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第2話 宮之守とかいう女

「診察によれば軽い熱中症と。それに二日酔い。栄養状態もあまりよくなかったので今は点滴を打っているそうです。しばらくすれば目を覚ますと言っていました」

「そう。ありがと」

「あの、本当に一人でよろしいので?」

「ん?」

「その、暴れていた男と女性を二人きりにするのは、いくら命令とはいえ」

「だいじょーぶだって。私、こう見えても強いですから」

「はぁ。とりあえず、何かあったら呼んでください。すぐに来ますので」

「うん。お心遣いに感謝します。じゃ、しばらく二人だけにしてほしいです」


 佐藤は混濁した意識の向こうで誰かが話しているの聞いた。一人は警察の声。さっき佐藤と対面した人だろうか。も一人は明るい女の声。扉の開く音。一瞬の騒がしさの後、扉の閉まる音。コツコツと軽快な靴音を響かせ、音の主は佐藤の傍に腰を下ろしたようだった。

「んーこのベッド、意外とふかふか。徹夜の体には染みる―。このまま寝てしまいそう」


 女の声に佐藤は目を覚ました。

 白い天井、清潔な白い掛布団。腕からは細い管が伸びている。管の出所をたどって行くと透明な液体の入ったパックの容器が金具にぶら下がっていた。その透明な容器越しに女をみた。女は隣のベッドに腰をかけていた。

 ショートカットの黒髪。黒いジャケットと白いブラウス、それに黒いパンツスーツ。片方の腕で頬杖をつき、もう片方の手にはスマホ。支える指には黒い付け爪があった。女は佐藤の視線に気が付き、白い歯を見せてニカりと笑った。


「気分はどうですか?」

「魔女……?」

 まだ頭はハッキリしない。

「私? いいえ、魔女では……そう遠くもないかもですが。ここがどこだかわかりますか?」

 女の年齢は30歳くらいだろうか。だがどこか、あどけなさを感じさせた。


「……病院?」

「正解」

 彼女はバインダーを取り出しだ。

「年齢は四〇代くらい。男性。身元不明。警邏中の……まぁここは省略。あなたは道で倒れていたところをこのセントエリナ病院に運ばれてきました。しばらく休んでいれば良くなるそうですよ。なのでその間に幾つか質問したいのですが」

「めんどくせぇな……」

ぼそりと呟いた。


「ふむ。病み上がりですからね。それでは一時間後くらいにまた来ます。あ、持ち物はこちらで預かっていますから」

 持ち物。佐藤は自分の腰のあたりを弄った。あるはずの物がなかった。

「剣……俺の剣は!?」

「けん? あぁ、剣ですね。こちらで預かっていますよ」

女は後ろから剣を取り出して見せた。

「返せ!」

「おっと、だめです」


 飛び掛かろうとした佐藤を女は身軽な身のこなしで跳んで躱し、佐藤は盛大な音を立てて床に突っ伏した。騒ぎを聞きつけた警察がドアを勢いよく開け放って入り込んできた。

「大丈夫ですか!?」

「大丈夫、大丈夫」

女は振り返らず、顔を佐藤に向けたまま後ろの警官に向けて言った。

「ちょーっと盛大に転んだだけですから。ね?」

「ですが……」

「警備よろしくね」


 女は後ろの二人に微笑みかける。しかし目はそうではなかった。出てくるな、とその目は言っていた。事情の分からない佐藤にも、目の前で不敵に立っているこの女が少なくとも二人の警官より上の立場にあることは容易に想像できた。

 しぶしぶ退散する警察の二人が扉を締めるのを待って女は話し始めた。


「それでー。お名前はなんていうのですか?」

「剣を……」

 佐藤はズキズキと痛む頭を押さえながら立ち上がった。腕から点滴を引き抜く。体調が良ければこんな無様に転ばなかったはず。そうでなければ容易に取り返せただろう。次は取り返せる。佐藤は隙を伺った。


