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第3話

 その夜、客間で寝ていた若菜はふと目を覚ました。

 目を開けてみると、まだ部屋の中は暗い。まだ深夜といっていい時間帯のようだ。

(緊張していたせいかしら……)

 くらくらとめまいがする。これはかなり疲れている証拠だ。

(お水……もらってこようかな……)

 起き上がろうとして若菜はぎょっとした。頭ははっきりと覚醒しているのに、体が動かなかったのだ。声も出ない、指も動かない。

(や……やだ、これって金縛り?!)

 ぞくぞくと背筋から寒気がはいのぼってきた。ぶわっと体中に鳥肌がたつ。

 浩二に助けを求めようと目だけを隣に動かしたが、彼は気持ちよさそうに眠りこんでいる。助けは期待できそうにない。

(どうしよう……)

 ぎしり。

 おろおろとパニックになっていると、すぐ近くで足音がした。

 廊下からではない。誰もいないはずの仏間からだ。

 ぎし、ぎし、ぎし。

 呆然としているうちに足音は次々に増える。

 まるで仏間に何人もの人がひしめきあっているようだ。

(泥棒……ううん、絶対違う……!)

 こんなに静かに集団行動する泥棒などありえない。あまりに不気味で逃げ出したかったが、体はまだ動かない。

 ただ冷や汗だけを流しながら仏間につながるふすまを見ていると、おもむろにふすまが左右に移動した。そこから何人もの男女がぞろぞろと出てくる。彼らは皆一様に年老いていて古臭い身なりをしている。中には着物を着ている者もいるようだった。

 老人たちはぐるりと若菜を取り囲むと、見下ろすようにして座り込んだ。

 近くで見た老人たちの顔は少しだけ浩二の父に似ている。動けない今、若菜には確認しようもないが彼らはおそらく仏壇にまつられている浩二の家族なのだろう。

『まあた、水子つきかい』

 そのうち、老人の一人が口を開いた。ずしりと若菜の腰が重くなる。

『前といい、今回といい浩二は女を見る目がないのう』

『まあしょうがないじゃろ、なにしろこんだけの別嬪さんじゃ』

『ほんに最近の女はたぶらかすことばっかりうまくなって』

 はあ、と老人の誰かがため息をもらす。

 ほぎゃあ、と若菜のすぐ近くで赤ん坊の泣き声がした。おそらく、重くなった腰のあたり。

 赤ん坊くらいの冷たいなにかがもぞもぞと動きながら泣いている。

(……っ!)

 今までの恐怖を忘れて若菜はぼろぼろと涙を流した。

 若菜には一度だけ堕胎したことがあった。正確には流産と言ったほうがいいかもしれない。

 大学時代にひっかかった性質の悪い男。彼は暴力をふるい、嫌がる若菜に無理矢理関係を続けさせ、挙句のはてには若菜を妊娠させてゴミ屑のように捨ててしまった。

 当時は若菜一人でも子供を育てようと思っていた。

 しかし、ストレスでぼろぼろになった若菜の体は出産に耐えることができなかったのだ。

 過労で倒れ、気が付いたときには子供はもういなくなってしまっていた。

『さて、これからどうしたもんじゃろう』

『前の女の時みたいに、親父の弘明にでも身上調査するように言っとくか?』

『それがいいじゃろう』

(私だって、好きであの子を死なせてしまったわけじゃないのに……)

 動けない若菜の上では勝手な議論が続いている。それが悔しくて、悲しくて若菜は涙をこぼす。

 その時だ。

『こんの馬鹿どもがあっ!!』

 誰かの一括が響いた。

『ば、ばっちゃ……』

 そこには女傑を絵に描いたような老婆がいた。彼女はすぱーんっ、と老人の一人の頭を叩く。

『あの女とこの娘が同類なわけあるかいっ! そんなこともわからんのかっ』

『で、でも……』

 老婆はひょい、と若菜の腰のあたりにいた何かを抱き上げる。

 視線を動かしてよく見ると、彼女は淡く光る何かを赤ん坊でも扱うようにあやしていた。

『おう、怖かったのう。じじいどもが母ちゃんをいじめるから怒っとったんじゃろ』

 赤ん坊の泣き声はすぐにきゃっきゃっというかわいらしい笑い声に変わる。

『あの女の水子は恨みでついてきておったが、この子は違うよ。母親が好きだったからじゃ。そんな風に慕われておる娘が悪い娘なわけあるかい』

『じゃあ、ばっちゃ……この娘は』

『なんじゃ、うちの嫁に文句でもあるんか』

『……ないです』

 老人たちは皆うつむいた。彼女の決定は絶対らしい。

 老婆は光を抱えたまますたすたと廊下に出て行った。

『ばっちゃ、どこ行くんじゃ』

『裏山のお地蔵さんとこじゃ。この子がもう一回嫁のところから産まれるようお願いしてこにゃあ』

 そう答えると老婆は姿を消してしまった。ほかの老人たちもぞろぞろと仏間に戻っていく。あとには体の力が抜けた若菜だけが取り残されていた。

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