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第6話 私に見せてください

 静かなジャズミュージックが誰もいない通路に流れている。ビルの内部は冷房のお陰でヒヤリとし、静けさがより一層、深みを増していた。

 汗で濡れ、冷えた服が肌に張り付く。佐藤はそれを摘まんで引き剥がす。いっそ脱ごうかとも考えたが、どこから敵が来るかもわからない状況では得策ではない。脱いでから入るべきだったと後悔していた。佐藤は身を屈めて通路の角から奥の様子を伺っていた。


『佐藤さん。どうですか?』

突然の背後からの声に佐藤は剣を抜いてその方向へ構えた。

「……なんだこりゃ」

『音川です。驚かしてごめんなさい」

地上走行型ドローンからの声だった。

「音川……だったか。それで喋ってんのか」


 うっかり大声を出しそうになった佐藤は慌てて自分の口を押さえた。今いる通路の角の先にリザードマンがいる。気取られたくはない。

『そうです。これで会話ができます。インカムでお話しできればよかったのですが、渡す前に行ってしまわれたので』

 ドローンの形は、缶を横にして両端に車輪を付けたようなデザインだった。正面と思われるところにはスピーカーとディスプレイがあり、簡易的な顔が表示されていた。まるで玩具じゃないか。佐藤はそう思った。

「これが車で話してたドローンってやつか。使い魔みたいにもみえるな」

『使い魔……じゃないですけど、そんな認識で問題ないです。現状報告をお願いします』

「報告つったってな。特に何もないよ」


 角からそっと奥を覗き込む。天井にぶつかりそうなほどの背丈のリザードマンが舌をチロチロを出しながら歩いていた。表面はトカゲの様につるつるとした光沢を放ち、天井の蛍光灯の光を反射して、油分を感じさせる緑や紫色の光彩を放っていた。手には盾と剣を持っている。


『佐藤さん』

「こんどは宮之守か」

 再び角に隠れ、ドローンを見る。ドローンから発せられる声が変わるとディスプレイに表示される顔も違ったものになった。音川が使用していた時は眼鏡をかけ、垂れ目だったが、宮之守の場合はメガネは無く、少しばかり釣り目気味だ。

『先ほども言いましたが話しかけてみてください。もしかしたらただの遭難者かもしれませんからね』

「武器持った遭難者がいるかよ……」

 佐藤はぼやいた。宮之守の後ろではエリナが呆れた顔をして。音川は気の毒そうな目をしてモニターを見ていた。


『向こうが攻撃の意志ありと判断できた場合のみ、交戦を許可します』

「友好的な奴には見えないし、俺んとこじゃ問答無用で襲い掛かってきたからきっと無駄だと思うが」

 さて、どのようにするか。思案しながら角から顔を出すとリザードマンの姿が消えていた。


「消え……」

 佐藤の寄りかかっていた壁に亀裂が入り、砕けた。佐藤は飛びのいて距離をとる。さっきまでいた場所に重い塊が凄まじい音と共に打ち付けられ、タイルが粉々に砕け散った。

「この野郎っ!」

リザードマンの奇襲だ。会話を聞かれたか、あるいはこちらに気づいていないふりをしていたのか。舌を出し、ぎょろりとした目で佐藤を見る。タイルを砕いたのは大槌だ。

「宮之守! もう戦っていいんだよな!」

返事は帰ってこなかった。




「あー、壊されちゃったね。小松君に新しいの作ってもらったばかりだったのに」

ノイズの走ったモニターを見ながら宮之守はぼやいた。

「やっぱり応援に行ったほうが良いのではないかと……」

音川が振り返った。

「応援は送らない。佐藤さんも別にそれは望んでないだろうし」

「そうでしょうか……」


 宮之守は腕を組み。長い足を交差させた。

「ま、確かに酷かもだけど。私がはっぱをかけた時。受けて立ってやる! って顔をしてたんだ。だから私もそれを見守る。それにここで倒れるような人に、この先は勤まらないからね。言ったでしょ、これは採用試験だって。付近のドローンを佐藤さんの方に向かわせて」

 モニターに映像が映る。観葉植物の葉の隙間から佐藤がリザードマンと交戦している様子が映し出された。

「既に再配置済みです」

「さっすが、まみちゃん」


黙っていたエリナが口を開く。

「危なくなったら宮之守と臭男の位置を転送で入れ替えるぞ。いいな」

「うん。よろしくね。エリナも分かってるー」

「黙れ」

エリナはスナック菓子の袋を開けた。

「……くさおとこ?」

宮之守の片方の眉があがる。

「臭いからな」

エリナの菓子を頬張る音が車内に響いた。




リザードマンの大きく振りかぶった大槌が佐藤の脳天めがけて振り下ろされ、佐藤はそれを横へ躱す。佐藤は目の前の太い腕に目掛けて剣を振り下ろした。

「硬っって!」

強固な鱗に阻まれ、刃が肉まで通らない。びりびりと行き場のない衝撃が佐藤の腕へと跳ね返ってきた。リザードマンは鎧を着ない。その理由は硬い鱗があるために鎧が必要ないのだ。


