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第14話 喧嘩と戦い

 廃倉庫を離れ、捨てられた小屋の中で二人は息を潜めていた。

 中は埃だらけでカビ臭く、トタンと木材を張り合わせた薄い壁は潮風と経年劣化によって隙間が生じ、差し込んだ日光がそこかしこにまだら模様の影絵を作り出していた。天井の隅の蜘蛛の巣にすでに主はなく、隙間風に揺れている。


 エリナは幼い顔つきには似合わない深い皺を眉間に寄せて腕を組んでいる。左手の親指の爪を神経質に噛み、踵を小刻みに揺らしていた。

 半径一メートル。エリナが不浄なものが近づいても良いと考える距離だったがここにそれほどの余裕はない。  

 不浄を嫌うエリナにとってここは汚すぎて、狭すぎた。座ろうともせず立ったまま、不機嫌な魔力が溢れているようだった。ひと先ず隠れるためと分かっていても自然と湧いてくる苛立ちと不快感はまた別問題だ。


 対して佐藤は汚れなど気にしないし、そんなエリナを気に留めることもなく、壁の隙間から外の様子を伺っていた。

 ザラタンはあたりを歩き回り、二人を探している。腹を空かせているのか、それとも縄張りへ入った不届き者へ制裁を加えるためか。あるいは目を傷つけた復讐か。いずれにせよ逃がす気はないようだ。

 佐藤はとっさに隙間から身を離した。隙間から差し込んでいた日光が遮られ室内が暗くなる。外に奴がいる。二人はじっとザラタンが去るのを待った。


 長い数秒の沈黙の後、ザラタンは別の方向へと歩いていった。

 佐藤は安堵のため息を漏らし、床に座った。右手を開き、握る。剣は大蟹の頭部に刺さったままだ。

「で、体調はどうなんだよ」

 頭を壁に預け、天上を仰ぐ。

「もう、大丈夫だ。人ほどに軟弱な体ではない」

「そいつはけっこうなこって」


 ふと佐藤の目に錆びた工具箱が目にとまった。元の赤い塗料は剥げて錆びだらけだ。音を立てないように注意しながら漁ると草刈り用の鎌を見つけた。刃の根元が錆びている。指で少し力を加えると容易く折れてしまった。

「これならどうだ」

 エリナが佐藤に向かって何かを放り投げた。金槌だった。表面は錆びているが、これならば使えるだろう。

「無いよりはまし、か。上手くいけば殻くらい割れるかな」

 魔力酔いの影響は薄くなっているが肝心の得物がこれでは。頼りない金槌を手のひらの上で回してもてあそぶ。

「割ったところで剣の様にはいくまい。急所に届かなければな」

「どうすっかなぁ……」

 佐藤はガシガシと頭をかいた。時空の裂け目の影響で転送魔法は機能しない。スマホは故障。まともな武器も無し。


「佐藤」

「あ?」

「我の転送魔法で説明していないことがある。いや……一度見せたな」

 エリナは小さな魔法陣を両方の掌の上に出現させた。

「そこの棒切れを入れてみろ」

 エリナは自分の足元の棒切れに向けて顎をしゃくってみせた。

「説明するなら自分で入れろよ。お前のが近いだろ」

 エリナの眉間に寄った皺がますます深くなっていく。佐藤はその表情の圧に押され仕方なく重そうに体を起こし、拾って魔法陣の中に棒を入れた。すると魔法陣が閉じ、棒は切断された。ここに来る以前にアイスの先を切断したのと同じだ。

「これで奴を切断する」

「できんの?」

「できる。だが、先も言った通り裂け目から溢れる魔力が干渉している。奴を入れられるほどの魔法陣はできない」

「ハっ! じゃぁ無理じゃねぇか」

 佐藤は小声で笑った。


 彼女の眉間から皺がふっと消え、目を細めた。

 右手の中指を親指で抑えて力を込め、そのまま佐藤の腹に近づけ、弾く。ボウリングの玉がぶつかったような衝撃が佐藤の腹に打ち込まれ、佐藤は短く呻いてその場にうずくまった。鈍い痛みに顔を歪ませてエリナを睨みつける。

