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第4話『アイリの秘密と、ディアの秘密』

朝、アイリはいつものようにディアのベッドで一人、目を覚ます。

なんだか夢を見ていたような気がするが、よく覚えていない。

昨日の夜はディアと寝る前にキスをして、それから……

寝起きなのに、今日も少し体に疲労を感じる。

その嬉しい心地よさに、アイリは思わず笑みをこぼす。


(ふふ……ディア……)


アイリは被っていた布団を丸めて、抱き枕のようにして抱きしめた。

ディアの温もりと香りが、まだ残っているような気がする。





朝食後、アイリとディアは、魔獣の保護施設へと視察に向かう。

本日の公務である。


施設は街外れの広大な敷地内にあって、周囲は高く頑丈な壁で囲まれている。

ここでは自然治癒が困難な病気や、怪我を負った野生の魔獣を一時的に保護している。

そして治療して完治した後に、野生に返すという活動をしている。

保護されるのは、巨大で凶暴な魔獣だけではない。可愛らしい猫やウサギのような小動物もいる。

アイリは、檻の中の魔獣の様子を1つ1つ確認しながら、施設の管理者の男に質問をする。


「最近は、怪我で保護される魔獣が多いの?」

「はい。銃弾や刃物による傷なので、密猟者と戦ったと思われます」

「ひどい……被害者は魔獣の方だったんだね」


アイリは怒りと哀しみの表情で瞳を潤ませながら、檻の中の魔獣たちを見つめる。

だが、ディアが見つめているのは檻の中の魔獣ではなく、アイリの横顔。

ディアには心配があった。アイリの別人格『イリア』の事だ。


(アイリ様には、イリア様であった時の記憶は、なさそうですね)


