──────
────
「……えっ?」
視界に入ってきた見覚えあるトンネルを前に、呆然と立ち尽くした俺は小さく驚きの声を漏らした。
(……なんで、ここに?)
混乱した頭で呆然とトンネルを見つめながらも、俺は吸い寄せられるかのようにしてトンネルへと近付いた。
(何度見ても不気味だな……)
陰湿な雰囲気を漂わせているトンネルの前で足を止めると、一度全体を見上げてからその視線をトンネルの中へと移す。
こうして改めて見てみると、トンネル全体の空気は酷く重苦しく、異様な雰囲気を放っている。
この3年、全国各地で様々な心霊スポットを巡ってはきたが、このトンネルはその中でも群を抜いておどろおどろしく、その空気に圧倒された俺は思わずゴクリと喉を鳴らした。
と、その時──。トンネルの中で何かが動いたような気がして、俺は瞳を細めると目を凝らした。
「──っ!?」
声にならない悲鳴を喉の奥へと飲み込んだ俺は、硬直した身体のまま目の前の”ソレ”を見つめた。暗がりで見えにくいとはいえ、確かに目の前に見えるのは全身血だらけの女の人の姿。
カタカタと震え始めた身体から冷んやりとした汗が滲み出る。
自慢じゃないが、俺は未だかつて一度も幽霊というものの存在に遭遇したこともなければ、怖いとすら思ったこともなかった。
けれど、そんな俺でも直感的に感じたのだ。あれは、関わってはいけないと──。
(……っ、逃げなきゃ……っ!)
そうは思うものの、まるで金縛りにでもあったかのようにピクリとも動かない俺の身体。動かない身体をガタガタと震えさせながら、ギュッと固く瞼を閉じた俺は心の中で懸命に祈った。
(頼む……っ、頼む……! 早く動いてくれっ……!)
──────
────
「……っ、うあぁぁあーー!!!」
勢いよく飛び起きた俺は、息も絶え絶えに辺りを見回した。
「……夢……、か……っ」
そう小さく声を零すと、ベッドの上に座ったまま壁にもたれる。悪夢を見たせいか寝汗が酷く、グッショリと濡れたTシャツが肌に張り付いて気持ち悪い。
「最っ、悪……」
未だかつて、心霊スポット帰りに悪夢に
「……まぁ、夢で良かったけど」
思わず弱気な本音が零れ出た俺は、濡れたTシャツを脱ぎ捨てるとその足で風呂場へと向かった。
(再生回数、どこまで伸びたかな……)
頭からシャワーを浴びながら、そんなことを考えて鼻歌を口ずさむ。
先程見た悪夢のことなどすっかりと忘れ去った俺は、就寝前に投稿した動画の再生数のことで頭がいっぱいだった。
(あれから6時間は経ってるから、1000くらいはいってるといいなぁ)
そんな期待を胸にシャワーから上がると、パソコンの前に座って再生回数を確認する。
「──えっ!? 3万再生!!? ……嘘だろっ!!?」
驚きに思わず椅子から立ち上がると、目の前に映し出されている画面を見て絶句する。
「……マジ……っ、か……」
過去3年間で俺が投稿してきた動画の中で、一番人気なものでも100万に届くかどうかだったが、たったの6時間で3万とは驚きの再生数だ。このままの勢いでいけば、1週間で100万も夢ではない。
これは、間違いなく当たりだったようだ。
「……っ、しゃぁああーー!!!」
真夜中にも関わらず部屋中に響き渡る程の雄叫びを上げた俺は、溢れ出る喜びを噛み締めて拳を突き上げた。
『──さっきから、うるせぇーぞ! 何時だと思ってんだ!』
「うわっ、……すいません!」
隣りからの苦情に焦って謝罪をすると、薄い壁に考慮して枕に顔面を突っ伏す。
『やった……っ! やったーー!!!』
堪えきれない喜びにジタバタともがくと、枕に伏せたままの俺はニンマリと微笑んだのだった。
◆◆◆
それから3日が経過する頃には再生回数は100万を超え、俺の予想を遥かに上回る程の人気となったあの動画。その再生数を確認するたび笑顔を浮かべながらも、俺はあの日見た悪夢に毎晩のように
シチュエーションこそ特に変化はないものの、日を追うごとに段々と俺の元へと近付いてくる血だらけの女性。夢とわかってはいても、やはり恐ろしい。
「マジで、段々と近付いてきてるんだよ……。しかもさ、よく耳を澄ましてみると何か聞こえるんだよ」
「でも夢だろ? 気にし過ぎだって」
「いや、でもさぁ。近付いてくるって不気味だろ?」
同じ学部の友人である
俺は決して怖がりなどではない。むしろ真逆のタイプだ。そんな俺が怖がる程なのだから、あの悪夢がよほど恐ろしいのだ。
「お前は見てないからそんな事が言えるんだよ」
「も~、怒るなよ慶太ぁ。……あっ! 100万再生記念に、今から飲み行こうぜ!?」
「…………。お前の奢りならな」
「勿論、俺が奢るって!」
俺の肩に腕を回しながらニッコリと微笑む輝を見て、それにつられて笑みを零した俺は交差点で足を止めるとビクリと肩を揺らした。
そんな俺の様子に気付いた輝は、俺の顔を覗くと口を開いた。
「……慶太、どーした?」
カタカタと震える右手を前方へと伸ばした俺は、信号待ちで混雑する人混みの中を指差した。道路を挟んで向こう側に見えるのは、夢の中で見たあの女性と全く同じ姿をした女性。
まるで信じられないものでも見るかのような表情で硬直した俺は、隣にいる輝に向けて小さな声を絞り出した。
「そこに、いる……」
「え? ……何が?」
そう言って俺の指先を辿った輝は、小さく首を捻るとその視線を俺へと戻した。