「何……しやがる!」

 エリナは佐藤の顔を両手でわしづかみにして顔を近づける。

「話を最後まで聞け。愚か者め。切り抜けられるかどうかの話をこれからしようというのに下らぬ言葉を発して止めるな。真面目に聞くか? それとも茶々を入れないと気が済まないほどのに未熟なのか?」

 エリナは佐藤を突き放す。

「だからって暴力はねぇだろうが暴力は!」

「原因はお前であろう」

「んじゃさっさとその話を聞かせてくれよ!」

 佐藤は声を荒げる。

「遮っておいてその言い草はおかしいではないか!」

 エリナの声も自然と荒くなる。互いに顔を近づけて睨み合った。

「なんだぁ! やろうってのか! あぁ?」


 コンコン。


 そのとき扉を叩く音が聞こえた。

「うっせぇぞ! こちとら取り込み中だボケェ!」

「引っ込んでいろ阿保!」

 佐藤とエリナはそろって扉の方を見ると覗き込んでいる何かと目が合った。柄の先についた黒く大きな目に歪んだ二人が映りこんでいる。目は二人を確認すると素早く外へと引っ込んでいった。


「お前が大声を出すからだ」

「自分だって出してだろうが!!」

 二人は声を落として罵りながら互いの腹や脚を小突いて踏みつけ、叩いた。

 巨大な鋏が小屋を挟みこんで破砕した。天井が無くなったことで明るくなるはずが二人の周囲は暗いままだ。二人は互いの頬を引っ張りあったまま見上げた。

 夕焼けに染まりつつある空の逆光を受けてを大きなシルエットが両の鋏を高らかに掲げている。ザラタンは勝ち誇り、嘲笑うかのように体を上下させていた。


 ザラタンが鋏を振り下ろし、小屋は粉々に砕け散る。ザラタンは手ごたえの無さに違和感を覚え、鋏を持ち上げ確認するが二人の姿はない。佐藤とエリナはザラタンの背後へ転送魔法によって移動していた。

「我を背負って走れ。説明は無しだ。とにかく指示に従え」

「誰が背負うかっての!」

 体がふらつきながらも真剣なまなざしを向けるエリナと、獲物を見据えるザラタンを交互に見て佐藤は舌打ちした。エリナの頭を軽く叩き、エリナを背負う。

「走れ!」エリナが進行方向を指さす。「このまままっすぐ!」ついでに佐藤の後頭部を叩く。

「ああ! もう!」

 佐藤は走りだすと同時にザラタンも三対の脚を動かして追跡を開始した。

「転送魔法は使えてあと二回! だから先に裂け目を閉じる。魔力の流れが荒れている故に詳しい位置は不明だが近いぞ」

 エリナは目から世界の渦と繋がることによって魔力を取り出して転送魔法に用いる。裂け目の魔力が干渉する現状では体内に貯えた魔力に頼るしかなかった。よって残り二回! 佐藤は背後からの攻撃を察知して横に飛びのく。傍に金属の塊が凄まじい音をたてて落下してひしゃげる。ザラタンが二人目掛けて投げた車だった。振り返らず走る。


「いいぞ。死ぬ気で避け続けろ」

 佐藤は脚に流れる魔力を意識する。靴に魔力を送り込み、跳躍した!

「うおっ!?」

 佐藤は連なる廃倉庫の内一つの屋根の上に飛び乗った。

「跳びすぎたが、これなら早く試しておけば良かった」

 振り返ってザラタンを見ると唖然とした様子で二人を見ていた。

 病院で渡されたいくつかの至急品のうちの一つ。異世界生物侵入対策室特別製の靴だ。

弾力性と反発力。靴底に描かれた魔法陣によって脚力を増幅するものだ。補助魔法具の一つとして制作したものを宮之守が佐藤に渡したものだったが、佐藤の触れたものを強化する魔法にかかれば想定以上の効果を発揮する!

