装備品を開発、研究している。年齢は二十六歳。音川真実より二歳年上だ。

「ボクシングは素人だよ。酒場仕込みの喧嘩流。気に入らない奴や舐めた奴の顔面をとにかく殴る。それだけ」

サンドバッグが大きくへこんだ。

「なるほど」


 小松康孝はライトノベル作家でもある。異世界を舞台にしたファンタジー小説を執筆中なのだが読者からの評判はあまり良くない。異世界の描写がつまらないだの、解釈が独特だのと言われているのだ。

 そんな彼だが異世界対策室は少数しか人がいないため静かで執筆には最適な環境だと考えている。封鎖部隊の人員が来ることもあるが、やりとりするのはもっぱら室長の宮之守か音川だ。たいだい場合は資料室やラボに閉じこもって好奇心の赴くままに研究に検証を進めている。彼からすればこの部署そのものが大きな図鑑で小説用の資料室だ。暇を見つけては勤務中であっても小説の執筆を始め、そのたびに宮之守か音川に窘められる。が、こりない。優秀ではあるが問題児でもあった。


 そんな彼の今の好奇心の中心には佐藤啓介、四十六歳に占められている。元勇者で自分の触れている物限定とはいえ魔法によって強化することができる。異世界対策室の今後のため……でもあるのだが殆どそれは建前で本当は執筆の参考資料としての関心が九割だ。小松には佐藤が新鮮なネタ、あるいは素晴らしい創作のヒントの宝物庫に見えてしかたがないのだ。


 佐藤の方はどうかというと悪い気はしていない。ついてこられるのは少々鬱陶しくもあるが、話を聞かされるよりは自分の話を熱心に聞いてくれる人がいることは気分がよい。ちょっとした武勇伝であっても小松は目を輝かせてメモをとり、ボイスレコーダーに記録するものだから酒場で愚痴交じりに過去の話を誰にも聞かれず垂れ流していたことを思えば楽しいに決まっている。それに密約も交わしている。ネタ一つにつき、佐藤の書類仕事を小松が肩代わりすること。


「うーむ。しかしすごい筋肉。ボディビルダーみたいっす」

 小松が興味深げに佐藤の筋肉を観察する。筋肉の動き方一つでも創作のネタになりそうなものを探す。

「自慢の……筋肉!」佐藤は両腕に力を込めてポーズを決めた。「戦闘についての勘は鈍ったがトレーニングだけは欠かさずやって来たからな。……聞きたいのはこれじゃないだろ」佐藤は質問を促す。


「どれから聞こうか……」

「おう、なんでもこい」

佐藤はサンドバッグを殴るのをやめ、タオルを取ってベンチに座る。

「元勇者だったって本当なんすか?」

「そりゃまぁ」

「具体的には何を?」

「何をって……」

 佐藤は顎を擦った。手入れを怠っていたために髭が伸び始めてきている。

「そりゃぁあれよ」指を宙に立ててクルクルと回す。「民を守る……のが勇者の誉とか義務に使命。それに……あとなんだ。急に言葉にしようとすると難しいな。とにかくそんな感じよ」

「それって兵士と何が違うんです?」

「何も変わらないかもな」

佐藤はスポーツドリンクを手にとって、口を付けようとして止めた。

「何もですか」

「違うとこっていうと勇者ってのは旗みたいなもんだ」

 旗ですか。と小松は繰り返した。佐藤は立てかけていた剣を取って鞘から引き抜ぬくと刀身が光輝きだした。

「その剣、光るんすね」

「実のところあまり役に立たん」

「じゃぁ飾りじゃないっすか」

「飾りじゃねぇよ」佐藤は顎そさすって考え直した。飾り、確かにそうとも取れる。小松は剣が光ることの意味を知らないならそう思うのも無理はない。「まぁ、そうとも捉えられるか。瞬間的に光量を上げて使えば目くらましにはなる。迂闊に使うとこっちの目がやられるが」

