目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第2話『アイリの異変と、ディアの苦悩』

その日の夜、ディアは一人で城下町周辺の森へと視察に出かけた。

魔獣の多くは夜行性で、夜に活動が活発化し、森の中を徘徊するからだ。

アイリはパジャマに着替えてから、誰もいないディアの部屋に入る。

そして、ベッドの上に仰向けで寝転がる。

ディアのいないベッドは、何だか広くて寂しく感じる。


(ディア、大丈夫かなぁ……大丈夫だよね、最強の魔獣だもん)


天井を見つめて不安げに瞳を揺らしながら、アイリは指先で胸元のペンダントの宝石に触れた。

その瞬間。


『そんなに心配なら、行けばいいじゃない?』


アイリの耳……いや脳内に直接、誰かの声が響いた。


「えっ!?誰!?」


アイリは驚いて起き上がって部屋を見回すが、誰もいない。

しかし今、確かに声が聞こえた。少女のような……幼い声だった。


(なんだろう……怖い……)


胸騒ぎを感じたアイリは、ベッドの上でペンダントを両手で握りしめる。

そのまま、祈るようにしてディアの帰りを待った。

赤い宝石はアイリの手の中で僅かに光り、鼓動のように明滅を繰り返していた。





その頃のディアは『人の姿』のまま、森の奥深くまで来ていた。

夜の暗い森の中でも、魔獣であるディアは夜目が利く。

小動物のような魔獣たちはディアを見ただけで、その気配に慄いて逃げ去っていく。

人の姿であっても、やはりディアは最強の魔獣なのだ。


(別段、魔獣たちに変わった様子は、なさそうですが……)


ディアが、心で呟いた瞬間。


パッ!!


まるで暗転した舞台の上で突然、スポットライトで照らされたかのように、眩しい光が照射される。

一瞬、目が眩んだディアは、周囲の状況を把握できない。

だが、1つだけは確実に感じ取れた。


(殺気……!!)


ディアの本能は、心よりも先に体が警戒態勢を取ろうとするが、次の瞬間。


バァン!!


重い銃声が森に鳴り響く。

どこからか放たれた弾丸は、ディアの胸を目掛けていく。

瞬時にディアは反応して動くが、完全には避けきれなかった。


「ぐっ……!!」


それはディアの左腕を掠めて、少量の赤い血飛沫を散らした。

痛みも気にせずにディアが周囲を見回すと、3人の男に囲まれている事に気付く。

すると、男たちが次々と口を開く。


「人の姿をしているが、コイツは魔獣だぞ!!」


次に小さな機械を手に持った男が、それを見て歓喜とも言える声を上げる。


「やったぞ、この生体反応は希少種の『バードッグ』だ!!」

「異世界で高く売り飛ばせるヤツだな!!確実に仕留めろ!!」


その男たちの言葉を冷静に分析して、ディアは状況を理解し始めた。

この者たちは、魔獣の希少種を狙う密猟者だ。

ディアが魔王の側近だと気付かない所を見ると、異世界か遠方から来たのだろう。

装備から見て、手練れのプロだと思われる。3人相手では分が悪い。

ディアは、一瞬にして野生を宿した金色の瞳を鈍く光らせて、相手を睨んだ。


「森を荒らし、魔獣を狩る行為……断じて許しません」


ディアは静かに怒りを込めると、懐から小型の拳銃を取り出した。

これは弾丸の代わりに、魔力そのものを込めて撃つ武器。

しばらく銃撃戦を続けるが、拳銃では猟銃に太刀打ちできない。

男の一人が、仲間に向かって叫ぶ。


「ヤツの魔力が落ちてきたぞ、一気に狙え!!」


ディアは拳銃を撃てば撃つほど、魔力を消耗していく。

弾丸ではなく、魔力そのものを放出しているからだ。

長期戦になれば、確実にディアの方が撃たれてしまう。


(くっ……魔獣の姿になれば……!!)


