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401号室
タカば
ホラー怪談
2024年08月01日
公開日
5,488文字
完結
ショートホラー。
物件探しで向かった先には……。

第1話

「おにいちゃん、こっちこっち」

 美月に促されて、惣一は住宅街を奥へと進んだ。幹線道路から一区画奥に入ったそのエリアには綺麗なマンションが何軒も建っている。美月は、その中でもひときわ大きな鉄筋コンクリートの前で立ち止まった。わざとらしいしぐさでくるりとこちらを振り返ると、マンションを指す。

「じゃーん、ここが春からの私のお城候補!」

「すごいマンションだな。何階建てだ?」

「10階建てだって。最上階とか、眺めがすごくいいらしいよ」

 あと一か月ほどで大学生になるはずの妹は、子供のようにはしゃいでいる。初めての一人暮らしが楽しみでしょうがないらしい。反対に惣一はどうしても心配が先にたってしまい、表情が曇る。

「セキュリティとか、大丈夫か?」

「完全オートロックだってさ。まあ、そのへんを確認してもらうためにおにいちゃんを連れてきたんだけどさ」

 美月が一人暮らしすることを、過保護な父は惣一以上に心配していた。今日惣一が来たのも、父親の代わりにマンションの設備を確認するのが目的だ。

「どうせ、お父さんからいろいろ言われてるんでしょ? でも、この物件は完璧なんだから! しっかり安全だって確認してよね」

「はいはい」

 心配性二人の考えることなど、妹にはお見通しらしい。惣一はずんずんと進んでいく美月の後におとなしく従った。

「管理人さーん」

 オートロックドアの手前のロビーで、美月は受付に声をかけた。初老の女性が窓から顔を出す。

「はい、どなた?」

「4月から入居の仮契約をしている柏木です。兄に部屋を見せたいのですが、よろしいですか」

 惣一が会釈する。管理人は検分するように惣一の顔をじろじろと見た。

「うちは女性専用のマンションでしてね。部屋には親兄弟しか入れてはいけないルールなんです。失礼ですが、身分証を確認させてください」

「……どうぞ」

 惣一が免許証を出して渡すと、管理人は念入りに内容を確認する。かなり規則が厳しいようだ。

「確かに、お兄様ですね」

 管理人は免許証を返すと立ち上がった。すぐに奥から鍵を持ってくる。

「この鍵を使って中に入ってください。帰るときはまた管理人室に声をかけて鍵を返却してください」

「はい、わかりました」

 美月は受け取った鍵でオートロックのドアを開ける。二人はエレベーターに乗り込んだ。

「男の客にはいちいち身分証まで確認するのか。厳重だなあ。管理人を雇う人件費も馬鹿にならないだろうに」

「あの管理人さん、大家さんでもあるんだって。だから管理人の人件費はほとんどかかってないみたい」

「え、大家さん?」

「十年くらい前に娘さんを事故で亡くしたあと、娘さんと同じようにがんばって勉強する女の子のためにこのマンションを建てたんだって。入居者が学生の場合は家賃がすごく安くなるんだって」

 いい物件でしょ? と笑いかけられて惣一は苦笑するしかない。確かにマンションの警備は完璧だ。

「あ、ついたよ」

 チーン、と音がしてエレベーターは4階に止まった。廊下に出ると、シンプルながらも落ち着いたデザインのドアが奥へと並んでいる。

「私が借りる部屋は『401』だよ」

「一番奥の角部屋か? 贅沢だな」

「へへー、すごいでしょ!」

 にっこり笑うと、美月はドアの鍵をあけた。

「はーい一名様ごあんなーい」

 まだ自分の部屋ではないくせに、すっかり主気取りの妹は鍵を開けると惣一を部屋の中に促す。

 家具も何もない、がらんとしたワンルームが惣一たちを迎えいれた。

 リフォームしてまだあまり時間がたっていないのだろう、真新しい壁紙のにおいが惣一の鼻を刺激した。

「……明るい部屋だな」

 ぐるりと見回してみた第一印象はそんなところだった。部屋の南と東にしつらえられた窓からたっぷりと注ぐ光。部屋全体のデザインも悪くない。床はすべてフローリング、壁は上品なクリームホワイト、キッチンカウンターなどの備え付け家具も明るい木目調で揃えられている。ベランダも広くとってあるから洗濯物を干すのにも便利だろう。

「いい部屋でしょ? 駅から徒歩五分でオートロックつきで、しかも女性用マンションってすごくない?」

「確かにすごいな」

「もー、お父さんが出した条件を満たす部屋を探すの大変だったんだから!」

 ぷう、と美月は頬を膨らませる。

 美月が一人暮らしするにあたって父親が出した条件は、「駅徒歩五分以内」「オートロック」「女性用マンション」の3つだった。よくある条件のように見えるが、全部そろえるとなると難しい。惣一は父親が美月に一人暮らしをあきらめさせるために出した条件だろうと推測していた。

