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第2話『アイリの不調と、ディアの心配』

アイリは今日も補習を受けるため、放課後の『魔法室』の引き戸を開ける。

『魔法室』とは魔法の授業を行うための教室で、雰囲気は『理科室』に近い。

しかし教室に足を踏み入れた瞬間、いつもと違う様子にアイリは驚きとどまる。

いつもなら、まだ誰もいないはずの教室の真ん中の席に、誰かが座っている。

金髪のショートボブで、悪魔特有の褐色肌の少女。見た目はギャルっぽい。

その少女はアイリの方を向くと、明るく笑いかけてきた。


「こんにちは!今日は一緒に補習、よろしゅう頼んます!」


思わず苦笑いを返してしまったアイリの、心の第一声は……


(え……誰!?)


同じ制服を着ているから生徒なのは分かるが、見覚えがない。

それに悪魔なのに異世界の方言を使うのか、馴染みのない口調に少し引いてしまった。

気弱なアイリはビクビクしながら、その少女の隣の席に着席した。

どうやら今日は、彼女も一緒に補習を受けるようだ。


「ウチはリィフって言います!アイリ様とはクラスがちゃいますから、初めまして、やね!」


補習の割には、やたら元気でテンションが高い。

この学校は中学までは1クラスしかなかったが、高等部からは新規入学生も受け入れて、クラスが複数ある。

アイリは王女なので誰からも認識されるが、アイリは他のクラスの生徒まで把握できない。


「あ、よろしくね……。あと、敬語じゃなくてもいいよ……」

「さよか?ほな、ウチのことは、リィフちゃんって呼んでな!」


人懐っこい笑顔で話しかけてくる活発そうなリィフは、大人しいアイリの性格とは正反対。

そのせいか、なかなかアイリは、そのノリに乗り切れない。

それよりも、アイリの中では別の何かの感情がモヤモヤと渦巻いていた。


(ディアと二人きりの補習の時間だったのに……)


今まで、補習を受けなければならないほどの赤点を取る生徒が、アイリ以外にいなかったという事だ。

それはそれで不名誉なのだが、アイリはディアを独占できる補習の時間が好きだった。

そんな心を知らないリィフは隣のアイリに体を寄せて、急に小声で話しかけてきた。


「アイリ様は、ディア先生と付き合ぉてんの?」


突然のリィフの質問は、あまりにも単刀直入。

アイリが一番、返答に困る核心に迫り突き刺してくる、言葉の刃。


「……え、う、ううん……」


アイリの口から、この否定の一言を出させるというのは、どれだけ酷な事か。

こういう時、ディアとは恋人どうしなのだと断言できる仲だったら良いのに、と思う。

だがリィフはアイリを問い詰めたいのではなく、単にサバサバしているだけなのだ。

アイリの返事を聞いたリィフは、なぜかニーッと大げさに口角を上げて笑顔を作る。


「さよか。ほな、ウチのこと、応援してくれる?」

「え?応援……?」


応援とは、どういう意味なんだろう?

急に思考が回り出したアイリは、その言葉の意味とリィフの笑顔に不安を感じ始めた。

もしかして、リィフちゃんは、ディアのことが……?

……ありえる。優しくてイケメンなディアは当然、校内でもモテるからだ。

アイリがリィフの真意を聞き出すよりも先に、教卓側の引き戸が開いた。

入ってきたのは、今日も軍服スーツが素敵なイケメン魔法教師のディア。


「それでは補習を始めます。今日はアイリ様とリィフさんの二人ですね」


クールなディアは教壇に立つと、いつも通りに授業を開始する。

今日も先日に続き、『氷』の魔法の復習を行う。

だがアイリは、リィフの発言の事が気になって、常に上の空だった。

そのせいか、いつも以上に魔法の調子が悪い。

リィフは逆に、簡単に課題をクリアしてしまった。


「リィフさん、よく出来ましたね。その感覚を忘れないで下さい」


ディアがリィフに褒め言葉を言うと、アイリの胸は痛く苦しくなる。

どうしてこんな気持ちになるのか、アイリには分からない。


ビキッ!!パリン!!