ディアは歯噛みする。魔獣の姿に戻れば、簡単に勝てるからだ。

しかし密猟者を前にして感情が昂り、魔力が尽きかけている今、魔獣の姿に戻ったら……

魔獣の本能を制御できずに自我を失って、この密猟者たちを喰い殺してしまうかもしれない。

魔獣となったディアを制御できるのは、彼が『契約』によって忠誠を誓った、魔界の王族のみ。


(アイリ……様……)


すでに何発かの銃弾がディアに命中し、致命傷には至らないものの、かなり負傷していた。

考えている余裕など、ない。

だが先に、ディアの魔力に限界がきていた。


「うぁぁぁああ!!」


ディアが咆哮とも言える叫び声を上げると同時に、彼の体が発光する。

その光が膨張し収まると、そこにはコウモリの羽根を持つ、巨大な魔犬が佇んでいた。

ディアの、本当の姿である。


魔獣であるディアは変身魔法によって、人の姿を留めているに過ぎない。

いや正確には、凶暴な魔獣の姿と本性を、魔法によって『封印』しているのだ。

当然、魔力が尽きれば、魔法も封印も解けてしまう。


3人の男たちは戦慄した。初めて見る、『最強の魔獣』の姿に。


「コ、コイツが、『バードッグ』……」

「初めて、見た……」

「や、やべえ……」


5メートルはある巨体、黒い毛並み、鋭い牙、鋭利な爪、理性を感じさせない、魔性の眼。

自我を失った魔獣・ディアの眼は、本能のまま、男たちに狙いを定めた。





アイリは、ディアのベッドで目を覚ました。

朝になっていて、カーテンの外は明るい。

いつの間に眠ってしまったのか、今日も記憶が曖昧だ。

隣には誰もいない。そのせいか、少し肌寒さを感じる。

ディアが帰ってくるまで起きていたかったのに……と思いながら、ベッドから降りる。

すると、


バァン!!


ノックもなしに突然、乱暴に出入り口の扉が開かれる。


「アイリ、起きたか!?大変だぞ!!」


入って来たのは、兄であり、代理魔王のコランだ。

アイリは驚いて思わず叫ぶ。


「お兄ちゃん、女の子の部屋なんだから、ノックくらいして〜!!」

「え?なんだよ、ここ、ディアの部屋だろ?」

「あ……」


アイリは笑いながら恥ずかしそうに舌を出した。

だが、コランは深刻な顔をしていて、いつもの明るさがない。


「それで、何が大変なの?」

「あぁ……ディアが……」

「え?」


ディアが、昨日の夜から帰ってきていない。

それを聞いたアイリは昨日の胸騒ぎもあって、不安に体を震わせた。


「ど、どうしよう、お兄ちゃん……ディア、何かあったんじゃ……」


コランは、今にも泣きそうなアイリの両肩を掴んで言い聞かせる。


「きっと大丈夫だ。念の為、捜索隊を出すから、アイリは大人しく待ってろ」

「や、やだ……私も探しに行く……」

「森は危険な状況かもしれないだろ。任せておけば大丈夫だって、な?」


いつものように明るく振る舞うコランだが、心配な気持ちはアイリと同じ。

だが、仮にも今は魔王なのだ。その意識がコランを強く気丈にさせる。

その時、アイリの意識の中で、再び『あの声』が聞こえる。


『だ〜か〜ら、心配なら、行けばいいのに』


見下すような少女の声、口調。それが誰なのかは、分からない。


(誰?この声、誰なの……?……ディア……帰ってきて、ディア……)


