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第7話 見せてやるよ

 ガチンッ!


 その音にリザードマンは足を止めた。剣を床に突き立てた音だった。剣を杖代わりに厨房の奥からゆらり立ち上がって、佐藤は姿を見せた。窓を突き破ったときの切り傷、殴打された時の痣。乱れた髪は濡れ、水が滴り落ちる。

 全身の痛みに、眉間には深い皺が刻まれていた。満身創痍だ。隙だらけだ。にもかかわらずリザードマン達は佐藤の様子を伺った。彼らの爆発しそうな食欲。殺戮への快楽。それらを上回る何かが彼らに攻撃を躊躇させた。


 佐藤は出入口、カウンター、その向こうの、それぞれのリザードマンを順に見た。誰を殺すか。どのように。冷たい目をしていた。佐藤は乱れた髪を後ろに撫で上げる。

「よくも散々投げ飛ばしてくれたな。あぁ?」口元の血を拭う。「でも、お陰でよーやっと目が覚めた気分だ」


 深く息を吸い、吐き出し、肩を回した。

「ありがとなぁ。初心に立ち返った気分だよ」

 リザードマン達はお互いの顔を見合わせた。剣のリザードマンが前に出る。矮小な人間が我々にかなうものか。彼らなりの戦士としてのプライドが、本能が下した判断を覆した。


 リザードマンが佐藤の胴体を上下に分断しようと横に薙ぐ。佐藤は剣を横に構えて受け止めた。ゆっくりと互いの顔が近づき、ギリギリとリザードマンの圧力に佐藤の体が押され始める。リザードマンが大きな口をゆっくりと開ける。鋭く、汚れた歯がずらりと並び、粘性の高い涎が細い糸を伸ばして垂れる。生臭い息が漏れ出て、その臭いに佐藤は顔をしかめた。


 人と魔物の戦いで大きな違いがあった。人は魔物を討伐対象として考える。一方、魔物は人を食い物として考える。リザードマンは佐藤をそのまま食おうというのだ。だが佐藤は臆さない。鋭い目つきは戦うことを諦めていない。それどころか口元は笑ってすらいた。


「お客様ぁ。肉は生よりも、調理したほうがいいんじゃないかぁ?」

 殺意をこめ、皮肉めいた口調で佐藤は言う。

 佐藤はテーブルの上から竹串を掴みとってリザードマンの下顎から上顎に向けてそれを貫通させた。串が斜めに突き出たところを顎下から殴りつけ上唇と縫いつけさせる。


 佐藤の力は触れた物体に魔力を込め、強化することができる。どんなものであってもその物体のもつ特製を強化できるため相手が硬い鱗であろうと関係ない。本来の力が発揮できていないために剣による切断ができなかったのだ。剣に魔力を込めて戦うことが思うようにできないのであれば現状で最大限発揮できる形で相手に叩きこめばいい! 一点集中。魔力のこもった細い竹串の先端は今やレイピアにも劣らない!

「正解だな! 小さい分だけ魔力がよく乗ってくれる」

 徐々に体に調子が戻り始めていた。

 痛みに怯みむリザードマンの後頭部を掴み、佐藤は体を回して背後にあったガスコンロにリザードマンの頭を叩きつけた。

「やっぱり火を通さないとなぁ!」

 ガスコンロのスイッチを捻る。中華料理屋のガスの噴射口にのみに魔力を絞って乗せた最大火力が火炎放射となってリザードマンの頭を焼く。目と皮膚を焼かれたリザードマンは風船から空気が抜けるような情けない悲鳴をあげた。


 援護に駆け付けた大槌のリザードマンの目いっぱいのスイングが迫ろうとしていた。 佐藤はそれを予想しており、振り返りもせずに屈んで避け、剣のリザードマンを足払いした。リザードマンがバランスを崩し、そこへ大槌の強打が衝突する。槌の殴打と地下街の硬い壁に強く挟まれたリザードマンの頭蓋が破裂し、不快な音をたてた。


「先ずは一体!」

 佐藤は散らばった食器から包丁を拾い上げ、大槌のリザードマンの足に突き刺す。包丁は貫通しタイルにまで到達した。リザードマンが叫ぶ。反撃しようにも渾身の力を込めた大槌は壁にめり込んで抜けず、足はタイルに縫い付けられている。佐藤は低い姿勢のまま胴体を切り裂かんと剣を振り上げる。リザードマンはとっさに右腕でそれを防御。斬撃が肉を裂き、返り血に佐藤は塗れる。