アイリが両手で持つビーカーが音を立てて破裂してガラスが弾け飛んだ。

氷の魔法が失敗したのである。

その音に反応して、ディアが素早くアイリの机の前に立つ。


「アイリ様!?お怪我はありませんか!?」

「ディア……ごめんなさい」


アイリの手を取って心配してくるディアに、アイリは涙目で謝る。

……どうして、こんな簡単な魔法も出来なくなってしまったのだろう?

ディアも、リィフちゃんも。誰かが悪い訳ではない。

悪いのは、理由もなくモヤモヤと不快な気持ちに陥ってる自分なのだと、アイリは自分を責めた。

大好きだった補習の時間が、こんなに辛く感じるなんて……。


「アイリ様、どんまい!」


リィフは屈託のない笑顔でアイリを励ますが、それは逆効果。

アイリは作り笑いしか返せなかった。



いつの間にか夕方過ぎになり、ここで補習は終わった。

アイリが机の上を片付けていると、隣のリィフが話しかけてきた。


「アイリ様は、ディア先生に乗って帰るんやろ?ええなぁ〜」


アイリが、魔獣の姿のディアの背に乗って登下校する様子は、この学校では周知。

今や名物のような扱いになっていた。


「うん。えっと……リィフちゃんの家は、どこなの?」

「ウチの家は城下町にあるんや」

「城下町なんだ。私のお城から近いね」


アイリの言う『私のお城』とは、アイリの自宅である『魔王の城』の事を指す。


「商店街に魔道具屋があるやろ?あれがウチの実家やねん」

「えっ、あぁ、あのお店の娘さんなんだね……!」


アイリにとって城下町は地元の商店街の感覚なので、ほぼ全ての店を把握している。

ここで、帰り支度を済ませたディアが、二人の会話に割り込んできた。


「外はもう薄暗いですから、リィフさんも一緒に帰りましょう」

「えっ!?ウチもディア先生の背に乗ってええんですか!?」


アイリは咄嗟に机の上に視線を移して、なぜか浮かない顔をしている。


「はい。リィフさんの家までお送りします」

「やったぁ!ありがとうございます!めっちゃ嬉しい、感激〜〜!」


大げさなリィフの喜びようを横目で見たアイリは、顔を伏せて唇を噛み締めた。

……まただ。また、変な感じがする。

ディアに他意はなく、誰にでも優しいのは分かってる。

城下町なら帰り道の『ついで』に寄れるから、何の負担もない事だって分かる。

分からないのは……ディアがリィフに優しくする度に感じる、この不快な心のモヤモヤ。


そうして3人は一緒に昇降口を出て、薄暗い校庭の真ん中まで歩く。

そこで立ち止まり、ディアが魔獣の姿に変身する。

コウモリの羽根を持つ、巨大な黒い魔犬の姿を間近で見たリィフは感激の声を上げる。


「うわ〜!めっちゃカッコええ!!羽根のある魔犬ってレアなんちゃう?」


ディアは魔獣の姿になると言葉が話せないので、代わりにアイリが答える。


「え?えっと……そうなのかな……?」


アイリは生まれた時からディアと一緒に暮らしているので、見慣れてしまっている。

言われてみれば、羽根のある魔犬なんて、ディア以外に見た事がない気もする。

もしかしたらディアは、希少種の魔獣なのかもしれない。



アイリとリィフを背に乗せたディアが飛行すること、約10分。

城下町の商店街の、リィフの自宅である店の近くの広場にディアは着地した。

ディアの背から降りたアイリは、目の前に堂々と建つ風格のある木造の店を見上げる。


「やっぱり、このお店だ。立派な店構えだよね」


リィフは店の前に立ち、堂々と腰に両手を当てて自慢げに笑う。


「せやろ?ご入用の際は、ぜひウチを利用したってな!お勉強するよ!」

「え?リィフちゃんの家で一緒に勉強するの?」

「あはは!アイリ様、おもろいなぁ!『お勉強する』は『お安くします』って意味やで!」

「そ、そうなんだ……」


一体どこの世界の方言なのか、アイリには意味が通じない言い回しが多くて戸惑う。

そんな、ちぐはぐな会話をする二人の後ろでは、人の姿のディアが優しい眼差しで見守っている。

店の外観を見ていたアイリは、次にショーウィンドウの中に並べて置かれている『石』に目を留めた。

形は整えてあるが光沢はなく、手のひらサイズの色とりどりの原石は神秘的な魅力がある。

呆然と石を眺めているアイリの横にリィフが立ち、解説を始める。