「でも、家賃は結構高いんじゃないのか?」

「へへー、それがなんと4万円!」

「なに?! よんまん?!」

「すごいでしょー!」

 美月は惣一に向かってブイサインしながら勝ち誇ったように笑う。

「おいおい、事故物件とかじゃないんだろうな」

 周辺の家賃相場を思い出しながら惣一は妹を見る。こんなに設備のいいマンション、倍額でも安いくらいだ。そしておいしい話には裏があるものと相場が決まっている。

「さっきも言ったでしょ? この部屋は女子学生のために大家さんが建てたの。安いのはそのおかげ! 不動産屋さんにもきいたし、近くに住んでる先輩にもきいたけど、事件の記録はないって」

「それならいいんだけどさ」

 言いながらも、惣一はあとでマンションの履歴を調べようと心に決める。妹の言葉を疑うわけではないが、彼女の『調べた』がどこまで正確かはわからない。

「ねえねえ、こっち来てみてよ! この部屋、洗面台もキレイなんだよ」

 惣一が納得したと思ったらしい、美月は脱衣所に入るとぱちんと照明のスイッチをいれた。電球色の照明がシンプルな脱衣所を照らす。

「トイレと風呂、別なんだな。贅沢な部屋だなー……って、おい、電気つけていいのか?」

 この部屋はまだ正式に借りてはいない。だから本来ブレーカーも落とされているはずだ。

「不動産屋さんが、部屋を見る間はブレーカー入れていいって言ってた。帰る前に落としていけばいいみたいだよ」

「まあ……いいならいいんだけど」

「おにいちゃんはいろいろ気にしすぎ! 私だってちゃんと部屋くらい見つけて来れますー」

 いろいろ疑ったせいか、へそを曲げてしまったらしい。妹は口をとがらせるとそっぽを向いてしまった。

「悪かった。お前はすごいって」

「本当にそう思う?」

「思うって」

「じゃあキスして」

 見上げられて、惣一の顔が赤くなった。実をいうと、惣一は美月と血がつながってない。彼女は継父の連れ子だ。

 だから、二人が付き合うのに血縁的には問題ない。しかし世間的な問題があり、あまり表だったつきあいはしていなかった。

 キスするのだって、これでやっと数度目だ。

「……美月」

 軽く唇を落とすと美月は微笑む。

「へへ……家を出たらもうちょっと二人きりの時間が作れるね」

「一人暮らしの理由はやっぱりそれか」

 あきれる惣一を、美月が見上げる。

「嫌?」

「いやなわけ……」

 ドンッ! 惣一が美月を抱きしめようとした瞬間、壁を叩くような大きな音が部屋全体に響いた。

「なんだ?」

 惣一はとっさに美月をかばうようにして辺りを見回す。

「隣の部屋から……かな。騒いでたからうるさい、とか……」

「それ、おかしくないか? ここ、鉄筋コンクリートだよな?」

 確認ついでにさっき壁を叩いてみたが、ここは安いプレハブマンションと違って壁が厚く、そう簡単に音は響かない。たとえ隣で思い切り壁を殴ったとしても、こんなに大きな音にはならないだろう。

「じゃあ何だっていうの」

「いや、部屋の中から聞こえなかったか、今の」

 たとえば部屋の中に立った誰かが壁を叩いたような。

「そ……そんなわけないじゃん! この部屋には私たちしかいないんだよ?」

 ここは狭いワンルームマンションだ。家具もないから隠れる場所などありはしない。

 そのはずだ。

 否定しながらも、美月も惣一と同じように感じていたらしい。彼女の顔も青ざめていた。

「……だけど」

「私ここに住むんだよ? もう変なこと言わないで!」

「そう、だな。だいたい部屋の中は見たし、そろそろ帰ろうか」

「う……うん」

「戸締り、確認するぞ」

 鍵を確認するというよりは、この部屋に自分たち二人以外いないことを確認する。ベランダに通じる窓に目を向けた瞬間、惣一の手が止まった。

「何だ……これ」

 ベランダの床に人の足跡がついていた。

 女性か、子供だろうか。

 煤でもついているのか、真っ黒いその足跡はベランダから窓へと続いている。

「……?」

「おにいちゃん、どうしたの?」

「ああ、少し汚れを見つけただけだ」

 妹をこれ以上不安にさせるわけにはいかない。言葉を濁して窓から離れた惣一は、足跡に違和感を覚えてもう一度ベランダの床を見た。

(あれ? あの足跡の人間……どこから、来たんだ?)

