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第11話 時空の女神エリナ

  エリナは時空を司る女神だ。エリナはお菓子が好きであり、特にアイスは大好物だ。

「わからないことがあれば我に何でも聞け。スイーツの店は詳しい」

  エリナは宮之守から佐藤に色々教えてほしいと言われ、佐藤が対策室に入ったところを見計らって強引に連れ出した。新作のゲームを宮之守が買ってくれるというなら積極的に動かざるを得ない。

 転送魔法の落とし穴での誘拐のような形で連れ出された佐藤からすればたまったものではないが。

 ぐんぐんと前に進んでいくエリナの後を佐藤はとりあえずついて周ることにした。一応は同僚であるし、先輩でもある。正直なことを言えば子守をしている気分だが、言うことを聞いている分にはさほど面倒なことにはなるまい。


 しかしエリナは感情が読みにくい。表情は乏しく、口調も淡々としいてる。感情の起伏をあまり表現しないのは女神という性質なのか性格なのかもよくわからない。

 透明感のある肌と整った顔立ち、肩まで伸びた銀髪。ただ歩くだけでも絵画の中からそのまま出てきたかのような印象を道行く人に与える。幼さを感じさせる顔立ちは女神より天使のしっくりするものがある。瞳は深く暗い黒。銀髪と相反する色はより印象的だ。もしも彼女がアンティークショップで目をつぶって黙って椅子に座っていたら、きっと人形と間違えられたことだろう。


 佐藤の思う彼女への第一印象がそれだったわけだがすぐに崩れることになった。

 エリナは一般人対して、とりわけスイーツを扱う店員に対しては異様に猫を被るのが上手い。店の中が明るくなるほどの満面の笑みで愛想を振りまき、親切にされれば花が咲いたような可憐さでそれに答えた。

 道行く老夫婦に声をかけられれば、素直さと無邪気さを装って飴を貰い、カメラを向けられれば恥ずかしがっているように振舞って佐藤の裏に隠れる。


 だが一たび視線が外れ、相手をしていた人が此方を見ていないと判断するとすぐに元の無表情へと切り替わる。ころころと表情が変わるといえば聞こえが良いが、その切り替えを逐一目の当たりにさせられる佐藤にとってはそうではない。その器用さと人当たりの温度差はまさジェットコースター級と言える。ついていくだけでも疲れる。


 二人はベンチに並んで座った。エリナの手には新しいアイスクリームがあり、佐藤の手には同じ種類だが一回り小さいものがあった。爽やかなミントの香りが口の中に広がっていく。

 遠くからは子どもたちの無邪気にはしゃぐ声が聞こえてきた。

「いいか、佐藤。言っておくが我は好きでこうして可憐な娘を演じているわけではないぞ」

「へぇ……」

 佐藤はぶっきらぼうに答えた。暑い日差しの中でスーツに働く魔術のお陰である程度快適とはいえ、そろそろ室内に入りたかった。宮之守が以前に言っていた、暑さの方が得意というのはどうやら本当のようである。暑いのはどうあがいても暑いのだ。


「可愛く振舞えばおまけしてもらえる」

「せこすぎんだろ」

 やはり自称女神なだけのだたのガキでは? 佐藤は口にしないまでも疑っていた。

 女神らしからなぬあまりにしみったれた発言に困惑したてもいたが、あからさまに反応するのも面倒と思えるほどに暑い。

「女神のやることかよ……。自分で言うのもなんだが俺はかなり怠け者の自信がある。そんな俺でも、お前と仮に同じ立場でもそこまではやらねぇよ」

 エリナは真顔のままため息を漏らした。何もわかっていない愚か者めと言っているようだ。

「なにも全ての店でやっているわけではない。店側としても女神へ供えやすい条件というものがある。我以外に客がいない。店員が一人の時であることが重要だ」

「どうせあれだろ。前例を他の客に知られて『あの客にはしたのに私にはしなかった』とかクレームになりにくいとか。次来た時、顔を覚えてもらいやすいから確率があがるとか、そんな理由だろ」

