佐藤は異世界対策室で書類作成に追われていた。
先日のリザードマンとの戦闘で得た対策方法や有効な戦術。自分が用いた魔法についてのまとめ等々。今後有用になるであろうことを記録していくのだ。
佐藤の目は厳しく鋭い。パソコンのモニターを睨みつける眼光はリザードマンと相対した時とは別種のものだ。
「……ここはどうやって?」
「あーこれはこうやって……はい! こんなかんじっす!」
隣には白衣を羽織った小松康孝が自分の席より椅子を引っ張って来て座り、書類作成の様子を手伝いながら見守っていた。彼は異世界対策室での装備類の研究開発を主に行っているが今日は臨時のパソコン教師というのが適当だろう。
たどたどしく左右の人差し指で交互に一つずつ、視線はモニターとキーボードを行ったり来たり。やれ何キーだのコントロールなんとかだのと、小松の口から呪文のような用語に佐藤は眩暈がするようだ。
「めんどくさい」
つい口から愚痴がこぼれた。
「わかるっす。書類作成とか面倒でやってらんないっすよねぇ。あ、ここは、こうっすね」
「体、動かしたい。外に出たい。陽の光が恋しい」
「ここ窓ないっすからねぇ。僕はそれでも全然大丈夫っすけど。うわ……外気温三十五度とか、やっば!」
「そうかい……」
佐藤が愚痴をこぼすたびに小松は仕事の方へと軌道修正させた。お年寄りのパソコン教室ももしかしたらこのような感じなのかもしれないと小松は感じた。
エリナはその隣で菓子の袋を開け、バリバリと貪っている。両足なんぞデスクの上に投げ出しして乗せ、いまだにパソコンの電源すら付けていない。時間は午前十時。就業時間はとっくに開始されているのだが。
佐藤はちらりとエリナの方を見るが視線をまったく気にする様子はない。
「なぁ、こいつはこれでいいのか?」
「エリナさんのことっすか? 諦めました!」
小松は爽やかな笑顔できっぱり答えた。
「細かい作業は性に合わん。何も面白くないことをよくも延々と続けられるものだ。それで正気を保っていられるなど信じられん」
エリナが菓子を口に放り込むと、子気味よく砕ける音がした。
「ほらね!」
「はは……」
小松の同意を求める笑顔に佐藤は苦笑いするしかない。
佐藤は思い浮かべる。エリナがパソコンに向かって作業をする様を。スーツを着て、パソコンを操作し、事務仕事を……無理だ。頭が痛くなる。
「佐藤さんは投げ出さないで僕の話を聞いてくれるだけで有望です。それとあとで色々話も聞きたいので終わったら聞かせて下さい!」
愚痴一つ言わず佐藤に対応する爽やか青年に『諦めた』と言わせるエリナはいったいどんな対応をしたのか想像するのは容易い。
すると、おもむろにエリナがパソコンの電源をいれた。ついに仕事する気になった……わけではなかった。
「味が落ちているな。検証のため三袋ほど開けたがどれも同じだ。クレームを入れてやる」
小松が一瞬固まる。「成長……している!」口を両手で覆い感嘆の声を上げた。
「はぁ!?」
佐藤は目を見開いた。
「聞いてください! エリナさんがパソコンを立ち上げてお問い合わせフォームにアクセスしているんすよ!」
「はぁあ!?」
佐藤の目がさらに見開かれた。
騒ぎを聞きつけた音川がエリナの傍に駆け寄ってモニターを覗き込む。
「本当だ……前は本社に直接クレームを言うとかで転送魔法で押し掛けてたのに!」
音川がエリナに抱き着いた。
「離せ、暑苦しいぞ」
音川はエリナに顔を押しのけられて尚も抱き着こうとする。
「だっていつもスマホのゲームばかりじゃないですか! なのに今日は!」
「俺はなんの茶番を見せられているんだ……」
佐藤は困惑していた。苛々もしている。隣の女神はなぜこのような態度で許されるのか? 等しく労働すべきではないのか? 今日はパトロールにすら出ていないし自分はこのところデスクに座りっぱなしだ。尻は痛いし肩は凝る。目はショボショボだ。
「いくら何でも甘やかしすぎじゃないか!? ぜったいそう! 断言する! 見た目か? 見た目のせいか! 可愛いからってよぉぉ!」
「佐藤」
「あぁ!?」
佐藤は首を斜めに傾けてエリナを睨む。
「そこ、間違っているぞ。貸せ」
エリナは佐藤のデスクから自分の方へとキーボードを引き寄せ、慣れた手つきで文字を入力した。『阿保』と。
「おまえよぉ!!」
佐藤の堪忍袋の緒が切れようとしたとき、宮之守が自室から飛び出して来た。
「取り込み中悪いんだけど佐藤さん、それにエリナ。ちょーっと説明してもらえるかなぁ、これなんだけど」
「室長。どうしたんすか?」
「小松君。ごめん。自分の席戻っててくれる」
宮之守はにこやかに、かつ淡々と冷たく告げた。
「あ」小松は息を呑み。「了解っす」静かに立ち去り、音川は自分のモニターの裏に隠れた。
宮之守はスマホを二人に突き出して画面に映ったニュースの映像を見せつけた。
『専門家も驚愕!無人の港で巨大生物の死骸発見!?』というテロップと共に報道用ドローンから空撮された巨大な蟹の切断された死骸と半壊した建物の様子が映し出されていた。首から下だけを写された近隣住民がインタビューに答える。
『夕方くらいにドカーンて音がして気になって見に行ったら―』
「あっ」
二人は声を揃えて、お互いの顔を見た。
「忘れてた」
「ほう、ほう。忘れたと」
宮之守がゆっくりと佐藤に手のひらを見せつけた。黒いネイルが蛍光灯の光を反射して怪しく輝く。
「いや、忘れてたというより、後でちゃんと……」
佐藤は狼狽えた。
「あとって何時なんです? ん? 普段どれだけ情報規制に気を配っているか知ってるよねぇ。エリナー? 今はとーっても政治的にデリケートな時期だっていうのも知ってるよねぇ?」
「……知っている」
「デリケートって何の話を……んぐっ!」
宮之守が指を弾くと佐藤の顎が閉じられた。
エリナは無表情だが萎縮しているのはその表情をみなくとも分かる。宮之守を怒らせるとお菓子もアイスも、それにゲームも買ってもらえない。他の娯楽を禁止される可能性もある。宮之守の家に居候しているため迂闊なことは発言すればどうなることやら……。
「よーく知ってるよねぇ。封鎖部隊の展開はエリナの仕事だものねぇ」
「……こいつが後にしようって言った」
エリナは佐藤を指さす。佐藤の口を閉じていた魔法が解除された。
「……ぶは! 嫌、違うこれにはちゃんと……エリナもなんか、っていねぇし!!」
エリナは隙をついて転送魔法を使って逃亡していた。残っているのは佐藤ただ一人。
「マ、ジ、か、よ。あの野郎……いぃぃぃだだだだ!」
魔法によって床に押さえつけられ這いつくばっている佐藤の顔を宮之守が覗き込む。
「今日はちゃーんとおかたずけするまで残業ですからねぇー」
宮之守の顔に張り付いた冷たい笑顔に佐藤は震えあがり、心の中で思いつく限りの罵倒語をエリナに向けて浴びせたのだった。