「返してくれ」

「どうやら大事な物のようですが。さすがに刃物となると、ちょっと簡単にはお返しできないんですよね……。そうですね。事情とか教えてくれて、信用できそうならお返します。どうですか?」

「……くせぇな」

「はい?」

「めんどくせぇってっ―うお!」


 佐藤は床に倒れた。違う。何かの見えない強い圧力が佐藤を押し倒した。不可視の重い物が体にのしかかっている。佐藤はこの感覚を知っていた。魔法だ。この女は魔法を使っている。異世界では嫌というほどに煮え湯を飲まされた厄介な存在。それをまさか日本で目にするとは思いもしなかった。

「こいつ! マジで魔女じゃねぇか!!」

「その反応を見るに異世界から来たのは間違いなさそうですね」


 佐藤は全身に力をこめ、無理やり体を床から引きはがしにかかる。徐々に体が持ち上がり始める。

「あらら、凄いですね。生身でそんなに」

「この魔法を……むぐ」

 佐藤の開いた口が閉じられた。不可視の力が頭と顎を押さえているようだった。女は身を屈めて言った。香水の甘い匂いが、佐藤の鼻腔に潜り込んできた。


「手荒な真似をしてすみません。でも、あんまり騒がれるとさっきの二人がまた来ちゃうし、一応ここは病院なので、お静かにお願いします。お話しましょう? ちゃんと事情がわかれば剣はお返ししますし、悪いようにはしません。承諾なら瞬きを二回。不承諾ならゆっくりと一回。いいですか?」

 女は不敵な笑みが浮かべた。まるで自分が絶対的に優位だと疑わない。そんな笑みだった。魔法の中でも厄介なのは不可視で遠距離から放たれるものだ。物理法則を歪め、近づくことも難しい。こんなのが日本に。ここは本当に日本なのか? 女はそばのベッドに腰を掛けた。


「一つ。疑問に思っているだろうことをお答えします。ここは日本です。それと私は敵じゃありません。異世界でどんな暮らしをしていたか知りませんが、あなたを害する気は……えーと……どうやってこの場でそれを証明すればいいでしょう?」

 すぐに危害を加える気はない。それは間違いなさそうだが。信用していいものか。だが状況を覆せるような案は浮かばない。佐藤はひとまず瞬きを二回してみせた。直後全身にのしかかっていた圧力が消え失せた。 


「痛ってぇ……」

よろよろと立ち上がった。そこに剣が差し出された。

「はい。剣はお返しします」

 突然の女の行動に佐藤は困惑した。これは罠なのだろうか。こちらをなめているのか。それとも不用心で間抜けなのか。


「順序が逆になってしまいましたが。これで私が敵じゃないって思っていただけるかと」

 佐藤は警戒しながらも剣を受け取った。その時、気が付いたことがあった。親指と人差し指の付け爪が黒から白に変わっていたことに。

「どうぞ座ってください。病み上がりなんですから」

「あ? ああ」


 どうやら本当に敵意はないようだった。佐藤は拍子抜けし、ベッドに腰を掛けた。自分の剣を確かめる。魔法的な細工が施された様子はなさそうだった。例えば剣が抜けなくなる。重くなる。といったようなものだ。

「……確かに敵意はなさそうだな。ならまず、名前を教えろ。話はそれからだ」

「私は宮之守みやのもり絵里子といいます。よろしくお願いします。あなたは?」


 宮之守は握手のため、手を差し出した。

「佐藤啓介」

佐藤は握手には応じなかった。

「よろしくサトウさん。あー漢字ではなんと?」

「紙」

 宮之守は傍にあったバインダーを渡す。

「空いてるとこにテキトーに書いてください」


 佐藤は三〇年ぶりに自分の名を日本語で書いた。そもそもこれまでいた異世界では名前を書くという習慣すらあまりなかった。それでも不思議と覚えていることに内心では少し嬉しくもあった。今更戻っても。そう思っていてもやはり故郷の字に触れるのは良いものだ。