「いるって、何が?」
「……っ! いるだろ! 血だらけの女がっ!」
「……いや、そんな人いないよ」
青へと切り替わった信号で人の波に押し出されると、血だらけの女性を見失った俺は半狂乱になって叫んだ。
「嘘つくなよっ! あそこにいただろっ!?」
「ちょっ……、慶太どうしたんだよ!?」
輝の手を振り解くと、血眼になってあの女性の姿を探す。けれど、一度見失った女性の姿を見つけ出すことはできない。
「きっと疲れてるんだよ。今日はもう、帰って休めよ」
そう言った輝に見送られて自宅へと帰ってきた俺は、その日は日課であった再生回数の確認をすることもなく眠りについたのだった。
──────
────
その日もやはり、俺は例によってあのトンネルの前へと来ていた。
確かに俺へと近付いて来ている女性の姿に、夢の中の俺は恐怖に震え上がった。今すぐこの場から逃げ出したいのに、地面に張り付いた足は一歩も動かすことができない。
「──!?」
微かに聞こえてきたその音に目を凝らして見てみると、距離が近付いたことで見えてきた、血だらけの女性の口元が動いている姿。
あれは、あの女性の声なのだ──。
そう理解した瞬間に夢から覚めた俺は、ガタガタと震える身体を抱えてベッドの上で丸まった。
「いやだ……。いやだ……っ」
何を言っているのかまでは理解できなかったが、分かりたくもない。俺は本能的にそう思った。
その日を境に、夢と現実のどちらにも現れるようになった女性。悪夢に
それに気付いた時は、ただただ恐怖した。
(このまま俺の目の前まで来てしまったら……その時、俺は一体どうなるんだ……っ?)
そんな不安に駆られた俺は、ここ2日ほどひたすら睡魔と闘っていた。
あの夢さえ見なければ、現実の世界に女性が姿を表すこともない。とはいえ、睡魔に抗うのは中々難しい。
「── !」
危うく閉じかけた瞼を懸命にこじ開けると、眠気覚ましでもしようと久しぶりにパソコンを開いてみる。あれほど気にしていた再生回数も、ここ5日程全く見ていなかった。
「──900万!? フォロワーが……っ、10万人も増えてる!?」
あり得ない数字に驚愕しつつも、今のこの状況を考えると心から喜ぶことはできない。
カーソルを動かしながらコメントを流し見ていた俺は、あるコメントに目を止めるとピタリと固まった。
『助けてください……。この動画を見てから毎日同じ夢を見ます。トンネルの中に血を流した女性が立っている夢です。それが、段々と私に近付いてくるんです』
震える右手でゆっくりとカーソルを動かしてみると、所々に同じようなコメントが投稿されている。
「俺の夢と……、同じ……?」
ポツリと小さく声を漏らしたその時、輝からの着信が入り俺は通話ボタンを押すと携帯を耳にあてた。
『──もしもし慶太? ここ最近学校来てないけど大丈夫か?』
「ああ……」
『覇気のない声だな、ちゃんと飯食ってるのか?』
そんな会話を交わしながらも眠い瞼を懸命に擦る。
『今からさ、飲み行かね? この間祝えなかったからさ、キャバクラでも行こうぜっ! 金なら俺が出すし!』
「いや、外は……」
『なんだよ、つれないなぁ』
普段なら迷いなく飛びつくその誘いも、今の俺からしてみれば拷問でしかない。ただでさえ眠気を我慢しているというのに、酒など飲んでしまえば確実に眠ってしまう。
『じゃあさ、い──』
「……? もしもし、輝?」
どうやら電波の悪い場所にでも入ったのか、突然切れてしまった通話。
「眠い……」
切れてしまった携帯を見つめながらポツリと呟いた俺は、もう一度パソコンを見ようと眠い瞼を擦った。
「──え?」
顔を上げると目の前に見えたのはあのトンネルで、いつの間に眠ってしまったのかと考えながらもガタガタと震える。決して近付きたくなどないのに、自分の意思とは別にトンネルへと歩み寄ってしまう俺の身体。
だが、今日はいつもと少し違っていた。
──あの女性の姿が、どこにも見当たらないのだ。
「いな……っ、い……」
そう安堵の声を漏らした、次の瞬間──。
突然目の前に現れた血だらけの女性は、俺に向かって恐ろしい顔を見せると奇声を発した。
『────!』
──────
────
◆◆◆
『本日昼過ぎ。異臭がするとの通報から室内を調べてみると、死後3日程とみられる男性の変死体が発見されました。──亡くなられた男性は、この部屋に住む村田慶太さん21歳とみられ、そのご遺体は不可解な点が多く、警察では事件とみて捜査をしている模様です』
携帯に映し出されている映像を眺めながら、私は隣にいる綾香に話しかけた。
「これってさ、K-TAだよね? 私あの動画見たんだけどさ、超怖かったぁ」
「あ、それ私も見たよ。あれさ……幽霊映ってたよね」
「え? 私には何も見えなかったけど……」
「あの動画見てから毎日同じ夢見るんだよね……。血だらけの女の人が、段々と私に近付いてくる夢。なんか怖くて……」
「でも夢でしょ? 大丈夫だって」
「そうかなぁ……」
「もしかして、綾香って意外とビビり?」
「そんなことな──」
突然立ち止まった綾香の顔を覗き込むと、私は小さく首を傾げながら口を開いた。
「どうしたの?」
顔面蒼白の綾香は、前方を指差すと震える口元から小さな声を上げた。
「そこに、いる……」
──完──