ディアは、イリアの命令に従い、イリアの存在を誰にも言えない。

イリアと同体のアイリにも言えないのだ。

いつまた、何のきっかけでイリアの人格に変わるのかは、分からない。

だが、ディアの予測が正しければ、今はイリアに変わる可能性は低い。

その時、アイリが管理者に思わぬ質問をした。


「『バードッグ』っていう魔獣は保護された事がある?」

「『バードッグ』ですか?えぇと……」


管理者の男は、懐から小さな手帳型の機械を取り出して調べた。


「見た事がないですし、記録にもありません。絶滅危惧とも言われる希少種ですから」


ディアは、その言葉に反応する。そこまで自分が希少な魔獣だという事に驚いた。

管理者は続けて、こう付け加えた。


「人の姿で街に紛れている可能性はありますが、把握は出来ていません」


全ての魔獣がディアのように、人の姿に変身できるわけではない。

魔法で人の姿を留めていられるのは、強大な魔力を持つ魔獣のみ。





数時間の視察を終えたアイリとディアは施設の門の外に出る。

薄暗い施設内から一転、午後の日差しが目に眩しい。

途端に、アイリがとクルッと回転して後方のディアの方を向いた。

その顔は、先ほどまでの深刻な表情ではなく、ニコニコと笑顔だ。


「さて、ディア。次の予定は?」

「はい。本日、午後は半休です」

「ふふっ、だよね。じゃあ〜〜」


アイリは満面の笑顔で、ディアの片腕に両腕を絡めて抱きつく。

今日の午後は半休。つまり仕事はなく、自由時間。

公務での視察だというのに、アイリが可愛らしいピンクのワンピースを着ている理由が明かされる。


「もちろんデートだよね、ね?」


仕事モードから私事モードへの切り替えが見事だ。

子供のようにして手を引くアイリにディアは笑顔を返し、いつもの口調で同意をする。


「はい。承知致しました」





二人がデートをする場所といえば、城下町だ。

魔王の城から一直線、しかも魔界で最も治安が良い。

王女と側近でありながら、いつも地元の繁華街の感覚で堂々とデートをする。

そんなデートも住民にとっては日常の風景で、二人を見ると温かい眼差しで見守る。

通りすがりの悪魔の親子が、二人の姿を見付けて笑顔になる。


「ママー、アイリ様とディア様だよ〜!」

「今日もデートなのね、微笑ましいわぁ」


アイリとディアは顔を隠すことなく、堂々と腕を組んで歩いていく。

というか、アイリがディアの腕にピッタリとくっついているのだ。

二人はそのまま繁華街にある、行きつけのお洒落なカフェに入る。


「アイリ様、ディア様、いらっしゃいませ!!」

「いらっしゃいませ!!」


店員たちともすでに馴染んでいて、驚くことなく二人を笑顔で迎える。

そして、いつものように窓際の特別席へと案内される。

テーブルに向かい合って座ると、アイリは店員に注文を伝える。


「私はコーヒーを……あっ、念のため、カフェインレスで」


それを聞いたディアは不思議に思った。


「念のためとは?体調が優れないのですか?」

「あっ!ううん、違うの!夜、眠れなくなったら困るから!!」

「まだお昼ですよ」


そう言って笑うディアだが、アイリは内心、ごまかすのに必死だ。

もし本当に懐妊してたら……と思うと、飲食にも気を遣ってしまう。

その時、ふとディアは気になる視線を感じた。

それは、アイリの背中側の席に一人で座っている女性から感じた。

見た目の年齢はディアと同じく20歳手前ほどで、深緑の長いストレートの髪。

色白の肌なので、少なくとも悪魔ではないだろう。

ディアは一瞬、その女性と目が合った気がするが、すぐにアイリの笑顔がその視界を遮った。


「ねぇ、私、このペンダントが似合う服が、もっと欲しいの」


アイリが頬を赤くしながら上目遣いで、おねだりのように言う。

常にペンダントをするようになったので、首元が見える襟の広い服を着たいのだ。

そんな心も見抜いているディアは、優しい笑顔で頷く。


「はい。お次は洋服店ですね。承知致しました」

「ふふっ、楽しみ。ディアが見立ててね」


こうして30分ほどのコーヒータイムを楽しんだ後、二人は席を立つ。

アイリは先に店の外に出て、ディアは会計をするため、レジの前で立ち止まる。

その時、ディアを追うようにして歩いてきた何者かが、ディアのすぐ背中側を通り過ぎようとした。

すれ違う瞬間、その者はディアの耳元に顔を近付け、そっと一言、囁いた。


「今夜、森でお待ちしています」


そう囁いたのは、さっきディアと目が合った、不思議な雰囲気の女性だ。

その言葉と異様な気配に、ディアがハッとなって女性の方に顔を向ける。

だが呼び止める間もなく、女性は早足で店の外に出て行ってしまった。

……見覚えのない女性だ。

不審な誘いに乗る気などない。だがディアの本能が、それを見逃す訳にはいかなかった。


ディアが店の外に出ると、何も知らないアイリが笑顔で抱きついてくる。

その純粋な笑顔を見て、ディアは何故か少しの罪悪感を感じた。


「行こう、ディア」


二人は自然と手を繋いで、そのまま繁華街の中を歩いて行く。


その後の二人は洋服店などを見て回り、存分にデートを楽しむ。

店から出る度に、購入した服や雑貨の袋が増えていくが、全てディアが持って歩く。

アイリは魔王に甘やかされて育った上に、根っからのお嬢様だ。

無欲な王妃に似て無駄遣いはしないが、本当に欲しいと思ったものは豪快に購入する。


そして、あっという間に夕方になり、二人は城へと帰った。





その日の夜、アイリはディアのベッドの上に、大の字になって倒れた。

そしてディアも、その隣に座る。


「今日は楽しかったね、これで明日も頑張れるよ」

「はい。私も楽しかったです」

「今日買った服は、次のデートの時に着るね」

「はい。楽しみにしております」


そう言うと、ディアは体を倒して、仰向けのアイリに覆いかぶさった。

二人からは笑顔が消え、真剣な眼差しに変わる。

緊張と期待で、アイリの鼓動は一瞬にして速度を上げる。


(わぁ……ディア、今日も、くるの……?)


