ファルシアの朝は早い。
とりあえずの部屋が決まるまでは、クラリスの私室の片隅で寝泊まりしていた。
お互い起床が早いので、二人は雑談をしていた。その会話の流れで、ファルシアは騎士団長ネヴィアから教育係をつけられた件を話す。
それに対し、クラリスは声を荒げた。
「はぁ!? あんたそれ了承したの!?」
クラリスの怒声が響き渡る。
適性試験を経て、ファルシアは晴れてクラリスの近衛騎士となった。それで劇的に何かが変わることはなかったが、ファルシアにとっては全てが新しい。
だが、一番の変更点はそんな彼女に教育係がついたことだろう。
「しかもよりにもよってユウリ・ロッキーウェイ」
「えと……何か、マズイのでしょうか?」
「何回かあの子と話したことがあるけど、あの子クソ真面目よ。あんたと話なんて合わないわ」
「そ、そういうものなんですか?」
「そーいうものよ。サインズ王国の第一部隊なんて例外を除けば、みんな真面目を絵に描いたような性格なんだから」
「えぇ……」
「良い? あんたはそんなクソ真面目な性格に感化されるんじゃないわよ」
一言で言えば、クラリスはサインズ王国の騎士が好きではなかった。
堅苦しいの一言に尽きる。皆、自分のことをまるで腫れ物に触るような扱いをしてくる。
ご機嫌取りなんて大嫌いなのだ。
「く、クラリスさん。前から思ってましたけど、なんでそんな口悪いんですか……?」
「何? 上品な言葉遣いじゃないと私が王女サマって認められないわけ?」
「そっそういう意味じゃ」
「仕方ないわね……。こほん」
クラリスは咳払いをすると、スカートの裾を少しつまみ上げ、お辞儀をしてみせる。
「御機嫌ようファルシアさん。近衛騎士業務、ご苦労さまです。
室内に静寂が訪れる。空気がシン、と冷たい。真冬の冷たい風が入り込んできたようだ。
クラリスはスカートの裾から手を離した。両手を腰に当て、得意げな表情を浮かべてみせる。
「どう?」
「き、気持ち悪いです」
「あんた表に出なさい。私自ら斬首してやるわ」
室内に立てかけられている剣を掴み、今にも抜剣しそうなクラリス。
怒らせてしまったことに対し、ファルシアは慌てふためく。
「ち、ちち違います!」
「何が違うのよ!」
「たっただクラリスさんがそういう言葉遣い出来るんだなって……」
「馬鹿にしてんじゃないの!」
「し、してません! 面白かっただけ、です!」
「やっぱあんた斬首よ斬首! 全くもう!」
クラリスは振り上げていた剣を下ろし、ふいに自分の口元に手を当てた。
――あれ私、今『笑った』?
口元が緩み、口角がつり上がっていた。
どこをどう触っても笑顔だった。ファルシアはそれに気づいていない。
クラリス自身だけが分かる微笑み。
「ど、どうしたんですか?」
「はぁ……何でもないわよ。ほんっとあんた調子狂う」
「そういえば私、クラリスさんのことずっと『クラリスさん』って呼んでたんですがその……」
「それがどうしたの?」
「い、今更なんですが私もその、やっぱり『クラリス王女』か『クラリス様』と呼んだ方が――」
「不要。却下。気持ち悪い」
仕返しとばかりにクラリスはファルシアが使っていた言葉で締める。
ファルシアはおどおどしながらも言葉を返した。
「じゃ、じゃあ今まで通りで……?」
立っていることに疲れたクラリスはどかりとベッドへ腰掛けた。
怒りながらも、その所作は非常に美しかった。
「当たり前でしょ。あれだけ散々呼んできたっていうのに。それに――」
そこでクラリスは言葉を止めた。
――危なかった。余計なこと言うところだったわ。
早朝の雰囲気がそうさせるのか、クラリスはついこんなことを言ってしまいそうになった。
(『クラリスさんなんて呼ぶ奴、今までいなかったからね』。なーんて言ったら笑われるわよね、きっと)
『さん』付けをしてくる者など、この城どころか王国内を探してもいないだろう。
だからこそ、クラリスにとってファルシアは珍しく見える。眩しく、見える。
クラリスは無意識に口を開いていた。たまには今の正直な気持ちくらい喋っても良いかもしれない――そんなつもりで。
言葉を発する直前、ノック音が響いた。
「サインズ王国第一部隊所属、ユウリ・ロッキーウェイです。ファルシア・フリーヒティヒへ用事があります」
「朝っぱらからうちの近衛騎士に何の用よ」
「本日は城の中を案内、そして各部隊の業務説明をする予定があります」
扉越しから聞こえるユウリの声は相変わらず誠実そうで、生真面目さがあった。
彼女は続ける。
「昨日、ファルシア・フリーヒティヒへこの予定を提案し、了承済みです。開扉を求めます」
「ファァァルシァ?」
クラリスの視線がファルシアへ突き刺さる。
ユウリの言う通りで、これは昨日決まったことである。クラリスへ言っていなかったことに気づき、ファルシアは背中から汗が吹き出した。
「ご、ごめんなさい。その通り、です」
「はぁ……まあ、良いわ。行って来なさい。私の近衛騎士である以上、この城や部隊の動きを把握しておくのは必要なことだしね」
「ただし」とクラリスは指さした。
「今後、その日の予定を私にも教えなさいよね。私の近衛騎士である以上、あんたのスケジュールを把握しておく必要があるんだから」
「き、肝に銘じます」
ファルシアが何の前フリもなくいなくなることについて、非常に面白くないクラリスであった。