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第8話 次に向けて

「お疲れ様です」

「……おう」

「見事な戦いぶりでした」

「おうよ」

「大きな怪我は、ないようですね」

「おう」


 二十体。佐藤がここで仕留めた数だ。通路や飲食店の中、佐藤が通った後には分断された死体や、頭のない体が転がっていた。

 清掃服に身を包んだ作業員がそれらの死体の処理を始めていた。


 宮之守は血塗れのまま床に大の字になって倒れる佐藤をニコニコと満足気な顔で見下ろしていた。そばにはエリナがいるが対照的に不機嫌な顔だ。


 不浄を嫌う彼女にとって血と臓物と、溢れ出た汚物に塗れるこの場所は不浄そのもの。不愉快極まりなく、一刻も早く立ち去りたい気持ちが溢れている。


「気分はどうですか。あまり顔色が良くないようですけど」

「最悪」

 佐藤は倒れたまま返事をした。

 戦いの傷と疲労のせいもあるが、だが今は何よりも激しい頭痛と吐き気がつらい。


「裂け目は私が閉じます。せっかくなので閉じるとこを見てもらいたかったのですが。車で休んでいた方がよさそうですね」

「あー……」

 佐藤は力なく返事をする。体は重く、服は血と汗でべっとりとして不快だ。


 佐藤の脳内は今やそのほとんどを面倒くさいで占められていた。

 このまま寝たいし、できれば水を浴びたいところだが……。そういえばしばらく体を洗っていない。めんどくさい。 頭痛のせいで頭は回らない。という具合に。


「どうします?」

「一応……見ておくよ」

 佐藤はどっこいしょと言って起き上がった。

「これから働くわけだし」

「わかりました。こっちです」


 異世界とこちらの世界を繋げてしまうという時空の裂け目は従業員用の通路と飲食店フロアを隔てる出入口の傍であった。

 宮之守は腕を組みながらこれを眺めた。


「時空の裂け目は不可視なものが殆どでして、これもそうですね。魔法について心得のある人であれば肉眼でも見ることができるのですが。こんなところにできて人的被害が出なかったのは幸運でしたね」

「我の発見と早めに部隊を展開して封鎖できたお陰だな」

「……見えん」

「あれ? 佐藤さんって魔法使えますよね」

「頭が痛すぎて」

「あぁ……。じゃあ私が見えるようにします」


 宮之守が手をかざすと何もなかった空間に裂け目が姿を表した。

 床から数センチほどのところで浮いており、割れた窓ガラスのような亀裂が四方へと伸び、ギザギザの裂け目は真っ黒でどこかと繋がっている様子は見えず、周囲にはブーンという振動しているような音を響かせていた。