アイリの体は少しずつ熱くなり、ディア待ちの受け入れ態勢になる。


(ディア、今日もカッコいい……好き、大好き……)


ただでさえ誰もが見とれるイケメンなのに、そんなに見つめられてしまっては……

至近距離で見つめ合った後、ようやく触れるだけの軽いキスをした。

ちゅっと、軽い音だけが聞こえた気がする。


「おやすみなさいませ、アイリ様」

「……ふぇ?……あ、うん……」


最近は、自然と『おやすみ』のキスもするようになった。

その時だけは初々しい頃に戻ったようで、二人は同時に照れてしまう。

ディアが照れるという事は……今夜は夜行性の魔獣モードではない。

さすがにデートで歩き疲れたし、今日はないかぁ……

と納得するも、アイリは少しだけ期待外れだった。


部屋の明かりを消すと、二人は寄り添いながら眠りにつく。

アイリにとって、ディアと最も密着して温もりに包まれる、心地よい癒しの時間。

それにディアは、いつもアイリが眠るまで起きて見守ってくれるのだ。


少しして、アイリが寝息を立てて眠ったのを確認すると、ディアは静かに起き上がる。

アイリを起こさないように、そっとベッドから降りる。


(アイリ様、申し訳ありません)


ディアは心で呟きながら、ベッドで眠り続けるアイリに背中を向けて歩き出す。

その時、眠っていたはずのアイリの目が突然、覚醒したかのように見開かれた。

その瞳の色は、いつもの彼女ではない。黄金色に輝いている。

ディアはアイリの異変に気付かずに、部屋の外へと出て行った。



部屋から出たディアは、薄暗い廊下の窓ガラスの1つを開けた。

窓枠に足をかけると、そのまま勢いよく外に飛び降りた。

その瞬間、ディアの体が発光し、一瞬にして巨大な黒い犬の魔獣に姿を変えた。

いや、本来の姿に戻ったのだ。

コウモリのような大きな翼を広げて、ディアは街外れの森の方角へと飛び去った。

次第に魔獣の姿は、夜の闇に溶け込むようにして空に消えていく。



森に辿り着くと、ディアは人の姿に変身する。

暗闇の森の中でも夜目が利くので、恐れる事なく奥深くへと進む。


(この気配は……)