「じゃぁやっぱり飾りっすね」

「だから飾りじゃねぇっ言ってんだろ」


 小松とやり取りで少し分かったことがある。本人に全く悪気はなく、好奇心溢れる故なのか時として失礼な男である。佐藤はムッとしながらも説明を続けた。

「こうやって天高く掲げるんだよ」そして剣を強く光らせた。「こうすると共に戦う味方にここに勇者がいるぞ! って合図になる」

「剣が光ったところで何の意味も……痛! 痛! ちょっと佐藤さん!?」

佐藤は鞘で小松の脛を叩いた。

「最後まで聞け!」

「聞きます、聞きますから! 痛いっす!」

「……魔族の軍と相手にするときには重要なこと、絶対に勝利するという集団の士気だ。この光を見れば勇者が共に戦っていることが全軍に伝わる。如何に勇者が強くても戦いは個じゃない。国からすればただの一つの駒かもだが、実際に戦う兵士や困難に直面している民にすればこの光があるだけで心強く、頑張ろうって思える。灯台、それか道標……そんなもんだ」

 佐藤は剣を鞘に収めてスポーツドリンクを飲んだ。

「勇者とは文字通りの光の存在ってことっすね。現代風に言うならアタッカーとバッファーみたいな感じっすね」

「そゆこと……ん? うん」

 慣れない言葉に首を傾げたが、なんとなく理解した気になることにした。

「じゃぁもう一度ここで勇者になるとか?」

「ハっ! よせよ。そんな歳じゃねぇって」佐藤は自分を指さした。「こんなじゃなくもっと良い顔で若くて才能に溢れる奴がやるべきなのさ。面倒くさがりにはただの一兵士がお似合いだろ」

佐藤は自嘲するように笑った。

「今の言葉。どっかに使いたいセリフっすね!」

「止めろ、恥ずかしい。面白くないだろこんなセリフ」

佐藤は小松にタオルを投げつけた。


「ここにいたんですね」

 扉を開けて現れたのは音川だった。

「探したんですからね小松さん」

「あ、僕?」

「そうですよ。当たり前じゃないですか。人に仕事押し付けて自分の仕事ほったらかして佐藤さんにべったり。どうせまた小説のネタ探ししてたんですよね。書くのは構いませんけど勤務時間とプライベートは別けてって言ってますよね」

音川が小松に向かってまくし立てた。

「失礼な! これでもちゃんと仕事してんすよ。ですよね、佐藤さん?」

佐藤はドリンクを飲みながら肩をすくめて見せた。音川が佐藤を見る。

「本当ですか?」

「そうそう、俺の武勇伝についてちょいとばかし昔話しなんぞを聞いてもらってたぜ」

「武勇伝……? ほーらー!! やっぱりサボってるじゃない!」

 音川は頬を膨らませて書類の入ったファイルで小松を叩いた。

「ちょ、違うし痛い! わりと痛い!」

 小松は助けを求めるように佐藤を見た。

「ほら! それを言ったら佐藤さんだってサボってる!」

「俺のはトレーニング。前衛だし、調査員だし? 体が資本ってよく言うし? あぁ大変だなーもっと鍛えないとこの先つらいだろうなぁ」

佐藤はワザとらしく自慢の筋肉をアピールした。

「えぇ、ちょっと裏切りっすよ! 僕は新しい装備のアイディアだって考えてるのに!」

佐藤へ向けて手を伸ばす小松の手を音川は容赦なく叩き、後ろ襟をむんずと掴んだ。

「じゃぁそれを今すぐ形にしてください。もちろん溜まった報告書も作りながら! でないと私の! 業務が! 滞るの!」

「佐藤さん! 助けて! もっと話しききたい!」

「おー、がんばれよー」


 音川の怒声と引きずられていく小松が廊下の角へ消えていくのを佐藤は見守った。

「おー怖。ここの女、怖いのしかいないじゃん」

扉を閉めて、一息をいれる。

 体験談一つにつき書類作成を進めるという密約。どうやらバレずにすんだようだ。そのしわ寄せが音川に及んでいたのは予想していなかったが……。それでも幾つかネタを提供できた。これでしばらく面倒な仕事からは離れられるだろう。結果的に裏切った形になったがきっと小松はまたネタを貰いに来るだろう。好奇心には逆らえまい。

「っていうふうに考えているんですよね?」

 振り返ると宮之守がニコニコとした笑顔で立っていた。佐藤は体を強張らせ小さく悲鳴を上げてドアに張り付いた。

「小松君と楽しそーな取引をしていたのを私が知らないと思いました?」

「いやぁ、なんのことかなぁ」

「あくまでもしらをきりますか。まぁ、この前のやらかしはいいでしょう。あのザラタンの死骸はむこうとの取引に利用しちゃいますからね」

 佐藤は胸を撫でおろしたところに。宮之守が穏やかな笑みを浮かべて佐藤に詰めよって目を細めた。

「でも、お咎めなしって事はないんですよねー。私の溜まっている仕事がひと段落するまで同じ時間、は、た、ら、て、貰いますから」

「パワハラだ! 横暴! 職権乱用!」

「嫌だなぁ、残業代はちゃんとでますよ? ブラック企業じゃあるまいし。それにこの前のハラスメント講習で覚えた言葉をさっそく使えて偉いですね。でもあいにく一つ、佐藤さんが忘れていることがあるんです」

