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第13話 塩気のあるもの

 全身は棘と殻に覆われ、三対の節のある脚がガチガチと動くたびにコンクリートが抉られた。左右の鋏のうち、右の鋏だけが異様に発達し、左右と合わせて空を突くように掲げる。体色は赤茶色。そこかしこがコケや海藻で覆われ、特に背中側が生い茂っており甲羅は隠されて見えない。垂れた海藻からは海水が滴り、口からはブクブクと白い泡を出している。一対の柄のある細長い目で二人を。異世界からの巨大蟹が二人を見ろしていた。


「確かに塩気が欲しいとは思ったが、海鮮は考えていなかったな」

 エリナがぼそりと呟いた。

 巨大な鋏が二人と圧殺しようと振り下ろされた。コンクリートの地面が砕け、破片が飛び散る。佐藤は右へ避け。エリナは瞬時に発動した転送魔法によってこれを回避。倉庫の屋根上に着地した。エリナは目に違和感を覚え、眉間を摘まんだ。


 巨大な蟹は左右の鋏を掲げ、ガチガチと鳴らして威嚇する。

「ザラタンじゃねぇか! こんなのまで来てんのかよ!!」

 大きな体と発達した巨大な鋏で縄張りの近くを通った船を沈めることで船乗りに恐れられる巨大蟹だ。当然、人を食べる。

「俺の世界とは少し違うが。間違いねぇ」

 リザードマンの鱗とは比べ物にならない強固な殻が全身を覆っている。佐藤からすれば切断は可能だが魔力の流れの制御が全盛期と同等であったならという条件での話だ。佐藤は自分の中の魔力を意識する。魔力酔いのせいか剣への流れが鈍い。殻を切断するのは不可能な域だった。佐藤は舌打ちした。


 ザラタンは屋根上のエリナを見て、それから佐藤を見た。ザラタンはまず佐藤を狙うことに決めたようだ。三対の脚を動かして彼我との間をつめるべく廃材を蹴散らして迫る。

「クッソめんどくせぇのがまだ出てきやがってよー!!」

 振り下ろされた鋏。突き刺そうとする脚を掻い潜って腹に潜る。脚の節を狙って剣を振ったが、ザラタンの動きに狙いが逸れ甲殻が剣を弾く。

「リハビリに丁度いいやつはいねぇのかくそったれぇ!」

 佐藤の頭上から三対の脚が槍の様に降り注ぐ。佐藤は弾き、避けるがきりがない。ザラタンは巨体に似合わず以外に機敏だ。左の小さな鋏 ――それでも人より大きいな鋏だ―― をカチカチと鳴らし、佐藤を切断しようとする。幾人もの槍兵を相手にしているようだった。

「エリナ! 見てないで手伝え!」

 たまらず股下からザラタンの背後へ飛び出した佐藤が倉庫の屋根の上にいるエリナに向かって走りながら叫んだ。

「それか、魔法で宮之守を連れてこい!」

 佐藤は傍にあった廃車の傍に隠れる。


「できない」

「はぁーーー!?」

 ザラタンは獲物を一度は見失ったものの大声に反応して振り向いて走る。佐藤の隠れる廃車を巨大鋏で摘まんで彼方へ放り投げた。まるで夏休みの子どもが沢で蟹とりをするときに石の隠れ家を奪うかのように。佐藤の体を大きな影が覆う。

「ハハっ! こりゃ!」佐藤は挟みこもうとする鋏を剣で弾いく。「なんの冗談だぁ!」

 エリナ屋根上から叫ぶ。

「裂け目から溢れる魔力が我の転送魔法に干渉している」

 ザラタンの素早く小さな鋏が佐藤の剣を挟んで掴む。

「こんの! この剣は俺のだ! 離さねぇぞ!」

 佐藤はそのまま廃倉庫へと投げられ、脆くなった壁を突き破って硬い床の上を転がった。衝撃で立てかけてあった板が倒れ、佐藤に覆いかぶさる。

 佐藤は板を蹴飛ばして起き上がった。

「めんどくせぇなぁもう!」

 歪んだ魔法陣が出現し、エリナが佐藤の傍に現れた。倉庫の出入口からはザラタンが来ていた。

「転送魔法は使えないんじゃなかったのか?」

 佐藤は首を回しながらエリナに並んで立った。

「長距離が使えないだけで短距離ならば使える。だが……この程度の距離が限界のようだ」

 エリナの声は苛立っている。感情をのせない声に小さなさざ波が立っていた。佐藤がちらりと顔をみると眉間に皺を寄せ、銀髪が揺らめいている。黒い瞳の奥から微かに虹色の光が漏れ出ていた。


 エリナは自分の魔法に絶対の自信を持っている。だがこの日本ではその能力の殆どを失っており、扱えるのは転送魔法だけとなっている。それすらも満足に使えない状況が彼女にとっては腹立たしく、許せなかった。