ディアは、ある気配を感じ取っていた。

あの女性が言っていた『今夜、森でお待ちしています』という言葉。

『森』だけでは大雑把すぎて場所を特定できないが、ディアは直感で確信した。

この前、ディアが密猟者に襲われた、あの場所だ。

まだ、あの時の戦いの跡が生々しく残る場所に立った、その時。


ガサガサッ


草木が擦れる音と共に、茂みの中から1匹の魔獣がディアの前に現れた。

それは、背にコウモリの羽根を生やした……黒い犬の魔獣。

そう、この姿は……ディアと同じ魔獣、『バードッグ』だ。

ディアよりも少し小柄で、金色の瞳に理性を宿しているところから、敵意は感じられない。


「あなた……は?」


人の姿であるディアは、思わず魔獣に言葉で話しかけた。

自分と同じ種族の魔獣を見たのは初めてだからだ。

だが魔獣は言葉は理解できても、人の言葉は話せない。

すると魔獣の姿が発光して、収縮しながら人の姿を形成していく。

一瞬にしてディアの目の前には、昼間に見かけた、あの女性が立っていたのだ。

黒いドレスを纏い、白い肌に深緑の長い髪。

そしてディアと同じ、金の瞳。

見た目の年齢もディアと同じく、20歳手前くらい。

ディアは警戒することなく落ち着いた様子で、その女性に問いかける。


「あなたも、人の姿になれるのですね」


すると女性は、ディアに一礼した。


「わたくしの名は『エメラ』ですわ。自分で付けた名前ですが、そうお呼び下さいませ」


その上品な振る舞いと口調は、貴婦人を思わせる。

野生の魔獣であるなら、彼女に名前がないのは当然だ。

ディアは、魔王によって名付けられた、自身の名前を名乗る。


「私の名前はディアと申します。私に何の用でしょうか」


ディアの口調も紳士だが、これは身分や役職、ディア本来の性格からくるものではない。

魔王から『敬語を使え』と命令されているから、従っているに過ぎない。

同種族の魔獣の女性が、この場所に呼び出してきた理由は何なのだろうか。

エメラは遠回しに真意を語り始めた。


「ずっと、貴方様を探しておりましたの。ようやく見付けたと思ったら、密猟者と戦っておられましたので」


ディアが密猟者に襲われたあの日、エメラは、その現場を目撃していたのだ。

だが、エメラの金色の瞳が、スッと黒い闇を纏ったように鈍く光った。


「わたくしが、始末致しましたわ」

「なっ……!?」


ディアが、その言葉に驚愕する。

あの時、密猟者を瀕死の重傷にまで追い込んだのは、自我を失くした自分の仕業だと思っていた。

だが、エメラの言う事が真実であるなら……


「あなたが密猟者を攻撃したのですか!?」

「その通りですわ。あれでも手加減致しましたけれども」


だが、それでもディアは罪悪感が拭えないし、エメラを責める事もできない。

エメラがやらなければ、自分も同じ事をしていたであろうから。


「ディア様。お怪我は完治されたようで、何よりですわ」

「……あなたの目的は何ですか?」


ディアは無感情で問いかける。

エメラは妖艶に微笑むと、ディアのすぐ目の前まで歩み寄る。

そして……ディアに抱きついた。



「わたくしと、結婚して下さい」





エメラとの密会の後、時刻は深夜。

ディアは城に戻ると、自室のドアを静かに開ける。

常夜灯のみの薄暗い部屋の中で、ベッドに座っているアイリの姿が見えた。

一瞬、ディアの動きが止まる。

真正面から向かい合い、真直ぐディアを見据えるアイリの瞳は……黄金色だ。

アイリでは、ない。


「イリア様……ですか?」


目の前のアイリは、別人格の『イリア』になっていた。

ディアが確認するように問いかけると、イリアは腰を上げた。

先ほどのエメラのように、妖艶な微笑みを浮かべながら。


「お帰り、ディア」


一言だけ返すと、イリアはディアに抱きついた。

ディアは驚きながらも、イリアを抱き返す。

だが、イリアの、その表情は……


「コソコソと、どこ行ってたの?女と会ってたの?答えなさい」


それは射抜くような視線で、ディアを問い詰めるものだった。

ディアは、イリアの命令を拒めない。


「……はい。女性とお会いしておりました……」


嘘はつけない。本当の事を口にするしかないのだ。

それが契約であり、忠誠なのだから。

だがイリアは、それを聞いても落ち着いていて、堂々とした立ち姿で腕を組む。


「ふーん。ディアがモテるのは当然よね。何言われたの?」

「求婚、されました……」


その衝撃的な言葉を聞いた瞬間、イリアの金色の瞳がさらに開かれる。


「当然、断ったのよね?」

「はい。お断り致しました」


ディアの言葉に偽りはない。疑いはしないが、イリアの感情は抑えられない。

イリアはディアの首の後ろに両腕を回して、ディアの頭を引き寄せた。

そして、耳元で囁く。


「浮気したら、許さないから」


それは呪いのような、悪魔の囁き。

脳内に直接響くような重い声で、魂まで震え上がらせるような言霊。

そのまま、グッと両腕に力を入れて、ディアごとベッドに倒れ込んだ。


「ディアは、アタシだけを愛しなさい」


二人の、金の瞳が距離を縮めていく。


「私が愛しておりますのは……」


イリア様ではなく、アイリ様なのだと……

そう言いかけたディアの口を塞ぐように、イリアが深く口付けた。

その甘い感触に、意識が引き込まれそうになる。

それを引き金に、魔獣の本能が呼び起こされてしまう。

ようやく離れると、呆然とするディアに、今度は子供のように無邪気に笑いかける。


「ふふ、アタシが調教してあげる」


イリアは楽しそうにしてディアに覆いかぶさると、ディアのシャツの前ボタンを上から順に外していく。

そして次に、イリアは自分のパジャマのボタンを上から外していく。

イリアの胸元からペンダントが垂れ下がり、ディアの視界で振り子のように揺れ動く。

ディアは無言で、その様子を見つめていたが……


「おいで、ディア」


深夜の暗闇の中で、ディアは何かが覚醒されてしまう感覚を覚えた。

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