「よくわかっているな。……お前も、やっていたのか?」

 エリナの眉毛が八の字に曲がる。

 歪んだ表情でさへに絵になってしまうほどの美少女なのだが、口を開けばそれには程遠い。宮之守といい、エリナという自称女神といい。見た目とのこの落差はなんだろうか、と佐藤は思う。もしや現代日本の女性とはこういうものなのかと、あらぬ疑問まで浮かんできてしまう。

「やってねぇよ」

「そうか。安心したぞ。その顔で同じことができると考えるだけで恐ろしい」

 佐藤は文句の一つでも言おうか考えたがそれすらもやはり面倒だ。黙って残りのアイスクリームを食べることにする。


 エリナの相手をするのは面倒だが宮之守の傍にいるのもそれはそれで面倒だ。彼女の仕事内容やこれからのことを聞いている限り、前回のリザードマンについての報告書や必要な申請書類についてのあれこれが待ち構えているのは確実。加えてパソコンを覚えろとか、新しい家についてのあれやこれや。やることが多すぎる。つい数日前まで道端で泥酔していたような人間がやるには重すぎる。

 よりどちらが良いか天秤にかけるとするならエリナの傍でアイスを食べることへ容易に秤は傾く。隣の自称女神に付き合ってスイーツ店巡りできるというのも異世界帰りの身分としては悪くない。とはいっても一応は仕事中だ。『何もしてませんでした』と帰って言えるはずもない。


「そういえば裂け目の探知ってお前の役割なんだよな?」

「いつやっているのか。そう言いたそうだな」

 エリナは顔を前に向けたまま、横目で佐藤の方を見る。佐藤は眉毛を上げ、肩をすくめた。

「今もやっている。安心しろ。この辺りには変化がない」

「そうですかい。さすが女神さまで」

「ようやく我の偉大さがわかってきたか」

「へいへい、ありがてーこって」

 エリナは目を細めたがすぐに元の無表情に戻して麦わら帽子を被りなおした。口ではこのように有難いなどと言うが、女神という存在に対する敬意が一切感じられない。不敬な若造だ。宮之守のことが無ければ一生関わらないだろう。


 そろそろ移動するかと言ってエリナは立ち上がり、食べ終わったアイスクリームの残り紙をくりゃしと握りつぶした。手を開くと紙は消えていた。握った瞬間に小さな転送魔法陣を作り出し転送していたのだ。エリナは日常のあらゆる場面で転送魔法を使っている。

 ポケットのない服を着ていれば自室にスマホを置いて必要に応じてそこから取りよせ。喉が乾けば自宅の冷蔵庫の内部に魔法陣を作りだして飲み物を取り出すといった具合だ。ちなみにエリナは宮之守の家に居候中だ。


「てっきりその辺に投げ捨てるかと思ったよ」

「ゴミはゴミ箱に。そのくらい分かっている」

「さすが女神……」

 佐藤はふと胸ポケットに違和感を覚え、弄ってみると何かが出てきた。エリナの握りつぶしたアイスクリームの残り紙があった。

「お前……俺のポケットはゴミ箱じゃねぇぞ」

「あぁ、すまんな。あまりにも臭うから勘違いしてしまったのかもしれん」

 エリナは表情を少しも変えず、佐藤を見もしなかった。


「この……まぁ、いい」

 佐藤はため息をはきだした。こいつは子どもなのだ。古文書に乗っているような神話級の転送魔法を使えるなどと聞いて初めは嘘だと思っていたがその魔法の力は確かであることは疑いようもない。どうして使えるのか、それはまぁいい。問題はきっとそれで調子にのって甘やかされたガキなのだということだ。