「そら『魔石』やで。磨いて加工したらアクセサリーにもなるんや」

「へぇ……原石なのに綺麗……」


この店は魔道具店なので、魔法に関するアイテムを取り揃えている。

魔石とは魔力を込める事ができる特殊な石で、宝石としてアクセサリーにも使われる。

他にも、魔力を込めると色が変わる布もあり、ドレスやスーツ等の衣類に使われる。

アイリは王女だがパーティー以外では着飾らないので、普段はアクセサリーを身に着けない。

初めての自分用アクセサリーは、好きな人からプレゼントされたいなぁ……と、振り返って後方のディアと目を合わせる。

ディアの口は微笑みながらも、少し眉を下げて困った顔をしている。

その反応に一瞬、アイリがショックを受けるが……


「アイリ様。お話中に申し訳ありませんが、もう日が暮れてしまいます」

「あっ!そうだよね、ごめん、ディア……!」


ディアの困り顔の意味が、帰宅時間が遅くなる事だと気付いたアイリは安堵すると同時に慌てた。


「じゃあ、リィフちゃん。私たちは、これで帰るね」

「アイリ様、ディア先生、今日はありがとうございました!ほな、さいなら!」


リィフは笑顔で片手を振ると身を翻し、店の裏口の方へと回って行った。


リィフが店の奥へと消えていくのを見届けてから、ようやくアイリはディアと向かい合う。

……ディアはまだ、なぜか少し困った顔をしている。

アイリはディアがなぜ、さっきからそんな顔ばかりしているのか分からない。


「リィフちゃんって、魔法が不得意そうには見えなかったけど、これからも一緒に補習するの?」

「……いえ。リィフさんの補習は、今日だけです」

「え?どういう事?」


補習とは、留年しそうなほどに成績が危ぶまれる者が受ける特別授業。

それなのに、リィフだけが、たった一度の補習で終わり?

そこから導き出される真実とは……

ディアは、ため息をつくと、ようやく真実と心の内を明かした。


「リィフさんは、わざとです」

「え?わざとって……まさか!?」


アイリは、ようやく気付いた。リィフが、わざとテストで手を抜いて補習を受けたという事を。

魔法の授業を担当しているディアは当然、事前に見抜いている。

だが咎める事はなく、ディアも『わざと』一度だけは補習を受けさせてあげるのだ。

しかも、魔獣の姿の背に乗せて家まで送るというサービス付きで。

アイリは思わずディアの横にくっついて、彼の片腕を抱きしめた。


「ディア、優しいね……」


だからディアはこんなに人を惹きつけるんだと。それはアイリ自身にも言える。


「そうでしょうか。甘いだけかもしれません」


その甘さという優しさに、さらにアイリの愛しい感情は増すものの、切なさも増す。

やはり、リィフはディアの事が好きで近付きたいが為に、わざと補習を受けたのだろう。

だから、アイリに自分の恋を『応援してほしい』と言ってきたのだろう。

リィフだけではない。ディアに想いを寄せる女子生徒は多く、ディアは対応に慣れているのだ。

だが、深刻な問題はそこではなかった。

それは、『わざと』ではないのに、留年しそうなほどに危ぶまれる成績を取ってしまうアイリ。

ディアは、片手に抱きついているアイリの細い腕に、そっと手を添えて返す。


「魔法の不調は心理的な要因が多いですが、体調的な要因もありえます」

「そうかな?体調は特に悪くはないけど」


アイリは自分の腕に触れられたディアの手の温もりを感じながら首を傾げた。

どちらかといえば心理的な要因な気もするのだが、アイリはそれを言い出せない。


「念のため、医師の診断を受けた方がよろしいかと思います」

「……ディアが言うなら、そうする」

「承知致しました。では、医師を手配しておきます」


アイリの魔法が不調なのは、アイリの勉強が不真面目なのではなく、ディアの教え方が悪い訳でもない。

魔法の乱れは、心身の乱れでもあり、時には不治の病。補習でどうにかなるものではない。

だからこそディアは、不調の原因が病という可能性も捨てきれずに進言した。

それほどまでに、ディアはアイリを心配していた。


……それが、アイリの『恋の病』だとは知らずに。

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