現場のビルは物々しい雰囲気に包まれていた。
数台の消防車と救急車。その間を慌ただしく走るそれぞれの制服に身を包んだ人々の姿があった。
黄色いテープや赤いカラーコーンで作られた即席の規制線では警察官たちが野次馬を押し返し、繰り返し下がるように注意喚起を促していた。
ここはオフィスと地下飲食店からなるビルで賑やかで忙しない人々の営みあるはずが、今はあたりを漂う緊張感に塗りつぶされている。
黄色い規制線を境としてに日常が変容しているように佐藤には見えた。
宮之守が言うにはここにいる消防隊員、救急隊員、そして警察官も、そのどれもが本物ではないのだという。本物の隊員と同等の知識と技術をもった偽物の隊員達だ。
情報の隠蔽と隔離を円滑にするために転送魔法で送り込まれた専門の部隊であり、中には一般人に紛れ込んでいる者もいる。
「七月ってこんなに熱かったけか……」
初夏というには気温は三〇度をゆうに超えていた。止まらない汗が頭、首、腕を伝い。体中を流れていく。
異世界帰りの佐藤にとっては余計にきつい暑さだった。
佐藤と宮之守の二人は黒いワゴン車に寄りかかって現場を眺めていた。
黒いワゴン車はこうした現場での作戦指揮車両だ。
車内では宮之守に連絡をよこした音川という女性がビル内部に小型ドローンを送り込んで様子を探っているところだった。
内部の状況を把握し侵入してきた異世界生物の危険度の有無判定し、対象への最適な接近ルートの選定を行う。
佐藤はそれまでの間、待機を言い渡されていた。
佐藤は服をつまんでパタパタと動かし、僅かでも体を冷まそうと外気を服の中へと送り続ける。宮之守から渡されたペットボトルの水はもう残り半分となっていた。
「これからもっと暑くなりますよ」
宮之守は腕を組んでワゴン車に寄りかかるっていた。すらりとした長い足と整った顔立ち。黙っているとモデルの様に見えるほどだった。
「マジかよ……」
「昔と比べると日本の夏のイメージは変わってしまいましたからね。佐藤さんが子どものころの夏って、たぶん爽やかな青空と遊び。青春。って感じだったと思うんですけど」
「そんな感じだった……」
「今の日本の夏ってそんな感じじゃないんです。暑いから不要な外出は控えて。水分と塩分をしっかり摂りましょう。暑いのでラジオ体操もしません。危険な季節ってイメージですよ。気温三〇度以上が五日以上とかざらにありますからね」
佐藤はついに最後の一滴を飲み干してしまった。空のペットボトルをゴミ箱に向かって投げると、ペットボトルは軽快な音と立ててゴミ箱に収まった。
「あーなんだっけ。転生する前に学校の授業でなんかやったな。おん……なんとか」
「温暖化」
「それだ。温暖化」
佐藤の体を滝のように流れる汗。一応は木陰にいるものの張り付くような不快さはまったく無くならない。
一方、宮之守は暑いと言っているものの涼し気な表情をしている。スーツにブラウス、その上にジャケットを羽織っているにも関わらずだ。
「暑くないの?」
「暑さは得意な方なんです。どちらかというと寒い方が苦手かもしれませんね」
宮之守は得意げな微笑みに佐藤は信じられないものを見るような目を彼女に向けた。
「おまえが宮之守が言っていた新人か」
「うお!」
佐藤は驚いてワゴン車から身を離した。
気づけばワゴン車の助手席の窓が開かれ、髪の長い銀髪の少女が顔を覗かせていた。
手には三段に積みあがったアイスがあり、少女はそれを舐めながら、品定めするように佐藤の体を上から下に、また下から上へ舐めるように見た。
「人間にしては魔力の流れが良い。よく鍛えられている」
「誰? こいつ」
「こいつではない。我はエリナ。時空を司る偉大な女神エリナ。今の発言は不敬だがお前は新人である故。今回は見逃す。我の寛大さに感謝するが良い」
「そういう設定?」
佐藤は困惑した表情で宮之守を見る。
「設定ではない。事実だ」
「言っていることは本当ですよ。時空の女神で、彼女の転送魔法のお陰で封鎖部隊の早期展開が可能になっているんです」
佐藤はエリナに向けてあからさまな疑いの目を向けた。
「……マジで?」
「くどいぞ」
「女神エリナ……ね。どっかで聞いた名前だな」
「佐藤さんがさっきまでいた病院の名前です」
「なるほど」
佐藤はポンと手を叩いた。
「……はい?」
エリナは得意げな表情をし、宮之守は続ける。
「セントエリナ病院。私と共に働いてくれる条件の一つとして、建物か地名にエリナと名前を付けることがあったんです。あの病院がそれです。ちょうどいい病院があって助かりました」
エリナは頬に付いたアイスを指で拭った。
「我は時空を司るゆえに癒しも医療も関係ないが。我の広い心と暖かな慈愛に富んで清らかな魂を知らしめるの為には時に妥協も必要。これも仕方がないがそれで良いことにしてやった」
「すげぇな。この数分間の間で、今の一字一句に全く当てはまるものが見当たらないんだが」
「お前……」
エリナの目が厳めしくなり、眉間に深い皺が刻み込まれていく。
「……臭いな」
そう言い残すと、エリナは車内に引っ込んで窓を締めた。
「は? くさ……はぁ?」
佐藤は思わず自分の服や体の臭いを嗅いでみた。
「俺、臭いか? そんなことないよな?」
宮之守は涼し気に微笑んでいる。
「なんか言えよ」
宮之守は静かに右耳のインカムに手を当てた。
「今、まみちゃんから時空の裂け目の位置を特定できたと連絡がありました。さ、行きましょうか」
くるりと反転し、車のドアを開けた。
「おい、待て。それは肯定じゃないよな。なんか言えよ。おい」