視界がグルグルと回り出し、変な不快感に襲われる。

急に目眩を起こしたアイリは、フラフラと身体を揺らし、そのまま床に倒れてしまった。


「おい!!アイリ!?大丈夫か!?誰か!!医者を呼んでくれ!!」


アイリの薄れていく視界と意識の中で……

廊下に飛び出して叫ぶコランの大声だけが微かに響いた。





数時間後、アイリは自室のベッドで目を覚ました。

ふと顔を横に向けると、悪魔の女性の医師が付き添ってくれている。


「アイリ様。ご気分はいかがですか?」

「う……ん……大丈夫……」


目眩や不快感は治っていて、呼吸も穏やかだ。

しばらく間を置いた後、医師が静かに話を始める。


「アイリ様のお体を診させて頂きました」

「うん……」

「どうか、落ち着いてお聞き下さい」

「うん……」


アイリは窓の外を眺めながら、どこか上の空で同じ相槌を繰り返していた。

そして、医師が打ち明けたのは衝撃的な真実だった。


「アイリ様の中には、もう1つの命が宿っております」


「うん…………え?」


衝撃で一気に意識が覚醒したアイリは、勢いよく上半身で起き上がった。

ハッとして、思わず自分の腹部を両手で触れる。


「そ、それって、もしかして……え、え!?」

「はい。お察しの通りです」

「も、もちろん、ディアとの……だよね?」

「はい。間違いなく、ディア様の魔力を宿した生命です」


嬉しさよりも、信じられない、まさか……という思いの方が強かった。

愛しい人が隣にいない今、なぜこんな時に、という歯痒さも感じる。

だが、医師は喜ぶどころか祝いの言葉も口にせず、浮かない顔をしている。

何か、とても言い辛そうにして、ようやく話を続けた。


「その、ここからが問題なのですが」

「……え?何が?」

「確かに、アイリ様の中に生命反応が認められます。ですが……」


ひと呼吸置いてから、医師は思い切って打ち明ける。


「どこにも、実体が、ないのです」


アイリは、それが何を意味するのか、全く理解できない。

混乱どころか、頭が真っ白になる。


生命反応はあるのに、どこにも、いない……?

赤ちゃんの姿が、ない……?

え?だって普通は、お腹の中に宿るものでは……?


アイリは脳内で自問自答を繰り返すが、確かな答えは出ない。


「魔界の医学でも前例のない事で困惑しております。今は経過を見るしかありません」


そんな医師の言葉は、すでにアイリには聞こえていない。

果たしてこれは、本当に『懐妊』なのだろうか……?


