ファルシアはクラリスの部屋へ来ていた。
「全く! どうしてこう私のことを邪魔するのよ!」
クラリスは怒り心頭といった様子で、乱暴に椅子へ腰掛けた。その椅子は一体いくらするのか、ファルシアには見当もつかない。
椅子だけではない。彼女の部屋にある家具全てが一級品。もしうっかり備品を傷つけてしまったら――そう考えると恐ろしかった。
クラリスがいつまでも立っているファルシアを睨みつける。
「何してるのよ。早く座りなさい。試験について話すわよ」
「わ、私はこれから何をすれば……?」
「聞いてなかったの? お父様が用意した試験官と戦うのよ。それで勝つ、もしくは引き分ける。これだけよ」
「お、おお王様が用意した人なんてめちゃくちゃ強い人って……ことですよね」
「当たり前でしょ。たぶんウチの精鋭が出されるわ」
「精鋭……」
そこでクラリスはさり気なく自分の口に手を当てていた。
ファルシア・フリーヒティヒは内気で、そして臆病だ。こうして脅かせば一気にやる気が削がれることは想像できた。
今夜のうちに逃げられでもしたら、全てがご破産。そうこの王女は考えていた。
「どんな人と戦えるんだろう」
その時、クラリスは確かに視た。
あれだけビクビクしていたファルシアが一瞬、笑っていたのだ。その時の彼女はまるで別人のようだった。
「あの、クラリスさん。私、戦うなら強い人と戦ってみたい、です!」
「勇者なのか、それとも愚者なのか。私には見分けもつかないわね」
「みっ見分けといえば、クラリスさんは意地悪そうなのにいい人です、よねっ!」
「はぁ!? なんて言った!?」
「ひ、ひぃ! すいませんすいません! おっ思ったこと言っちゃいましたぁ!」
涙目で怯えるファルシア。睨みつけるクラリス。
クラリスはため息交じりに質問した。
「一応、私ってこの国の王女なんだけど、畏怖とかないわけ?」
「畏怖……?」
二人の身分の違いは天と地くらいの差がある。だからこそ皆、クラリスに対して距離を置く。彼女に物申す者など一部を除いて、ほぼいない。
誰もが皆、彼女が怖いのだ。
「クラリスさんは、いっ意地悪そうなだけで、怖くはないです。話していて楽しい、です」
「! ふ、ふん。一応、社交辞令は分かっているようね」
「しゃ社交辞令じゃないですよ?」
「うっさいうっさい!」
乱暴に会話を打ち切ったクラリスはそのまま机を指さした。
「今日はこの部屋使いなさい。一日かけて明日出てきそうな奴のことを勉強してもらうから」
「べ、勉強ですか!?」
「当たり前でしょ。ついでに今後のためにも、あんたにはしっかりここの常識を学んでもらうから」
「ひいい~!」
その時のファルシアは気づいていなかった。
――クラリスの頬が僅かに朱く染まっていたのを。
◆ ◆ ◆
「団長!」
執務机に座っていた騎士団長ネヴィアはペンを止めた。
常人を超えた身体能力と五感を持つネヴィアはこの時点で、第一部隊ユウリ・ロッキーウェイだと気づいていた。
「失礼します。第一部隊ユウリ・ロッキーウェイです」
「歓迎しようユウリ。……しかし、良いのか? 第一部隊長は何も言わないのか?」
途端にユウリの瞳に影がさした。
「言うと思いますか? あの人が……?」
「愚問だったな」
互いの第一部隊長に対する認識は一致しており、そこで話が終わった。
他の部隊と違い、こういったある意味順序を無視したような隊員の動きを諫めるような人間ではないのは分かっている。
これ以上は議論するだけ無駄。ネヴィアはそう判断した。
「それで? 私の所に来たということは……」
「はい。例の近衛騎士について調べてきました」
「聞かせてくれ」
ネヴィアの正直な感想としては、『大した情報はないだろう』であった。
屈強な戦士ならば騎士団長として、武人としてネヴィアの耳に入ってくる。知恵に富んだ者ならば、王城の聡明な者たちの誰かが知っているはず。
未だにそれが噂されないことこそがその証拠。
(クラリス王女はきっと王に対する意地で連れてきたのだろう)
そんな彼女の思いを知らぬユウリはまず名前を告げた。
「名前はファルシア・フリーヒティヒ。出身は――」
「フリーヒティヒ……!?」
ユウリは突然立ち上がった団長の意図が読めず、首を傾げた。
「どうされましたか?」
「いや……何でもない。続けてくれ」
そこからの情報はありふれたものだった。出身は何の変哲もない田舎村。性別は女性。年はクラリス王女よりも一つ歳上。その他の情報が出てくる中、ネヴィアはその少女の『親』について思考が回っていた。
(その村の場所は確か……。そして『フリーヒティヒ』を名乗る者。なら、クラリス王女の近衛騎士とはまさか……)
思考の海に溺れそうな彼女を引き上げるように、扉のノック音が響いた。
現れたのはネヴィアの秘書的な立ち位置にある女性騎士だった。縁無しのメガネを着用しており、知的な印象の女性である。
「失礼します。ジェームズ王から団長へ命がありました」
ネヴィアは退室しようとしたユウリを片手で制した。
「良いのですか?」と言いたげな秘書に対し、ネヴィアは首を縦に振って返事をした。
「明朝、クラリス王女が任命した近衛騎士の『適性試験』を行います。そのため、団長には試験官を選定するように、と」
「ほう。願ってもないタイミングだ」
ネヴィアはちょうどいいタイミングに思わず笑みを浮かべた。
そして、すぐにユウリを指さす。
「試験官はユウリ・ロッキーウェイにする。出来るなユウリ?」
「出来ます。ですが、良いのでしょうか? 隊長には了承をもらっていません」
「了承しないと思うか? あいつが」
「……愚問をお許しください」
秘書はそのやり取りを咎めることはせず、少し呆れ気味に眼鏡をかけ直した。