 佐藤は、唾を飲み込んだ。

「死亡扱いの人が同じ権利を行使できると思わない方が良いってことです」

 佐藤の悲鳴がトレーニングルームに響いた。






―ザラタン討伐より数日後。某所、山中。時空の裂け目を感知。封鎖部隊展開済み。作戦指揮車内にて―


「なーんかまた厄介そうなのきてなーい?」

 宮之守が作戦指揮車両のモニターに映る複数の生物を睨みつけて悪態をついた。左手を腰に当て右手でトントンとモニターを叩く。飛行型ドローンから撮影された地上の映像には複数の動体が確認できた。

「あたりを偵察してみたのですが、かなりの数がいるようです」

音川はドローン用の操縦桿を握り、カメラを目標に向けてズームさせた。山の木々の上から、葉と枝の合間の地表に焦点が合うとゆっくりと動く不気味な生物の姿が映し出された。


「なんだこいつ。見たことねぇ」

 佐藤は顎を掻いた。

 二本の脚、二本の腕。頭が一つ。シルエットは人と同じだが指は細長く、短い触手のようなものが体の彼方此方から飛び出しうねっている。それぞれ女性や男性のように見え、体形も様々だが肌は濃い緑で人間の体色とはかけ離れている。太く荒い縄と細い縄が複雑に絡み合ったような凹凸のある体表には小さな葉までも生えていた。まるで植物が意志を持って歩いているようだ。

「異世界の人間……か?」

「どうでしょう……私達と同じような意志を持っているようには見えませんけど」

 音川はドローンを制止させ、一体に向けてけさらにカメラをズームさせた。本来なら顔の目や鼻に相当する場所にそれらしい器官は見当たらない。かわりに大きく赤い花が咲き誇っており、ときおり何かに反応するように体を痙攣させた。あるく速度は非常にゆっくりとし、左右にゆらゆらと揺れ、一見すると不安定だが倒れることはない。動きは鈍いが、今は活動的でないだけとも予想された。


「僕は魔法生物なんじゃないかと予想」

 小松は異世界対策室のラボから同様の映像を見て、そこから意見していた。

「私も同じです。新しい魔法生物の一種……ではないかと」

 音川は過去のデータベースに目を通し始めた。魔法生物とは時空の裂け目から溢れる魔力に曝されたことによって変異してしまった生物のことだが、めぼしい情報は見当たらない。なにせ異世界生物そのもののデータが足りないのだ。今回の場合はなんらかの植物が変異してしまったか、それか完全な新種か……。

「あぁ、これは詳しく見てみたいなぁ。近くで見たい」

 小松の声には好奇心がにじみ出ている。新しい興味の対象が出てきて若干興奮している様子だ。


「さっさと斬って終わらせちまおう。考えるよりやっちまった方が早い。文字通りの根切りといこうぜ」

「ふん、野蛮人め」

佐藤の怠惰で乱暴な物言いにエリナはため息混じりに反応した。

「うっせぇぞ。こっち来て話せ」

作戦会議が始まっても一向に助手席から姿を表さないエリナに向けて佐藤は言い放った。


「エリナはどう思う?」

 宮之守の問いにエリナはスマホゲームで遊ぶのをやめ、転送魔法を用いて宮之守の背後に出現した。自分を転送するだけなら魔法陣も必要ない。

「お前……俺がいくら呼んでもこないくせに……」

「そういうのを人徳というらしいな」

エリナは宮之守と佐藤の間から顔を覗かせ、モニターを一瞥するとそばの椅子にストンと座り、再びをスマホを触りだした。

「今回の裂け目は普通の生物が通り抜けるには小さい。間違いなく魔法生物とみていいだろう」

「やっぱりそうよね……以前にも出たことはあったけど、これだけの量が出たことなんて無かった」

 宮之守の表情にはいつもの不敵さの裏に違和感を押しとどめた。異世界からの侵入して来るものに対して万全なことなど何一つない。


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