「クソっ! ダメか!!」刃が止まった。骨の切断にまでは至っていない。「だが、肉は裂いた! もっと! もっと力がいる!」


 大槌のリザードマンが痛みに悶える。そこへ槍のリザードマンがカウンターを乗り越えて厨房に入り込む。槍のリーチを生かして作業台を挟んだ位置から佐藤の心臓を狙う。佐藤はそれを弾き。強い衝撃に槍がビリビリとしなって制御を失う。佐藤はリザードマンが槍を構えなおす隙を与えない。跳躍して作業台を飛び越え、剣を突き出す!


「二体目!!」

 骨を断てないなら、より力を! 落下の衝撃に加え、魔力の集中した鋭い先端がリザードマンの間抜けに空いた口に突き入れられる。勢いに押されたリザードマンは後ろへ倒れ、佐藤は確実に仕留めるため剣をひねった。槍のリザードマンは短い悲鳴を上げて、ゴボゴボと不快な音を吐き、血を流して息絶えた。


 直後、耳を劈く咆哮が地下街を震わせた。

「そうかい。お仲間をやられてお怒りってか……」

剣を引き抜き、血を払い、声のする方を見た。


 仲間を二体倒され、自身も腕に重傷を負わされた大槌のリザードマンが怒りをあらわにしていた。だらりと垂れた腕からは血が流れ続け、蛇口から漏れ出た水が赤く染まっていく。

「つっても。そいつのやったのはお前だけどな」佐藤は頭の潰れたリザードマンを指さした。


 再びの咆哮。大槌の長い柄を脇で締め、残った片腕でリザードマンは大槌を支えた。体を回転させ、槌と尻尾で代わる代わる殴打を繰り出す。これならば両腕で支えなくとも戦える。

「そんなのありかよ!」

 佐藤はカウンターを乗り越えて、客席の方へと飛び出た。奥からは、さきほどの咆哮に呼応するように別のリザードマン達の声が反響してきていた。


 大槌のリザードマンは調理台、テーブル、椅子。その全てを薙ぎ払いながらつき進む。佐藤は足元に転がっていた食器を蹴飛ばして振り返った。

 呼吸を整え、剣を構えて意識を集中させる。柄から鍔へ。その先の切先へ向けて魔力が流れ、満たされていくイメージを描く。剣は自分の手足と同じ。自在に操れて当然のものだ。戦場を離れ、緊張感の無い生活が、それらを忘れさせていた。


「もういちど頼む」佐藤は剣に語り掛けた。「俺とまた戦ってくれ」

体の正中線と剣が重なり、魔力が重なる。より重く、より鋭く。聖剣と呼ばれたこの刃で叩き斬ってやろうじゃないか!


 二日酔いによる集中力の欠如。倦怠感。今だ微かに感じる頭痛。突然に現代日本に来た精神的なショック。さらに軽度の熱中症。現役を離れた平和な暮らし。肉体的な鍛錬は欠かさなかったものの、やはり違うのだ。この場でなければ感じられないことがある。


 佐藤を縛る鎖はもはやない。緊張、体の痛み、剣の重み、重心、命のかかった高揚感、さらに偶然にも頭から被った冷たい水を切っ掛けとして全て外された。思い出したのだ、かつて勇者として戦っていた時の体の記憶を! 魔力の流れを! 剣の感触を!

 佐藤は踏み込む。眼前に迫る尻尾を叩き斬る。興奮状態で痛みが麻痺したリザードマンはそれでも止まらない。


 大槌が迫る。佐藤は剣で両断。二つに割れた鉄塊が顔の両側を掠める。振り下ろした剣を水平にピタリと止めて腹めがけて、押し込む。聖剣の一撃が鱗を貫き、肉も骨も断った。これが佐藤の振るう剣の本来の鋭さだ。佐藤は腹に刺さった剣を上へ、両断するために力を込める。頭蓋へ向けて肉と骨を剣が掻き分け、体をひねって後へ向きを変え、振り抜く。背後では縦に切り裂かれたリザードマンが左右に別れて倒れた。


 飛来した矢が佐藤の頬を掠めて血が流れる。咆哮を聞きつけた残りの全てが集まって来ていた。その数、十七。

「おいおい、このトカゲ野郎共は何体いるんだ?」

 うちの一体が屈んだ。床の血の臭いをかぎ、舐める。それは佐藤が吐き出した血の跡だった。魔物は笑わない。しかし佐藤にはリザードマンの口角が不気味に釣りあがっているように見えた。