 足跡はベランダの淵から窓に向かって続いていた。つまりベランダの柵を乗り越えて誰かが窓まで来たということだ。

 しかし、ここは4階。

 空でも飛ばなければそんな芸当はできない。

「おにいちゃん?」

「出よう、美月」

「うん」

 美月の腕を引っ張るようにして惣一は玄関に向かう。

「ブレーカー元に戻したか?」

「うん、さっき落としておいた」

 配線のパネルを見ると、ブレーカーが落とされている。問題ないことを確認して惣一は逃げるように部屋から出た。エレベーターを使うのももどかしく、階段を駆け下りる。

「ちょ、ちょっと待ってよおにいちゃん!」

「駅前でカフェラテおごってやるから、早く来い」

「待ってって」

「おい……」

「待ってよ! ケータイ忘れてきちゃった!」

 ぐい、と袖を引っ張られて惣一はやっと立ち止った。

「何?!」

「さっき……キッチンの写メとってたから……たぶん流しにおいてきちゃったんだと思う」

 美月は泣きそうな顔でこちらを見上げてくる。

 ハンカチ程度なら放っておけと言うところだが、携帯電話ではそうもいかない。

「……取りに戻るか」

「一緒に行ってくれるよね?」

 美月はまだ惣一の袖を握りしめている。惣一は息を吐いた。

「当たり前だろう。ほら、戻るぞ」

「うん……」

 二人はそのまま401号室へと戻った。

 戻った部屋には特に異変らしい異変はなかった。

 家具のないがらんとしたフローリングの部屋が同じようにそこにある。

「ケータイ、キッチンに置いたんだったよな?」

 念のため美月を玄関に残して、土足のままキッチンへと向かう。美月の携帯電話は女の子らしいピンク色をしていたはずだ。キッチンカウンターの中から、見慣れた色彩を探す。

「くそ、暗いな」

 キッチンはリビングから少し奥にある。その分だけ少し辺りは暗かった。

 惣一は照明のスイッチに手を伸ばす。

 パチン、と音をたててスイッチをいれるとすぐに辺りは明るくなった。先ほどまでカウンターの陰になっていた場所に携帯電話の姿が浮かび上がる。惣一は携帯電話を手に取ると、キッチンから飛び出した。

「おにいちゃん、あった?」

「ああ、暗がりにおいてあったみたいだな。電気をつけたらすぐに見つかった……けど……」

 惣一は、答えながら自分の言葉に違和感を覚えた。

 すぐについた電気。しかし、ここは入居前の部屋だ。

「美月、お前ブレーカーいれたか?」

「え?! そんなことしないよ? すぐに出るんでしょ?!」

「……!」

 二人同時に配電盤を見た。

 出るときに、落ちていることをお互いに確認したブレーカー。

 しかし、今ブレーカーは電源が入っている。

「……っ」

 息をのんだ瞬間。

 ガタン! と大きな音をたてて窓枠が揺れた。

 風で揺れたのではない。誰かが窓枠に手をかけて大きく揺らしたのだ。

 姿は一切見えないが。

「出ろ! 美月!!」

 惣一の怒鳴り声に反応するように、美月が部屋を出た。続いて惣一も玄関から転がり出る。

 ドアを閉めた瞬間、中からバァンッ! とドアが振動した。誰かが中から思い切りたたいているのか、二度、三度とドアは激しく揺れる。

 どうすることもできずに立ち尽くしていると、やがて中から「ちっ」と誰かが舌打ちするような声が聞こえてきた。

 惣一は無言のまま美月をひきずるようにしてその場を後にする。

「お……おにいちゃん……」

「いいから行くぞ、美月」

 強引に美月の手をひいて惣一は階段を降りた。

「すいません」

 オートロックのドアをくぐり、惣一は管理人室に声をかけた。顔を出した管理人に鍵を渡す。

「見学終わりました。鍵をお返しします」

「ああ……どうも」

 管理人は無表情で鍵を受け取る。

「どうでした、部屋は」

 問われて、惣一は言葉に詰まった。何かがいた、などと非常識なことを言って信じてもらえるわけがない。

「……その」

 惣一が言葉を濁していると管理人は馬鹿にしたような顔で二人を見上げた。

「いいのよ。入居しなくて。そちらのほうが私も嬉しいわ。あなたたち、うちのマンションにふさわしくないもの」

「何を言って……」

 ぴしゃりと窓を閉めると、管理人はすぐに奥へと戻っていった。あとには呆然とする惣一と美月が残される。

「おにいちゃん?」

「帰ろう、美月」

 惣一は美月を手をとってロビーを出た。

「なあ美月、大家の娘が死んだ事故のこととかって知ってるか?」

「え? えっと……確か、カレシとデート中にスピードの出しすぎで追突事故を起こしたって聞いたけど」

「……それが理由か」

 惣一が大きく息を吐いた。

「あのマンションはやめておこう。あの大家は多分……男と付き合ってる人間を入居させたくないんだ」

「え? でも、どうやって……」

「理屈なんか知るか。とにかく、嫌なんだろ」

 部屋の中で感じた敵意。あれは惣一が美月にキスしたときから発生していた。

 それだけは確かだ。

「……親父の説得は俺が手伝うから」

「うん……」

 二人はとぼとぼと駅へ向かった。

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