「これが裂け目です。これを通ってさっきの怪物たちが入り込んでしまったというわけです」

 宮之守が片手をかざした。

「聞いているのか。臭男」


 反応の薄い佐藤の顔をエリナが覗き込む。どうにもぼんやりしている。

「聞いてる」

 目もうつろだ。


「これを閉じられるのは私かエリナだけなんで、今回は私がやって見せます」

「我の方が上手いし、いつも我がやっているがな」

エリナは鼻を鳴らし綺麗な自慢げに銀髪をかき上げた。


 宮之守がさらにもう片方の手をかざして目をつぶると口を小さく動かして裂け目を閉じるための呪文を唱え始めた。


「近づいて呪文を聞こうとなどとするなよ。我は平気だが、術者以外には毒であるからな」

「……はい」

「いい返事だ」

 裂け目から発せられていた振動音に変化が現れはじめる。

 低かった音が徐々に音が高く、そして時空の裂け目がそのものが震え始める。

 徐々に宮之守の付け爪が黒から白へと変色していった。


「宮之守の魔力と裂け目の魔力の共鳴が始まった。呪文を唱えながら魔力が一番共鳴する出力を探っているのだ。共鳴が完全に重なると―」

 大きな風船が割れたような破裂音と強い風が巻き起こった。裂け目が消えていた。

「―この通り。消えてなくなる」

「ふー……」

 宮之守は腰に手を当て、後ろを振り返る。


「これでお終い……うわーーー!!」

「なんだ宮之守。急に叫ぶな」

「佐藤さんが吐いてる!! 汚いマーライオンみたいに!!」


 不浄を嫌うエリナが恐る恐る横を見ると、うつろな目で立ったまま吐いている佐藤がいた。

「うわ、汚……あーーー!! 我の神聖な靴に汚物がっ!!」

 佐藤は糸の切れた人形のように前に倒れた。


「ちょっ! よりよってそこに倒れるんですか!? 自分の汚物の上に!?」

「我は帰る。後は任せたぞ宮之守」

「エリナ! ゲーム買ってあげるって言ったでしょ!?」

「物事には無理なものがある。勉強になったな宮之守。ではな」


 エリナは苦虫を噛み潰したような顔しながら、自分の背後に転送魔法のための魔法陣を出現させるとそこに飛び込んでしまった。


 後に残されたのは宮之守と佐藤だけだった。

 この日、宮之守は佐藤の前で始めて笑顔以外の表情をしたが佐藤は意識を失っていたので見ることはなかった。




 佐藤は再び病院で目を覚ました。窓から見える景色。天井の染み。どうやら少し前に運び込まれた病院と同じ場所のようだ。


 隣のベッドの方へ顔を向けると、しおれた顔をした宮之守が座っていた。初めて会った時のような自信のある不敵でどこか無邪気さを含んだものは感じられない。


「気分はどうですか?」

 声もしおれた様子だった。

「悪くない」

「そうですか。私、怒られてしまいました」

「そうかい」

「病人を勝手に連れ出すのはなにごとか! ってこっぴどく」

「そりゃお気の毒に。あんたに怒れる人っているんだな」

 佐藤は笑った。


「そりゃいますよ。私だって大きな組織のただの一人なんですから」

「でも、ここの病院ってその組織の関係なんだろ。お前さんが好きに名前を変えられる位には」


「そうですけど。あの、おじいちゃん先生は別です。もう引退してもいい年なのに現役以上に元気ハツラツで血気盛んの超人なんですから」


「お前さんみたいに勝手に抜け出したり、連れ出したりして。困ったら戻ってくるようなのがいるから引退できんのだ」

 突然の背後からの声に宮之守は「ひっ」といって飛び上がった。


 ひきつった表情でゆっくりと振り向く宮之守の後ろには老人が立っていた。

 佐藤は老人が入ってくるのに気が付いていたがあえて何も言わなかった。そのほうが愉快なことになりそうな気がしてその予想は見事的中した。

 普段は不敵で自信たっぷりな宮之守の顔がころころと変わるの面白い。


 老人の顔つきは年相応におじいちゃんと言えた。だが、首から下は逞しい体つきで姿勢も良い。白衣では隠しきれない鍛えられた逞しい肉体がそこにはあることは容易に伺えた。


「あはは……じゃ、私はこれで……おお大事にー」

宮之守はそそくさと退散していった。

 この老人こそが宮之守を怒った当人なのだろうことは改めて考えるまでもなかった。


「そうしてくれ。また勝手に連れ出されたらかなわんからな」

 老人の逞しく太い腕に大きな手。太い足。座る椅子はちんまりと見えて、胸ポケットのペンも首から下げた聴診器も体形のせいで玩具のように見えてしまう。


「どうも、佐藤さん。私は小林正太郎という。以後よろしく。あの小娘からおおよその事情は聞いておるだ……まったく困ったもんだよ。あの娘ときたら」

「小林先生ってもしかして子どもにかなり懐かれやすかったりしないかい」

「なんだね藪から棒に」

 小林は片方の尾根をあげ、それふっと笑みをこぼした。


「その通りだ。よくわかったね。空いている時間があったら病室で暇そうな子どものとこによく顔を出しているからかな。よく懐かれので腕に掴まらせたりして遊ばせとるよ。子どもたちは退屈な病院で少しは気晴らしなるようだし、こっちとしては腕の軽いトレーニングになってウィンウィン。どうしてそう思った?」


 口調こそ厳しいと感じるものはあるものの、表情は温和そのもので優しい目をしている。


 胡散臭い宮之守の笑顔とは違って柔らかい雰囲気と老人でありながらもボディビルダー並みの鍛えられた体はギャップがあって魅力的だ。暇を持て余した子ども達が放っておくはずがない。


 それともう一つ。

「宮之守を見ていたらなんとなくね。勘だけどな」

時折、どことなく無邪気さを感じさせる宮之守が好きそうな雰囲気だった。


「ふん。そうか。ま、あの娘の方はいたくお前さんを気に入っていたようだ。いい新人がみつかったとな。直接、本人に言えばいいものを」

「あとで俺から言っとくよ。で、すぐに退院してもいいのかな。先生。今は体調が良すぎて気味が悪いくらいだよ」

 佐藤は腕を回して見せた。


「それは良かった。だが残念だが入院だ」

「入院? なんか病気か?」

 佐藤は腕の動きを止めた。


「安心せい。ただの検査入院よ。聞けば君は異世界からこちらの世界に戻ってきたというじゃないか。それも十六歳で一度死亡とな。それから転生して四六歳になるまでの間に健康診断なんぞやっていないだろう。にわかには信じがたいが異世界帰りの人間は貴重だ。そういう意味でもデータが欲しい。上から下まで全部診るぞ」

「いや、それは上司にちょっと相談してからでも……」

「何を言う。既にここに上司からのサインがある」


 小林の小さな胸ポケットから、小さく折りたたまれた何かの書類がでてきた。

 そんなに三つも四つも折るような書類では無いだろうと思いながら佐藤はその書類を見ると確かに宮之守と書かれているようだが、それが本当に宮之守のサインかは判別がつきようもない。

 佐藤はまだ宮之守が字を書く場面など見たことが無かったからだ。


「なんだこりゃ。書類は目がチカチカするし、日本語で一字一句読めるはずなのに全く読めん。呪文じゃないのか」

 佐藤は思もわず眉間を抑えた。


「長年、日本語の書類を目にしていなければそうもなるだろう。ましてや日本にいたのは中学生くらいまでとなればなおさらかもしれんな。簡単に内容を説明すると書類上はお前さんは死亡扱いなので気の済むまで好きに検査していいおいう内容だ。もちろん、命に関わるような実験などはしない。はなからそんな気はないがな」


「なるほど、それは安心だ……」

 佐藤は固まった。小林の言葉を脳内で繰り返す。『死亡扱い』とは……?


「なんがすげぇ重要なことを聞いた気がすんだが」

「先ずは基本的な健康診断から。注射は苦手なタイプか? 必要なら横になって構わん。それからワクチン接種もやらなければならなくてな……」


 小林は矢継ぎ早にあれこれ説明を始めてしまい、ついていけない佐藤は考える隙もない。


 それから佐藤は小林の気の済むまで病院に閉じ込められ、宮之守のいる職場に案内されたのはさらに数日あとの事だった。

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