後日、アイリは城内の医療・診察室にて、健康診断を受けた。
一通りの検査を終えて、アイリは女性医師と向かい合って座り、診断結果を聞く。
「それでは、検査の結果をご報告します」
神妙な面持ちで語り始める医師に対して、アイリは緊張せずに軽く構えていた。
おそらく体には何も問題ないんだろうと、感覚で確信していた。
……だが。
「アイリ様。落ち着いて聞いて下さい」
そう医師が前置きをした事で、アイリの確信が不安に変わる。
え?これって、何か重要な問題が見付かった時に言われる前置きなのでは……?
まさか、本当に体に病気が見付かったのだろうか。
「アイリ様の体内に、ディア様の魔力反応が確認されました」
医師のその言葉を聞いた瞬間は、アイリにはその意味が理解できなかった。
だが、医師がその続きを言い淀んでいる間に、少しずつ気付き始めた。
「え……そ、それって、まさか……」
絞り出すように出されたアイリの声は震えている。
悪魔にとって、体内に他人の魔力を宿す事の意味は限られている。
それは、その相手との子を胎内に宿すこと。つまり『懐妊』。
魔力とは、遺伝子を示すDNAのようなもの。それは確実にディアとの血の繋がりを証明する。
アイリが衝撃に言葉を失っていると、気を遣ってなのか、医師が遠回しに話を続ける。
「……最近、ディア様と何か親密な事をされましたでしょうか?」
その質問は、もはや尋問。その答えを口に出せないアイリを追い詰めていく。
……身に覚えが、ありすぎるからだ。
(……あの時の、添い寝!?え、でも、あれって……まさか……)
グルグルと高速回転し始めたアイリの思考の中で、あの時の添い寝を思い出してみる。
あの日、確かにディアと一緒のベッドで寝たが、アイリはすぐに眠ってしまった。
可能性があるとすれば、その後しかない。
(まさかディア……私が眠っている間に……!?)
いや、さすがに、それは……でも、もし魔法で眠りを深くさせられていたら?
しかも、今は魔獣が活発になる『春』だ。つまり繁殖期。
……ありえる。
ディアとの、ただ一度の添い寝で、そんな事が……。
顔は驚きながらも、感情としては困るのか、嬉しいのか。話が飛躍しすぎて、もう訳が分からない。
アイリの混乱を察した医師は、控えめながらも、さらに何かを告げようとする。
「アイリ様、それで……」
「うん、分かった、もういいよ。この事は、まだ誰にも言わないで。ごめんなさい、ちょっと一人になりたい……」
「……分かりました。この件は内密にしておきます」
アイリは椅子から立ち上がると、フラフラと不安定な足取りで診察室を出て行く。
自室に入ると、アイリは脱力してキングサイズのベッドに倒れこむ。
仰向けになって天井を見つめながら、はぁ、と大きく息を吐いた。
(私……懐妊したんだ……ディアとの子……)
次の瞬間、ハッと何かに気付いたアイリは、脳内で計算を始めた。
今は、高校3年生になったばかりの春。このまま行けば……
アイリはガバっと起き上がって、どこか遠くを見つめて口走る。
「どうしよう、卒業前に産まれちゃう!?」
だからと言って、すぐに懐妊の事実を公表する勇気もない。
まだ恋人でもないディアに言う勇気もない。
それ以前に今のアイリは、魔法の成績を上げなければ卒業すら危うい状況。
いくつもの窮地に立たされたアイリは、決意した。
……ギリギリまで、ディアに言わない。
それまでに、ちゃんと私を好きにさせて、正式に恋人になる。
そして、ちゃんと卒業もする。
(でも、魔法の不調が、懐妊によるものだとしたら……)
これから先は恋も勉強も、さらに困難な道を行く事は避けられない。
ディアはモテる。リィフを始め、恋のライバルだって多い。
だが、このまま弱気でいては、何も解決しない。
だからこそ……
(ディアと恋人になる!子供を産む!!卒業もする!!)
人生最大の3つの決意と共に、アイリの恋の炎は燃え上がった。
本来なら、悪魔であるアイリが、魔獣であるディアと子供を成せるという確証はない。
それなのに今のアイリには、高校卒業後にディアと幸せな家庭を築いている、という未来の願望しか見えていない。
……と、そんな時に。
コンコン、コンコン!!
「ふわっ!?」
アイリの部屋の扉を外から強めにノックする音に驚いて、アイリは妙な声を上げた。
慌てて寝室を出ると、出入り口の扉の前に立って、そっと扉を開けてみる。
その先にいた人物とは……
「アイリ様、失礼致しました。何度もノックしたのですが……」
何も知らずに深刻そうな顔をしてアイリの部屋を訪れた彼こそ、ディアだ。
なんというタイミングだろうか。
ディアは何度もアイリの部屋の扉をノックしていたらしいが、全然気付かなかった。
今、どんな顔をしてディアと向かい合えばいいのか分からない。
「あ、うん、ごめんね。どうしたの?あっ、とりあえず入って」
ぎこちない笑顔をしながら、アイリはディアを自室へと招き入れた。
アイリが生まれた時から同じ城で暮らす二人は家族同然なので、なんの抵抗もない。
フワフワのピンクの高級絨毯の上に置かれたローテーブルに、二人は向かい合って座る。
ディアは相変わらず深刻そうな顔をしている。
「えっと、ディア、どうしたの?」
「健康診断の事です。結果は、どうだったでしょうか」
「あっ!そ、そっか、それね、その事ね!あー……」
ディアは、アイリの健康診断の結果を心配して来てくれたのだ。
それなのに、アイリは目も口も泳ぎまくっていて、まともな声が出せない。
……私、懐妊したの。
……ディアの子を、身籠ったの。
(なんて、言える訳ないよぉっ……!!)
アイリは口だけをパクパクさせながらも、なんとか心の叫びを封じこめた。
このディアの様子だと、あの日の夜は魔獣の本能が目覚めて自我を失った為に、記憶にないのかもしれない。
話してしまえば、真面目なディアは責任を取ろうとするに違いない。
でも、そんな形で結婚を急がせたくはない。
結婚するなら、ちゃんと両思いになってからの方がいい。
「えっと、ぜんっぜん、何ともなかった!健康だったよ……」
「そうですか……」
嘘をついてしまった罪悪感で語尾が沈むアイリと、それを聞いて沈んだ顔つきになるディア。
健康問題がないという事は、アイリの魔法の不調は原因不明という事になる。
こうなると、やはりアイリの心の問題としか言いようがない。
「アイリ様っ……!!」
「え……ふぇっ!?」
ディアが突然、身を乗り出して、テーブルの上に置いたアイリの片手を両手でぎゅうっと握りしめた。
瞬時に顔を真っ赤にしたアイリに向けられるディアの眼差しは、真剣そのもの。
「魔力の乱れは、心の乱れです。お悩み事があるなら、ご相談下さい」
(だから、それが言えないんだってばぁ〜〜!!)
アイリを乱している原因は、間違いなくディアなのだから。
心の叫びとは裏腹に、アイリの口からはディアに対する想いだけが溢れ出していく。
「……ディア、好き……大好きぃ……」
こんなに優しくて、真剣に向かい合ってくれて、いつも側にいてくれて。
そんなディアが愛しくて愛しくて、たまらない。
ディアを愛せば愛すほど、恋がアイリを狂わしていく。
「はい。ありがとうございます」
それなのにディアは、その愛を受け取りはするが、返しはしない。
『好きです』と、言い返してはくれない。
行き場を失った一方通行の切ない恋が、全ての原因なのだと……気付いてはくれない。