「……ふふ、めっちゃ汚いですね」

佐藤は不機嫌に尾根を寄せる。

「うるせぇな。で、聞きたいことってなんだよ」

「じゃ、早速。佐藤さんは異世界に行っていましたか」

「そうだよ。一六歳で病死したと思ったら向こうで生き返った。四六歳になって帰ってきた。異世界から帰って来たとかどうのって、さっき自分で言ってなかったか?」

「確認のためです。次、異世界では魔法が使えましたか?」

「多少」

「多少とは、どれくらいですか?」

「試してみるか?」

「いえいえ、止めておきましょう」

宮之守は両の手のひらを見せた。


「別の機会に見せてもらうことにして。次! 佐藤さんは魔物とか化け物と戦えますか?」

「それは……いるのか日本に?」

佐藤の目が鋭くなる。宮之守はニコニコとした顔で繰り返した。

「戦えますか?」

「ああ、戦えるよ」

「それは良かった! じゃぁ最後の質問です。この世界でなく、異世界に帰りたいですか?」

「それは……」


 佐藤は自問した。あの世界に帰りたいかどうか。確かにあの世界では一時は勇者として活躍できた。だが今はどうだ。戻ったところで何もない。また酒に酔って。どこかの道端で朝を迎える毎日に戻ってどうする。だが、この日本でこれからどう生きればいい?

「……わからない」

「では、保留っと」


 宮之守は「良し!」という掛け声とともに立ち上がった。

「では、行きましょうか!」

「どこに?」

 宮之守は佐藤が自分についてくると疑っていないようだった。笑顔の似合う女であった。見た目とは裏はらに無邪気な雰囲気を持っていて、同時に胡散臭くもあった。


「新しい職場です!」

「職場って。それって上司はお前さんってことか?」

 宮之守は腰を腕に当て胸を張り、ニコニコとした顔でうんうんと頷く。

「まってくれ、俺は働くとは一言も言っていないし勝手に決めるんじゃねぇ」

「おや、私の元で働きたくないと」

「得体のしれない人間の元で働けるわけねぇだろ」


 宮之守は顎に指を触れ。尾根を寄せる。

「そうでしたか。……残念です。まさかもう別に働くところを決めていたなんて一足遅かったようですね」

「いや、どこも決まってないが……」

「ええ、知ってます」

「こいつ……」

「いやぁ大変ですよー。職歴無し、身元不明の四六歳男性。酒臭くておまけに粗野。どこも雇ってなんかくれないでしょうねぇ。チラっ」

 宮之守は手に持ったバインダーで顔を隠し、ワザとらしく片目を覗かせた。佐藤は眉間に皺を寄せて睨みつけた。

「好き勝手言いがやる」


 宮之守はワザとらしく悲鳴を上げてバインダーで顔を隠した。

「おまけに『自分は異世界から帰って来たー』なんて。だーれも信じません。そんな人でも雇ってくれるなんてー……。チラっ。きっと、とーっても良い職場だと思うんですけどー。アットホームでー。親しみやすくってー。チラ、チラっ」

 チラチラとバインダーから顔を出しては隠れ、佐藤を煽る。事実、佐藤啓介はこちらの世界ではただの無職。それどころかホームレスだ。宮之守の言う通り、まともな人ならこんな人物を雇おうとは到底思わないだろう。


 宮之守とかいうむかつく女。仕方ないが話にのってやるしかない。

「あーもう! 分かったよ! その鬱陶しい仕草を止めろ!」

「やった! 無理やり車に押し込む必要がなくて助かりました」

「それでアットホームはもはや詐欺だろ」

「まぁまぁ。とりあえず仮採用ってとこですが。最低限の衣食住は保証しますからご安心を」

「あと、さっきまでと性格が少し違くないか」

「まさか。全部が全部、私ですよ」

 めんどくせぇことになっちまった気がする。佐藤の頭がまたしても痛み出した。二日酔いの頭痛と思ったがどうも違うらしかった。

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