サインズ王国は治安が良い。それはジェームズ王がいかに国民に寄り添った政治を行っているかの証左でもある。
しかし、そんなサインズ王国へ不満を持つ者が一定数存在する。
テロ活動自体はそう珍しくない。ただ、サインズ王国の経済の一端を担っている商業都市へ狙いをつけるのが珍しかった。
「まだ見つけられていないの?」
「そうみたいですね。だから、第三部隊はテロリストの捜索と捕獲に専念してもらい、第一部隊が警備ということで役割分担をすることになりました」
「ふーん」
クラリスはこの状況に、少し違和感を抱いた。
第三部隊は優秀だ。そういった情報があれば、即座に対応し、首謀者を制圧する。
ただのテロリストならば、もう終わっているだろう。ならば、今回は相応の『頭脳担当』がいるのかもしれない。
「ファルシア、あんた気を抜くんじゃないわよ。しっかり私を守りなさいよ」
「も、もちろんです」
「……ん、待って。それならあんたは何でここにいるの?」
第一部隊は警備だといった。それならばその隊員であるユウリがここにいる理由とは?
その疑問は、すぐに解決した。
「私も警備ではありますが、フリーのポジションです。持ち場はなく、何かトラブルがあった時のバックアップです」
「護衛を名乗ったのは?」
「今回は警備と王女の護衛を兼ねようかと。状況が状況です。ファルシア・フリーヒティヒだけでは対応しきれないこともあると思うので」
「あ、ありがとうございますっ」
「……お礼は不要です。仕事ですから」
「はぁ全く可愛げのないわね」
クラリスは壁時計に目をやった。そろそろ市長に会う時間だった。
その前に、ファルシアも自分に与えられた部屋へ行こうとした。
しかし、クラリスが不機嫌そうに声をあげる。
「はぁ? あんたどこ行くつもり?」
「え、えっと……自分の部屋に、ですが」
「ここで良いでしょ。さっさと荷物置きなさい」
「え、ええ……それならふ、二人でここ使うってことです、か?」
「何か文句あるの?」
「あ、あありません!」
「元々この部屋使わせるつもりだったけど、そんな動きがあるなら、なおのことよ」
「ね、寝るところは……?」
「いつも通り床。それとも私と一緒のベッド使う?」
「いっ……!?」
ファルシアはなんとなく想像してみる。
性格はともかく、クラリスはあまりにも美しい顔立ちをしている。その仕草や表情は同性でもドキリとさせることだろう。
そんな彼女と一緒のベッドで寝たら、おそらく心臓がもたないだろう。
「……あんた、何想像してるのよ?」
「いっいや特に! 何も、ないです!」
「ふーん……」
そう言いながら、クラリスはファルシアへ顔を近づけた。何となく考えていることが分かってしまったクラリス。面白そうなので、少々からかってやることにした。
「色ボケ。えっち。色情魔」
「ひ、ひぃぃ! すいませんすいません! 色ボケだし、えっちだし、色情魔、です……!」
すかさずクラリスはファルシアの脳天へ手刀を叩き込んだ。
頭を押さえて痛がる彼女へ向け、ばっさりと一言。
「冗談に決まってるでしょ冗談。ほら、馬鹿なことしてないでさっさと準備!」
――私は何を見せられているのでしょうか。
ユウリは皮肉の一つでも言いたくなったが、ぐっと飲み込んだ。今の自分は王女の護衛。これ以上波風を立てるのは得策ではない、と判断したためだ。
◆ ◆ ◆
市長がいる市役所はビイソルドの中心にあった。
現在、三人は馬車に乗り、市役所へ向かっていた。
「何で馬車で行かなきゃならないのよ。これくらいの距離なら十分歩けるっての」
馬車が苦手なクラリスはあからさまに不機嫌な感情を吐き出していた。
彼女は馬車に乗りたくないため、基本は徒歩で行動していた。そんな彼女にとって、この状況は非常に不服。
「だ、駄目ですよ。そっ外、危ないかもしれないんですし」
「ビビり過ぎなのよ。ユウリもそう思わない?」
「思いません。ありとあらゆる最悪を想定しているで。まぁ、そういうことなので――」
ユウリはちらりとファルシアを見た。
「……ビビり過ぎがちょうどいいですよ」
「あんた、ファルシアに随分優しいじゃない」
「そんなわけありません。私はまだ、ファルシア・フリーヒティヒを近衛騎士として認めていないのですから」
「うぅ……そ、そうですよね。まだ私、何も出来てないですし……」
ファルシアは己の現状を再確認させられた。
自分はまだ何も出来ていない。ただクラリスと会話をしているだけだ。もちろん彼女に何も起きないに越したことはない。
それでも、ただ彼女といるだけになっている。ファルシアは少しだけ、焦りを感じていた。
「ばーか」
「あたっ」
クラリスのデコピンがファルシアの額を襲う。ファルシアは思わず額を手で覆う。鈍い痛みが残留する。
「私が今すぐ結果出せなんて言ったことある? あんたは必要な瞬間に、必要なだけ動きなさい」
「そ、それだけで、良いん……ですか?」
「それなら一年以内に魔法学の論文でも作れなきゃクビ、とかに変える?」
「わっ私、今まで以上に頑張り、ます! ので、それは止めてください……」
――殺意!
ファルシアは窓から顔を出し、とある方向を睨みつける。既に瞳からハイライトが消失していた。
背の高い呉服屋。その屋上には茶色の外套を纏った男が立っていた。
ファルシアの超人的な視力は、男が手にしている物を正確に捉える。
「弓……! クラリスさん、伏せて!」
クラリスも慣れているのか、すぐに彼女の言葉に従い、身を伏せた。
鞘ごと剣を掴み、防御姿勢に入るファルシア。
しかし、いつまで経っても矢が飛んでこない。
「……いない」
馬車を停めてもらい、再度同じ場所を確認したが、もう人はいなかった。