 佐藤は離れる。リザードマンは人間では到底、扱えない大槌を軽々と持ち上げ、構えなしおた。佐藤は痺れの残る手を振り、視線はそのままに首を回した。鱗は強固だ。それでも自分の腕前で切断できない事はないはずなのだが……。


「こいつ、硬くないか……?」

 大槌のリザードマンの影から剣と盾を持ったリザードマンが現れた。盾を構え、佐藤へにじり寄る。剣と盾で隙を生じさせ。大槌で叩き潰すつもりだろう。佐藤は右手でくるりと剣を回し、構えなおす。

「来い」

 リザードマンが剣を横へ薙ぐ。佐藤は身を屈めて躱し、腹部へ突きを。リザードマンは左腕の盾でそらす。大槌が振り下ろされる。佐藤は転がって二匹の間をすり抜ける。剣を逆手に持ち替え、起き上がって振り返り、大槌のリザードマンの背中へ斬撃を喰らわせる。


「かっ……!」

 びりびりとした衝撃。またしても刃が鱗に阻まれた。腕力のあるリザードマンだがそのぶん小回りはきかない。そこを突いた攻撃だったのだが、逆に自分の隙をさらすことになってしまった。その隙を逃すほどリザードマンは甘くない。尻尾を振り上げ佐藤を打ちのめした。白いタイルの上を佐藤は無様に転がった。

「痛ってぇ……」

 ふらつきながら立ち上がると頭部からポタポタと赤い血が滴った。思うように体が動かない。刃が通らないのは何故だ。全身に魔力は行きわたっているはずなのに。


 魔物との戦いで重要なのは魔力だ。それが無ければ圧倒的な力に対抗するのは不可能だ。佐藤は前日の自分自身を恨んだ。酒を飲んでいなければ。しかし本当にそうだろうか? 二日酔いが影響したとしてここまでになるのだろうか。戦いから離れて何年になる? 体を鍛えることと実戦が違うのは自分でもよく知っていたはずじゃないのか?


「くく、鈍ってんのかねぇ……」自嘲し、口角を歪めた。


 背後からの気配に佐藤は身をそらした。槍が地面に突き刺さる。新手だった。危険察知の感覚はどうやら鈍っていないらしいが、喜んでもいられない。時間がかかればそれだけ不利になる。佐藤は苛立たし気に舌打ちした。


 リザードマンが槍をしごき、連続して突く。顔をかすめ、髪の毛が切れて散る。佐藤は剣でいなし、片手で槍を掴む。リザードマンの動きがほんの一瞬止まった。佐藤は腹に向けて渾身の力を込めて突きを放つ。

「浅い!」

 僅かに肉に刺さるも致命傷には至らない。やはり鈍っている。以前であればすでに三体を戦闘不能にしているはずだった。


 佐藤の体に鈍い痛みと衝撃が走り、視界が激しく回転した。佐藤はリザードマンに蹴られ、その勢いのまま中華料理店と通路を隔てる窓を突き破った。佐藤の体が丸テーブルにぶつかり、食べかけの料理が床に散らばった。


 佐藤はむせ。口の中に血の味がし、唾と共にそれを吐き出す。口を拭って視線を上げると大槌のリザードマンが別の窓を突き破って店内へ駆け込むところだった。瞳孔が開き、興奮状態となっている。佐藤の血の匂いが、彼らの神経を刺激していた。


 走り込んで振り下ろされた大槌を横に転がって避ける。リザードマンは片手を大槌から離し、佐藤の服を背中側から掴み、カウンターへと投げ飛ばした。食器が割れ、調理器具が床で甲高い音を立て床で躍る。

「痛……」

 佐藤はうつ伏せに床に倒れていた。おもむろに背中をさすった。佐藤の体がぶつかった衝撃で折れた蛇口からは水が噴出し、佐藤の頭を濡らした。

 剣と盾のリザードマンが体をぬるりとカウンターの隙間から滑りこませ、大槌のリザードマンは出入口に立ち塞がって、佐藤が投げ込まれた場所を警戒する。佐藤が倒れこんでいる場所は死角になっていた。


 カウンターの向こうでは槍を構えたリザードマンが陣取っている。逃げ場などない。まるでそう言っているかのように。水の噴き出す音のなか、散らばった食器が踏みつけられバリバリと割れる。二体のリザードマンが互いの位置を確認しながら、武器を構え、佐藤のいる方へとにじり寄る。血の匂いで興奮状態であっても彼らもまた戦士だった。


「……限界だな」

モニター越しに様子を伺っていたエリナが言った。

「室長!」音川が叫んだ。「もう充分です。本当に死んでしまいます!」

「宮之守、転送するぞ」

「待って!」

宮之守がそれを制止した。

「まだ、彼はやれる!」

エリナが何かを感じ取ってモニターに視線を戻した。姿は見えない。しかし、エリナの優れた魔力感知は変化を見逃さなかった。

「さぁ、証明して見せてください。佐藤さん!」

宮之守は不敵に笑っていた。

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