 腹を立てるな。佐藤は自分に言い聞かせながら紙くずをゴミ箱に投げた。紙くずは箱を僅かにそれて地面に落ちた。

「はぁ、めんどくさ」

 拾い、ゴミ箱へいれる。振り返るとエリナが見ていた。

「早くこい。ここで魔法陣を出すには人目がありずぎる」

「へいへい。行きますよー」




 キャンプ場を後にし、幾つかの観測地点を周って二人はどこかのビルの屋上に来ていた。高層ビルが立ち並び、暑い日差しを受けた輪郭はゆらゆらと揺らめいている。

 エリナが定点観測として選んだ場所であり、こうした場所は日本中にいくつもある。エリナはその日の気分と感覚で場所を選んでいた。

 今はどこかの街にいるが佐藤はたいして気にも留めない。どうせすぐ移動するのだいちいち気にしてもしょうがない。


 エリナは落下防止の柵の上に器用に立って、腕を組んで遠くを見ていた。魔力の流れに変化がないか探っているのだ。裂け目が生じれば世界に流れる魔力の向きにも変化が現れるのだという。感覚で定点観測の位置を変えるのはそのためだ。エリナの濃く黒い瞳でその流れを読み。肌で感じて追う。

 視線を下に向けると駅があった。乗り換えの集中する場所であり、電車が到着したこともあって乗り降りする人でごった返している。

 佐藤はエリナの様子を離れたところで座っていた。高いとところはあまり得意ではないからだ。

 風が吹くと下にいるよりかは幾分か涼しいが、肌に張り付くような暑さが和らぐわけでもない。娯楽があれば幾分は気分は違うだろう。佐藤はスマホを取り出したが、まだあまり使い方はよくわかっていない。少し操作し、面倒になってしまい込んだ。あとで宮之守にでも聞いてみることにしよう。


「人とは、忙しないものだな」

 エリナは暑い風になびく銀髪を撫でながら言った。麦わら帽子は風に吹かれて後ろへとずり下がり、首にぶら下がって揺れていた。

「異常あり? それとも無し?」

 エリナは佐藤をチラリと見てすぐに視線を戻し、柵から降りた。彼女なりの世間話のつもりだったが、もはや早く用事を済ませたいだけの佐藤には伝わらなかった。

「異常なしだ」

「じゃ、さっさと行こうぜ」

 立ち上がって尻に着いた埃を払う。

「待て、定時連絡を入れる」

「へいへい」

 エリナが連絡を入れ、佐藤のスマホからも通知音が鳴ったが彼は面倒なので確認しなかった。


「次に行くぞ。甘いものを食いすぎた。塩気のあるものを食べたい」

 ビルの屋上では人目を気にする必要もない。エリナは何も無い空間に魔法陣を作り出した。

 魔法陣は青い光を放っている。空中に描かれた模様はいたってシンプルだ。二重の円があるだけで、その内側に時空の穴が生じている。黒一色の穴で静かに鈴のような音を発している。エリナは魔法陣を出現させるために呪文を唱えることも無く、手を掲げたりもしない。どこであっても瞬時に何もない空間に魔法陣を出現させられる。これを使えば長距離も短距離も自在に行き来でき、大きさもある程度は自在に操れる。エリナにとって転送魔法を使うことは息を吸うこと、歩くことと同じだった。


 佐藤は魔法陣へ入ろうとして、途中で立ち止まった。二人は魔法陣をはさんで向き合っている。

「早く入れ。お前が入らないと閉じることができん」

 佐藤は肩をすくめて、穴を指さした。

「これ、どうして黒いんだ?」

「どうして、とは?」

「そのままの意味だよ。普通は知っておきたいだろ。同僚の魔法なら」

 エリナは魔法陣を消し、向かいにいる佐藤をまっすぐと見た。

「怖いのか?」

「怖いなんて言ってねぇだろが」

 エリナは腕を組み、顎に手を沿えた。エリナにとって転送魔法は絶対的に自信を持っているもの。それに対して疑問を持つことがエリナには受けれがたい事だった。それに暑い。照り付ける太陽が徐々に二人の苛立ちを加速させていた。

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