「それがあるなら背中にも容易く乗れたではないか! もう倒していたのではないのか!」

 エリナが背中から声を荒げて背中をバシバシと叩く。

「うっせぇ! 忘れてたんだよ! でもこれは良いな! このまま屋根を伝っていくぞ」

 佐藤の真横に何か飛来し屋根を貫通して突き刺さった。街路灯であった。振り返るとザラタンはまたしても鋏を掲げて上下に体を揺らす。どこか悔しそうに見えた。

「蟹のくせに良い肩してるぜ。まったくよぉ」

「褒めている場合か、次が来るぞ」

 身を屈め、走り、跳躍する。

 エリナは背中から方角を指示した。裂け目は近づいている。ブーンという低く、空気の震えるような音が聞こえ始めた。


 一つ、二つ、次々と屋根を跳んで渡っていく。ザラタンは巨躯を生かして壁を突き破りながら二人を追う。三つ目の屋根に着地。だが衝撃と劣化によって佐藤は屋根を踏みぬいてしまった。

「おっと……と」バランスを崩すも佐藤は何とか踏みとどまる。「ふう、危なか……」老朽化した屋根が二人の体重に耐えきれず崩壊した。落下する二人を待ち構えるように真下には鋏を広げるザラタンがいる。

「残り一回だ」

 エリナは真下に魔法陣を展開。ザラタンは鋏を空振りした。次の瞬間、佐藤とエリナは宙を跳んでいた。入り口となった魔法陣は地面に対して水平に展開されたが出口は傾きを調整し斜め上方へ向きを変えられていた。落下のエネルギーをそのまま利用し二人は大砲のように射出されたのだ。エリナの転送魔法陣は使い方次第では時にカタパルトにもなる。落下の勢いを推進力にして進む。

「跳びすぎだろ!」

 佐藤は脚を空中でばたつかせた。

「見えた! あれだ!」

 エリナが指さす方向に佐藤は時空の裂け目を確認した。巨大な暗黒の裂け目が廃倉庫の間に生じていた。鋭く凶悪な漆黒の亀裂が伸び、濃い魔力が周囲に満ちていることが肉眼でも容易に確認できるほどだ。

 佐藤の脳裏には着地に失敗して地面を無様に転がる二人の姿が浮かぶ。果たして上手く自分はできるのだろうか。エリナは冷静だ。狼狽えることなど無いのかもしれない。もしかすると佐藤なら上手く着地して見せるだろうという計算のもとに転送魔法を展開させたのかもしれない。くやしいが、きっとそうなのだろう。幼い顔をして無表情だが、何も考えていないわけじゃない。


「やってみせらぁ!」

 佐藤は吠え、脚の筋肉、関節、腰。そして靴に魔力を集中させる。

 地面が迫る。地面に脚が触れ、埃を巻き上げあげて横滑りしスピードを緩め、バランスを保ち。……止まった!

「どうよ、見事な着地ぃ! 俺の脚力!」

「浮かれるな。まだ終わっていないぞ」

 目の前には時空の裂け目が。ビルの地下街で見た物とは比べ物にならないほどの大きさで、暗黒の禍々しさをもって空を染め上げようするように。怪物の手がまさにここから出ようとしているような大小の亀裂が空間に走っていた。廃倉庫の扉よりも大きく、リザードマンを呼び込んだものがおおよそ二メートルとするならばこれは六メートル!

 エリナは佐藤の背から降りて裂け目にヨロヨロと駆け寄ってそこに触れた。

「こいつを閉じる。本調子でない故に時間がかかる。その間は動けん」

 ガチガチと地面を穿つ幾つもの音が迫って来ていた。

「確実に消せんだろうな」

 佐藤は音のする方へ体を向けた。その背中へ向けてエリナが言った。

「誰にものを言っている。我は女神。時空を司る女神エリナだぞ」

「仕方ねぇ。女神の力ってのをみせてもらおうかね」

「生意気な小僧が……」

 廃倉庫の壁を突き破ってザラタンが姿を表した。佐藤はポケットから金槌を取り出した。佐藤の背後では鈴の音が鳴り始め、エリナの魔力と裂け目の魔力が共鳴しようとしていた。


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