医師はアイリに配慮して、この事実をアイリにしか伝えなかった。

そしてアイリもまた、この事実は、まだ秘密にしておこうと思った。





夕方頃になり、アイリは魔王の執務室へと入る。

すると魔王の机に座るコランと、横に立つ側近のレイトが、同時にアイリの方を向いた。


「アイリ、大丈夫なのか!?」

「王女、無理しない方がいいよ」


コランとレイトに心配されて、アイリは力なく微笑み返す。


「ありがとう、大丈夫。私も、しっかりしなくちゃ」


その時、コランの机の上の電話機が着信音を鳴らした。

受話器を持ち上げてからコランは1回、咳払いをする。


「コホン。あー、こちら、魔王コランだ!」


偉そうに魔王を名乗るコランの態度に、アイリとレイトは同時に吹き出してしまう。

コランに連絡をしてきた相手は、ディアを捜しに森へと向かった捜索隊の一人。

次の瞬間。その電話の内容が、状況を一変させる。


「え!?ディアが見付かったのか!?」


ハッとして、アイリはコランを見て、その会話の続きを待つ。


「中庭に運んだ!?分かった、すぐ行く!」


そう言うと、コランは乱暴に受話器を置いた。

アイリは咄嗟に駆け出し、窓から外を見下ろして中庭の様子を見る。

すると、中庭でうずくまっている、漆黒の毛並みの魔獣の巨体が見えた。

ディアは魔獣の姿のまま、ここまで運ばれたようだ。


「ディアっ!!」


アイリは窓から叫ぶと、コランよりも先に執務室から飛び出して、中庭へと向かった。



中庭に辿り着くと、アイリは魔獣の姿のディアの元へと駆け寄る。

だが、ディアは意識がないようだ。所々出血していて、重傷を負っている。


「そんな、ディア、なんで……」


アイリが愕然としていると、捜索隊の悪魔の男がアイリに報告する。


「応急処置はしました。ですが魔力が尽きていて、人の姿になれなかったようです」


本来なら巨体の魔獣よりも『人の姿』のディアの方が運びやすいし、治療もしやすい。

しかしディアの姿を変える魔法を使えるのは、不在の魔王オランと、アイリだけだ。

兄のコランは魔力の覚醒が遅かったので、高度な魔法はまだ習得していない。

アイリはディアの毛並みに両手を添えると、深呼吸をして目を閉じた。


(ディア……人の姿になって……)


アイリが念じると、その両手から光が溢れ出し、ディアの全身を包み込む。

その光は収縮していき、それが収まると、そこには人の姿のディアが倒れていた。

アイリの魔法によって、ディアは人の姿に変身したのだ。

しかしディアの体は無数の弾丸の跡により出血し、かえって痛々しく見える。


「ディア……」

「アイリ様、後はお任せ下さい!」


そこへ救急隊が到着し、気を失ったディアを担架に乗せて医療室へと運ぶ。

アイリが目を潤ませながら見送っていると、捜索隊の男がさらに報告をする。


「森で倒れていたディア様の近くには、3人の密猟者も倒れていました。彼らも重傷です」

「密猟者……それでディアが襲われたんだ……」


ディアの事だから、ギリギリまで魔獣に戻らずに戦って耐えたのだろう。

ディアを信じきっているアイリは、それがディアの罪だとは一切思わなかった。





ディアの自己回復能力は凄まじく、数日後には通常業務に戻れるほどになった。

やはり、最強の魔獣だからだろう。

体の傷よりも、心の傷が深かったのかもしれない。

森での一件から、ディアは何か深く思い悩んでいるように感じられた。




その日も執務室では、コランがレイトに注意を受けながらも仕事と奮闘している。

少し離れた机にアイリは座り、ディアが森での件を報告する。


「森での視察の件のご報告を致します」

「……うん」


ディアは淡々としているが、その言葉と表情に、どこか暗い影を感じる。

アイリは手元の報告書に視線を落としながら、ディアの言葉を聞く。


「野生の魔獣が凶暴化している原因は、外部から来た密猟者への警戒からです」

「それなら魔獣は悪くないよね。魔界への入国審査を厳重にしてもらおう」

「はい。それと……」


そこで急にディアが言い淀んだので、アイリは顔を上げて彼を見つめる。


「森で発見された、重傷の密猟者3人は入院させて回復を待った後、魔界で裁かれます」

「うん、当然だよね……」


そこで報告は終わるかと思ったが、ディアがさらに言葉を続ける。


「密猟者の負傷は……魔獣の攻撃によるもの、です……」


あまりにも辛く苦しそうに言葉を吐くディアを見て、その続きが予想できる。


「おそらく、私……が……」

「ディアッ!!」


アイリにしては珍しく大声を上げた。

その声に驚いて、離れた席にいるコランとレイトが同時にアイリの方を見る。


「ディアは悪くないよ!だって、その人たちは犯罪者でしょ!?」

「相手が誰であろうと、無差別に人を攻撃するなら犯罪者と同じです」

「違うよ!そんなこと言わないで!」

「記憶がないのです。魔獣に戻って自我を失った時の……」


コランとレイトは全ての動作を止めて、アイリとディアの方を見つめている。

会話の内容までは聞こえないが、何やら険悪なムードに見えるからだ。


「なぁ……アイリとディア、なんかケンカしてないか?止めた方がいいか?」


……偶然ではあるが、見事に韻を踏んでいる。

そう言って立ち上がろうとするコランを、レイトが制止する。


「王子、待って。他人が口出ししちゃダメだよ」

「あの二人、いつもラブラブなのにケンカするんだな〜、ケンタッキーか?」

「倦怠期だよ」


深刻な空気も、コランの一言で一気に空気が抜けて緩んでしまった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?