「仕方ねぇ。めんどうだが俺が時間を稼ぐ。その間にスマホで連絡とってくれ」

「あいにくだがそれも無理だが、スマホは我の部屋だ」

佐藤は舌打ちして、自分のスマホを投げて渡した。

「使えよ。それくらいの時間は稼ぐ」

「ダメだな」

「はぁ?」

「壊れている。さっき投げ飛ばされただろう。そのせいだな」

 エリナは顎を動かしてザラタンを指し示す。

「二人でやるしかない。ということだな」


 エリナの周囲にある魔力の流れが変わるの佐藤は感じ取った。怒りを孕んだそれは魔力感知の得意でない佐藤にも充分に感じられた。

「ただの暴走した魔力の裂け目が。我の魔法に干渉するなど非常に腹立たしい。佐藤。お前、上に乗れ」

「上ね。……いや、どうやって乗ればいいんだよ」

 直後、佐藤の体が落下する。

「うぉぉ!」

 真下には甲羅が見え、少し離れたところにエリナの姿を見た。足元に出現した転移魔法陣によってザラタンの頭上に飛ばされていたのだ。佐藤はザラタンの背中に落下し、海藻を掴んでなんとかこらえて踏みとどまった。

「だから! 先に言えって!!」

 ザラタンの柄の先についた細い目が背中にとりついた異物を確認した。激しく動き、鋏を伸ばして佐藤を取り除こうと暴れ始めた。


「そこで少し耐えてろ」

 エリナはザラタンの足元に魔法陣を出現させようと両手を地面に着いた。普段はそんなことをしないが魔力を安定させるためだった。ザラタンを取り囲んで円形に青白い光の環が出現するも歪んで安定していない。バチバチと青い火花を散らして消失した。佐藤にはその様子が見えていなかった。

「耐えろってどれくらいだよ!?」

 動き回るザラタンの甲羅に根を張った海藻を手に巻き付け、佐藤はなんとか立ち上がる。頭のすぐそばでガチガチと鋏が神経質に音を鳴らしている。

 ザラタンは暴れて傍の鉄骨に体当たりした。佐藤は衝撃に投げ出されたものの巻き付けた海藻のお陰で落下は免れたが、ザラタンの顔の目のまえにぶら下がることとなった。

 二つの目が佐藤を見ている。そこに映りこむ自分の姿を佐藤は見た。互いの動きが一瞬止まる。「ハハ……どうもー」佐藤は剣を逆手持ちにして柔らかい根元狙を定め、目に突き刺した! 「これでも喰らってろ、蟹野郎!」

 ザラタンが激痛に身を捩る。


 声帯のないザラタンは痛みを悲鳴に替えるかわりに狂ったように暴れまわった。廃材を薙ぎ払い、踏みつぶし、壁に激突した。佐藤の体が女児に遊ばれる人形のように振り回される。

「佐藤! 離れろ!」

 エリナが叫ぶ。声に反応し佐藤は絡めた水草を手から解き、手を離した。

 直後にザラタンの巨体が倉庫の壁に激突し、突き破った。壁の破片や錆びたトタン。プラの空箱が宙を舞う。

「クソ、剣が」飛び降りて着地し、佐藤は自分の手を見た。「置いてきちまった」

 剣はザラタンの片目の根元に刺さったままだ。

「バカめが。武器を置いてくるなど。それでも戦士か」

「うるっせぇ! そっちこそ魔法で飛ばすならそう言えって!」

「対応しろ。臨機応変というだろう」

「お前のは突発事故なんだよ!」

 取り乱していたザラタンが向き直った。両方の鋏を天に突きあげた。緑色の血が目のついた柄の根元から垂れ、地面に落ちる。

「おれ、あいつの言葉わかんねぇけど気持ちは分かったわ」

「ほう。奇遇だな我にもわかるぞ」

 ザラタンが走り出し、さび付いた軽トラックを鋏で持ち上げ、投げた!

「怒っているな」

 佐藤はとっさに屈んだがエリナは避けそこない、車ごと飛ばされて倉庫の間に挟まれた。

「お前!!」迫ってくるザラタンとエリナを交互に見て。それから辺りを見回して近くにあったビンを掴んだ。「とりあえず、これでも喰らってろ!」

 ビンはザラタンの目のあたりに命中。腐敗した何かの液体が飛び散る。傷口に入ったのだろうか痛みと不快感に目を擦り始めた。


 佐藤はエリナのもとへ駆け寄る。

「来たのか。逃げるものと思ったがな」

 ぐったりとした様子だが、口調も表情も相変わらずだった。

「バカを言うなクソ女神が。これでも元は勇者なんだよ」

 佐藤は壁と車の間に体を入れ、体中に魔力を行きわたらせる。背中で壁を、脚で車を押して隙間を作り出す。

「動けるか?」

 エリナを乱暴に引っ張り上げる。気遣っている時間などない。

「動ける」

 エリナは立ち上がる足はふらついている。ザラタンが再び動き始めようとしていた。

「一旦、隠れるぞ」

 佐藤はエリナを背負い、物陰を伝ってその場を離れた。

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