翌日早朝、ファルシアとクラリスは馬車に揺られていた。
今回二人が行く目的地は商業都市『ビイソルド』。道路状況にもよるが馬車で約一時間半の距離である。
「わー! すごい、です! 私、馬車初めて乗りました」
馬車から見える景色は何の変哲もない景色だった。だが、生まれて始めて馬車に乗ったファルシアにとって、全てが未知の世界。
「……楽しそうね」
「だ、だって走らなくても見える景色が変わるんですよっ。すごいです……!」
「……そう、良かったわね」
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「大丈夫に決まってるじゃない。何言ってんのよ斬首する?」
「そ、そんなお手軽に斬首とか言わないでください……」
なんとか返事をしたが、ファルシアは馬車が動いた瞬間からクラリスへ違和感を抱いていた。
妙に具合が悪そうだ。およそ不健康には何ら縁のなさそうな人間がこのタイミングで調子を崩すものだろうか。
「あっ」
「……何よ」
ファルシアには思い当たる節があった。母親の言葉を思い出す。
誰もがなりうる一時的な不調。
「もしかして、酔って――」
「ない! 私を甘く見ないで!」
そう言いながら、クラリスは腹からこみ上げる物を感じた。
実際ファルシアからの指摘は正解である。昔から馬車は得意でなかった。
何も制御されていない揺れが苦手で、いつも気持ち悪くなってしまう。
「あんたは何ともないの?」
「え? 平気です! 景色見るの、楽しいです」
「はぁ……あと、どれくらいあんたのその妙に楽しそうな顔見なきゃならないかしら」
「ば、馬鹿にされてます……?」
「気のせいよ」
ファルシアはこのタイミングで質問してみることにした。
「と、ところで……今日は何をするん、ですか?」
「言わなかったかしら?」
「き、聞いてません。ついてこい、としか」
「そうだったかしら? じゃあ説明するわ。一度で覚えなさい」
クラリスは説明を始めた。
今回はビイソルドで行われる祭りに来賓として呼ばれた。祭りは二日間開催される。そのため、ビイソルドには一泊二日滞在することになる。
その間、王女を護衛することがファルシアの任務。
「い、今更ですけど、一泊二日で良いんですか? 二泊三日でも良いような……?」
「何言ってんのよ。面倒だからに決まってるでしょ。さっさと出て、さっさと帰る」
「わっ分かりました」
「というかあんた気をつけなさいよね」
「な……何をですか?」
「精々ぼったくられないようにね。あんたトロそうだし、カモだと思われてもおかしくないわよ」
基本的にはまともな商人しかいない。しかし、入る道を一本間違えると、そこは魔境である。
巣食う闇が大きすぎて、サインズ王国軍ですら中々踏み込めない。
ファルシアのような純粋な人間が迷い込めば、どうなるかは大いに想像が出来る。
「見えてきたわね」
窓から顔を出したファルシア。彼女は景色に圧倒される。
まるで建築物で作り上げられた森だ。一人ならば間違いなく迷っていただろう。
ビイソルドに入った馬車は、クラリスたちが宿泊する宿を目指していた。
「す、すごい……人がいっぱいです……。それに建物も……」
「ある意味、王都よりも発展しているからね、ここ」
「わぁ……」
王都よりも人の密度が高い。元々、人との付き合いが苦手だったファルシアは気持ち悪くなりそうだった。
馬車で酔うクラリス。人で酔うファルシア。内容は違えど、似た者同士の二人である。
クラリスは金髪をかきあげる。
「情報の最先端であるこの商業都市で、何が重要視されているか分かる?」
「わ、分かりません」
「情報と金よ」
ちんぷんかんぷんなファルシア。
クラリスは馬鹿にすることなく、補足した。
「この商業都市で生き残れるのは、誰よりも知っていて、誰よりも金を使うのが上手い奴よ」
「わ、私は生き残れるでしょうか?」
「無理。身ぐるみ剥がされて野垂れ死ぬのが関の山よ」
「ううぅ……」
「拗ねないの。ほら、ついたわよ」
今夜の宿はまるで貴族の家かと思われるような豪奢な屋敷だった。看板には『スリープ・アスティオン』と書かれていた。
陶磁器を思わせる純白の壁、紺色の屋根、嫌味にならない程度の装飾。来賓が一夜を過ごすにふさわしい場所だった。
宿に到着すると、老紳士が現れた。オールバックの白髪、手入れの行き届いた高級感溢れるスーツ。明らかにただの従業員ではなかった。
「ようこそいらっしゃいましたクラリス王女殿下。私は支配人のジミームと申します。我々は王女殿下の到着を心からお待ちしておりました」
「あらあらこれは……。お出迎え、ありがとうございます。今夜はお世話になりますね」
ファルシアは自分の荷物に顔を
慣れないことをしているクラリスを見ていると、笑いがこみ上げてしまう。
(後で覚えてなさいよ)
当然、それに気づいていたクラリスは心のなかで拳を握りしめる。
「心ゆくまでお
「そうさせて頂きます。早速私と、この護衛の部屋に案内してくださると助かります」
「護衛……?」
支配人ジミームは一瞬、首を傾げた。
「既に護衛を名乗る方が館内でお待ちでございますが……」
ファルシアとクラリスは顔を見合わせた。
全く話にない存在。
偽物だろうが本物だろうが、確かめてみないことには進まない。
会いたい旨、支配人ジミームへ伝える。すると、彼はすぐにその者を連れてきた。
「サインズ王国軍第一部隊所属、ユウリ・ロッキーウェイです」
現れたのは、なんとユウリであった。