「そういや、そういうそう奴だったなぁ。お前ら」

 まだ名も無き頃の一兵士としての記憶が蘇っていた。魔物討伐隊の一員としてリザードマンの群れと戦った時の記憶だ。魔物は人を喰らう。戦場で見た凄惨な死に方のうち、もっとも恐れられたことは食い殺されることだ。魔物は戦いながら相手に食らいつき、噛み砕き、飲み込む。頭から喰われる者。幾匹の魔物に組みつかれて生きたまま貪られる者。そういった兵士を佐藤は見てきた。


 魔物に捕虜という概念は無い。掴まれば手足を切り落とされ、止血処置をされたのちにリザードマンはその人間を紐で縛って背負う。鮮度のいい保存食というわけだった。これは兵士たちの士気に大きく打撃を与えた。戦いが終わると兵士たちは戦場でまだ息のあるリザードマンにとどめを指して周った。佐藤もその一人だった。


 とどめを刺すのはリザードマンだけではない。哀れにも捉えられて背に縛り付けられた人間に対しても。そうするしかない。佐藤は繰り返し自分に言い聞かせながら剣を振った。ずさんな止血処理を受けた人間は長くは持たず、いずれ傷口から病が入り込んで死んでしまう。助けることが無理ならば、せめて早く苦痛を終わらせてやろう。泣いて助けを請われても躊躇するな。たとえそれが兵士でなくても。


 奴らは倒すべき敵。倒す以外に選択肢などない。ここで同じようなことが起きてはならない。まっすぐと剣を構え直し、深く息を吸い。吐き出す。

「普段と勝手が違うから忘れていたが。採用試験だのなんだの……今はどうでもいい。ただ倒す。残らず。全て」


 佐藤は体に流れる魔力を意識する。酸素が血流にのって体を巡るように、魔力が全身に行きわたって力となる。佐藤の魔法の力をもってすれば剣はより鋭く、鎧はより堅牢に。生半可な刃では佐藤の来ている服を裂くすら不可能となる。佐藤は群れに飛び込んだ。


「四!!」

踏み込み、壁を蹴って三角に跳んで距離を詰め、厄介な弓兵を仕留める。


「五!!」

剣を鍔で受け止め、腕の回転と捻りを合わせて相手の剣を天井へ弾き飛ばす。敵は得物を失くし慌てる間もなく首をはねられた。


「六!!」

四方からの槍の攻撃を跳躍して躱す。天井に刺さった剣を左手で抜き、右手の聖剣には落下の速度を乗せ、脳天から床へ向けて敵を切断。

「七! 八!」

背後からの攻撃は体を捻って躱し、二振りの剣で喉を裂く。


左後方からの槍。切り裂いた時の勢いをそのまま、防御し、槍を切断し、腹を裂く。

「九! 十! 十一!! 十二!!」

喉。頭。首。心臓。肺。全て致命傷。残らず殺す。

「十三!! 十四!! どうしたぁ!!」

逃げようとする一頭へ向けて左手の剣を投擲し、これを阻止。

弾き、逸らし。全ての動作を流れるように。佐藤は遠心力と剣の重心、重量を巧みに操って剣を躍らせた。地下街の通路には死体が並び、床の白いタイルは全て赤一色に塗りつぶされていた。血の匂いが地下に充満している。


「……十七……!」

 佐藤が止まった。最後の一頭が、失った両腕と首から血を吹き出して、ずるりと崩れるようにして倒れた。

佐藤は肩を激しく上下させ、片膝をつく。

「はぁ、はぁ。引退した野郎に……やらせる仕事じゃ、ねぇだろうが……!」


 緊張の糸が切れ、背後に大の字になって佐藤は後ろへ倒れた。背中には内臓の感触があって気持ちが悪いが噴き出した疲労と頭痛に加えて生来のめんどくさがり屋が起き上がることを止めさせた。


「本当にやってしまいました……」

音川は口に手を当ててモニターを見ていた。

「エリナ。どうよ」

「どう。とは?」

「いい人材じゃない?」

宮之守は自慢げな表情でエリナを見た。エリナはため息をして返した。

「さっさと行くぞ」

エリナは車内に魔法陣を展開した。

「少しは面白そうだ」

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